第20話 ふたりだけの夜②

 殿下は私の肩に、ふれた。


 私たちは見つめ合う。



 

 殿下は中腰になった。洞窟の中の殿下の影が大きくなる。

 


 





 そして私の肩に置いた手を、背中の方に動かした。




 早鐘のように、心臓が鳴っていた。もう、耳が痛いほどに、熱をもってじんじんとした。



 


 私は耐えられなくなって目を閉じる。







「……よかったです」



 私はだまって聞いていた。




「とれました」

「とれた?」




 なんとか目を開け、振りかえって殿下の指先を見る。


 

「っっんんっっっっっんっ!?」


 殿下の指先に足をうねうね動かしている茶色の虫がいた。


「気をつけて。この辺は血を吸う虫も多いですから」



 ふるえが走る。腰、背中、肩、喉まで突き破らんばかりだ。



「殿下! ちゃんと言ってください!!! 虫がいるって!!! それをとりますね、アニマ嬢。私、わかった! お願いします! と言います。 いいでしょうか? それがこの極限状態でふたりが生き残るコツのようなものです」


「ああ。申し訳ありません。虫がアニマ嬢の肩に乗っていたものですから取らなければと夢中で」


 頭をちぎれんばかりに掻きむしり、背を向けて寝っ転がった。


「もう寝ます!」

「そうですね。明日に響きますし寝ましょう」





 殿下のごそごそと寝転がる音がした。







 たき火のはじける音。










 虫の鳴き声、なにかが動くような気配。










 あのですね。










 私。アニマ。







 全然、寝られないのですけれども。





 岩の上は当たり前だが痛くて、さらに慣れないサバイバル環境。隣には……殿下がいる。寝られるわけないじゃないですか。



 火は入り口側に移動させて残してあったので、洞窟のなかは明るい。


 

 寝返りを打つふりをして殿下の方を向いた。


 殿下は目を閉じて寝ていた。


 こんな環境でも寝ることができるなんて。



 寝ている殿下を見るなんて機会はもうないだろう。眼福である。


 


 すやすやと寝息を立てている姿はいつもの凛々しい姿とは違って、かわいらしかった。


 しかしその顔が苦痛にゆがむ。眉間にしわがより、額に油汗をかく。もがくように指先を動かす。


 私は迷った。しかし苦痛にゆがむ殿下をそのままにしておきたくなくてそっと、その手を握ってみた。


 殿下の長い指が私の手を強く握る。安心したように顔中の力が抜け、安心したように寝息を立てた。






 ◇◇◇◇◇◇




 セシル殿下は国民に責められていた。自分が良かれと思ってやったことが全く逆の作用をし、それを責められていた。



 いつのまにか、だれかに手を握られていた。安心したところで、目が覚めた。



 ――夢だった。セシルは汗をかいていた。




 外は真っ暗で朝はまだ来そうもなかった。音を立てずに起き上がる。


 アニマはセシルの方に顔を向けて眠っていた。

 アニマは寝ながら泣いていた。



 セシルは唇に力を込めた。天井を見上げる。



 そして、アニマの涙をぬぐった。




 アニマは息を吐き、口を動かした。

 それが笑ったように見え、満足した。


 火の具合を確かめ、アニマが泣いていないか確かめ、再び寝っ転がった。

 





 ◇◇◇◇◇◇



 ハッと目を覚ますと殿下が目の前にいて、思わず、声が出た。



嫌な夢、そして、なにか、大切なことがあった気がしたが、思い出せない。



 スズメの泣き声が外から聞こえる。


 朝日が差し込んでいた。



「無事に朝を迎えることができたようですね」

 殿下はのんきに言って、起き上がった。




 土砂崩れの場所に行ってみると馬車が来ていた。ロイドや従者の力を借りて王城への道に戻ることができた。



 

 

「心配しましたよ殿下。アニマ様。お怪我などありませんか」

「アニマ嬢のおかげで素敵な夜を過ごせました」

 すこし湿度が高い視線を感じた。


「言い方! 誤解をまねく言い方ですよ」

 ほほっとロイドが笑った。「無事で何よりです」





 昨日の夜に行う予定だったバチェラーの夜の部は、本日行われることになった。


 

「夜の部のメイクとドレスも楽しみにしていますね。もちろんアニマ嬢は帰れない事情があったので、困ったらすぐ俺に言ってください」

 

 いま着ているヴィヴィアンのドレスは洞窟で汚れてしまった。ここは殿下に頼るべきところなのだろう。侍女も余分なドレスもない。でもそうしたら、驚きという最大の武器がなくなってしまう。楽しみにしてくださっている殿下の期待を裏切ることにならないか。

 

 ニーナはこれから相当加点がないと、バチェラーの3日目には残れないだろう。そのうえ、私まで嫌われてしまったら、より、ニーナが不利になる可能性だってある。


 私はニーナのために、殿下から嫌われるわけにはいかない。


 


 バチェラー参加の令嬢はすでに到着していた。

 ロイドが言った。

「本日は夜の部が開催されます。時間になりましたら王城の馬場にお集まりください」


 令嬢たちはそれぞれ、馬車や王城の空き部屋を借りて、お色直しをおこなう。


 

「姉さまの支度を手伝う余裕はないの。行くね」

 ニーナは馬車にもどっていった。



 その後、リンジーとハーマイオニーに話しかけられた。

「昨日は大変だったみたいね。大丈夫だった」

「はい。殿下がサバイバル少年みたいになって助けていただきました。生まれてはじめて、洞窟での夜も体験しました」

「えっ……じゃあ殿下と一緒に寝たってこと!」

 リンジーが大声で言った。まゆ毛が器用に動き、ハーマイオニーと目配せした。

「結局どうなったの? アニマ。答えて!」

 ハーマイオニーが額を擦らんばかりに顔を近づける。


 髪を触った。

「何も……してませんよ。洞窟のなかが怖かったんで近くに寝てもらっただけです」

「本当に何もしてないの?」

「してませんよ」

「そっか。忙しい中、邪魔をしてごめん。さあ、行こう」

 ハーマイオニーがリンジーを引っぱっていく。

「ちょっと!! ここはもっと根掘り葉掘り、ねほりんはほりに聞くところでしょ! 甘酸っぱい夜を、互いの共有財産にして、眠れぬ夜に抱きしめるために使うの!」

 リンジーが叫ぶ。




 みんな、いなくなってしまった。

 


 

 ――さて、ドレスとメイクはどうしよう。



 昨日は殿下と一緒でろくに眠れはしなかった。

 ひとまず休もうと、王城の空き部屋へと向かった。

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