第33話 ガラン王子



 早朝のとある教室。始業までまだ時間に余裕があるため、待田まちだ友樹ゆうきは机で英語の小テストに向けて勉強をしていた。


 そんな時だった。


「大変です、待田先輩」


 慌ただしい足音が聞こえたかと思えば、下級生の殿宮とのみや匡孝まさたかがやってくる。


 匡孝は友樹の前に来るなり、何かを話そうとするもの、息を整えるだけで精一杯という様子だった。


「どうしたんだ? 殿宮」


「久美さんが……」


「ノルンがどうしたんだ?」


「久美さんがいなくなりました」


「ノルンがいなくなった? 殿宮のアプリがあれば、ノルンの居場所がわかるんじゃないのか?」


「アプリから、久美さんの存在が消えたんです」


「存在が消えた?」


「はい。昨夜はメッセージにいつまで経っても既読がつかないので、久美さんの自宅に電話をしてみたんですが……『久美なんて人間はいない』と言われて」


「お前、既読がつかないからって、自宅に電話したのか?」


「はい……いつものことですが」


「面倒くさくなって、居留守を使ったんじゃないのか?」


「面倒くさいとはどういうことですか。自宅に電話して何が悪いんですか」


「逆ギレするな。ノルンも大変だな」


「それより、久美さんはどこに行ったんでしょうか」


「そうだな……殿宮の言うことが本当なら、ノルンは消えたということになるが」


「怖いことを言わないでください」


「一度、ノルンの担任に確認してみるか」


 それから友樹は、匡孝を連れて職員室を訪れた。


 もうすぐ始業ということもあって、教師たちは忙しそうにしていたが——。


「……水越みなこし久美くみ? そんな名前の生徒は、うちのクラスにはいないわよ」


 久美のクラスの担任である女性教師に確認したところ、なぜか久美はいないことになっていた。


「いない……?」


 驚いて絶句する友樹の代わりに、匡孝が訊ねる。


「転校したわけじゃ……ないですよね?」


 だが女性教師はかぶりを振った。


「そもそも水越久美という人間なんていないのよ」


「そんなバカな……久美さんがいない?」


 それから友樹と匡孝は、職員室をあとにするが、二人の間に複雑な空気が流れた。


 久美が最初からいないことになっている、その事実に友樹たちはどう反応して良いのかもわからずにいた。


 そして二人が職員室の前で立ち尽くす中、廊下の向こうから友樹の兄である生徒会長が姿を現す。


 生徒会長は、友樹たちを確認するなり目を丸くしていた。


「友樹に殿宮くん、職員室の前でどうしたんだ?」


「兄さんは、水越久美を知っているか?」


「なんの話だ? 久美ちゃんがどうかしたのか?」


「兄さんは覚えているんだな。ノルンの存在を」


「何を言っているのかわからないな。今日は、久美ちゃんはいないのか?」


「ああ、いない。どこにもいないんだ」


 友樹がため息混じりに告げると、生徒会長の後ろから花柳はなやぎ右京うきょうも顔をのぞかせる。


「失踪したということですか?」


「花柳……お前も覚えているんだな」


「何があったんですか?」


「実は……」


 それから匡孝は久美がいなくなっただけでなく、その存在自体が消えた事実を告げた。


 すると、右京は大きく見開いて驚きの声をあげる。


「水越さんの存在が消えた?」


「ああ、誰もノルンのことを覚えていないんだ」


「ご家族には確認しましたか?」


 右京の確認に、匡孝は頷く。


「確認しました……けど、『久美なんて人間はいない』と言われたんです。まるで最初からいなかったみたいに……」


 その言葉を聞いて、右京は少しの逡巡のあと、友樹に訊ねる。


「友樹先輩、魔法で人の存在を消すことなんてできるんですか?」


「……できなくはないな」


「なら、水越さんは魔法使いにさらわれたということですか?」


 右京の言葉に、匡孝も驚いた顔で誰となく訊ねる。


「魔法使いって、この中の誰かがさらったということですか? まさか待田先輩が……」


「俺はノルンをさらっていない」


「でもこれだけ大掛かりな魔法が使える人は他にいないじゃないですか」


「本当に魔法なのか?」


「どういう意味ですか?」


「人に忘れさせるなら、魔法よりも呪いのほうが早いだろう」


「呪い?」


「ああ、もしかしたらノルンには何かの呪いがかけられているかもしれない」




 ***




「……うっ……私はいったい」


 私——久美が目を覚ましたら、そこは知らない場所だった。


 荷物の箱が積まれたその場所は、どうやら何かの倉庫のようだった。


「まさかまたあおいくんにさらわれたのかな?」


 言葉を投げかけても、何も返事はなかった。


「どうして……誰もいないの?」


「……君は相変わらず鈍いんだね」


 ふいにどこからともなく声がして、私は周囲を見回す。


 けど、周りに人がいる気配はなかった。


 それに、私の手は縛られていて動くことができないし……いったい、どういう状況なのだろう。


「誰? どこにいるの?」


 私が声を投げると、倉庫の中を低い声が響いた。


「はは、フレイシアは相変わらず王子がいなければ何もできないんだな」


「だから誰よ、蒼くん? それとも花柳くん?」


「さあ、誰だろう。少なくとも彼らほど甘い人間ではないかもしれない」


「本当に、ふざけるのはいい加減にして」


「ふざけているのはお前だろう。転生しても、王子どもに好かれて嬉しいか?」


「なんの話?」


「お前のせいで王国はダメになってしまったんだ。だから今度こそ、お前に復讐してやる」


「復讐? よくわからない……」


「全ての元凶はお前だ、フレイシア。兄弟たちがフレイシアばかりに気をとられて、まつりごとを放棄したようなものだ。そしてお前はいなくなってもなお、王子たちの心を乱し、内乱を起こす事態を生み出した。お前は全ての悪でしかない。だから今度こそ、兄たちをお前から救うんだ」


「あなたはいったい……」


「俺? 俺はもちろん、お前の大嫌いなガランに決まっているじゃないか」


「ガラン王子?」


 その名前を聞いた瞬間、燃やされた熱さを思い出す。


「本当に……本物?」


「ああ、俺はガランだ。これからお前に天罰をくだしてやる」


「やめ……やめて……」


 突然、周囲が火に囲まれる。


 パチパチと弾ける音に、焼け焦げた臭い。


 逃げ出そうにも、恐怖で足が動かなかった。


「誰か……たす……け……」


 助けを求める途中で、意識が遠くなる私。


 その場に崩れるようにして床に落ちると、私は薄く目を開いたまま遠くで声を聞く。


「なんだ。もう気を失ったのか。弱いやつめ……ただの幻覚だというのに」 


 それから意識が消えかかる中、高笑いが聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る