第18話 トラウマの炎




 晴れているせいか、いっそう寒い放課後。


 氷の壁を壊した反動で意識を失った殿宮とのみやくんも今ではすっかり元気になっていて——今日も一緒に、賑やかな市街地を歩いていた。


「久美さん、ちょっとやつれた?」


 人が行き交う道で、ふと殿宮くんが私の顔を覗き込む。


 間近で見つめられた私は思わず目を逸らした。


「……痩せたんじゃなくて?」


 すると、殿宮くんは小さく笑いながら距離をとった。


「顔色が悪いですが……例の手紙のせいですか?」


「……そうかも。手紙のことを考えると、ムカムカするから」


 私が自分の気持ちを告げると、一緒にいた友樹ゆうきくんが真顔で提案する。


「じゃあ、今日は甘いものでも食べに行くか?」


 私の気持ちにかこつけて寄り道を誘う友樹くんに、私は思わず笑ってしまった。


「友樹くんは今日も楽しそうだね」


「楽しそう?」


「うん。表情には出ないけど、なんとなくわかるよ」


「そうか?」


 友樹くんがきょとんと目を丸くしていると、殿宮くんがそんな友樹くんを険しい顔で見つめる。


 相変わらず、殿宮くんはわかりやすいんだから……。


「そんな怖い顔をするな、殿宮。俺はノルンを取ったりしないから」


「……どうだか。今はそう言ってても、いつかその考えも変わるかもしれないでしょう?」


 訝しげな目を向ける殿宮くんに、友樹くんは息を吐くように笑う。


「殿宮は本当にノルンが好きなんだな」


「前世では……友達だと言っていた兄たちが、次々にフレイシアを好きになりましたから……俺はもう、表面的な言葉なんて信じません」


「なるほど……確かにな。今の自分と一年先の自分は違うかもしれないな」


 友樹くんの言葉はなんだか身に沁みるような気がした。


 けど、それよりも私は殿宮くんの言葉に引っかかった。


「——ていうかそれ、初耳なんですけど。王子様たちが私のことを好きだなんて」


「それは、俺の努力の賜物ですよ。フレイシアがよそ見をしないように、愛せるだけ愛しましたから」


「う……ちょっと、だからそういうこと言うのはやめてよ」


「魔女と王子が結婚してめでたしめでたし……か。童話の世界だな」


 友樹くんが話をまとめる中、殿宮くんがふと足を止める。


 その複雑そうな顔の理由は、私にもわかった。


 私が思わず言葉を詰まらせていると、殿宮くんがキッパリと否定する。


「違います」


「殿宮?」


「フレイシアは……彼女を好きじゃなかった、たった一人の兄に殺されましたから」


「……そういえば、火あぶりがどうのと言っていたな? フレイシアを殺した王子が、俺に似ていると」


「そうです。俺の兄——ガラン王子はフレイシアの悪い噂を流して、フレイシアを火あぶりに追いやったんです」


「……そうか」


 なんだか暗い顔をする友樹くん。


 私は慌てて口を開く。


「で、でも、友樹くんとは全然違うからね! 雰囲気も喋り方もまるで違うよ!」


「でも容姿はそのままだ」


「殿宮くん!?」


「たとえ久美さんが許しても、俺は今もあいつを許さないから」


「殿宮くん……」


「あ、でも久美さんと同じく、待田まちだ先輩のことだとは思っていませんから。最初は疑っていましたが、今はそんなこと思いません」


「そうか。だが、この顔のせいで、気分が悪いのだろう……いっそイメチェンでもするか?」


「イメチェン!?」


 友樹くんの思い切った言葉に、私は思わず声を上げる。


 すると、友樹くんは自身の柔らかい髪を触りながら悩むそぶりを見せた。


「髪の色を変えれば、雰囲気も変わるんじゃないか?」


「そうかもしれないけど……でも、わざわざ変える必要ないんじゃない?」


「待田先輩がイメチェン……俺の美容室を紹介しましょうか?」


 わりと乗り気な殿宮くんに、私は苦笑する。


「殿宮くん行きつけの美容室、なんだか気になるかも」


「久美さんだって行きつけの美容室くらいあるでしょう?」


「遠くに行くのも面倒だから、一番近いところに行ってるよ」


「ついでに久美さんもイメチェンしますか? あ、でもこれ以上可愛くなっても困るので、今の髪型でいいですね」


「さりげなく今の髪型をディスったね?」


「そんなことありませんよ。今の久美さんも可愛いですが、さらに可愛くなれるということです」


「殿宮くんこそ、一ミリも髪型が変わらないことに違和感があったんだよね。美容室、どれだけ通ってるの?」


「いえ、通っていると言っても、月一ですよ」


「さすがだね。それで、今日はどうする? うちに来る?」


 私が話を変えると、殿宮くんは驚きに見開いた。


「え、久美さんの家ですか?」


「狭いし、何もないけど……ゲーム機くらいならあるよ」


「男二人でおしかけて大丈夫ですか?」


「大丈夫だよ。今日は誰もいないし」


「久美さん……そういうところが、危険だって言うんですよ」


 殿宮くんが呆れたように言う中、ふいに、長身の美形が後ろからひょいと頭を覗かせた。


「俺も一緒に行ってもいいかな?」


「生徒会長、どこから現れたんですか」


 突然現れた生徒会長に、殿宮くんが指摘すると、生徒会長は白い歯を見せて笑った。


 忙しい生徒会長がここにいるってことは、生徒会の人が困ってるよね、きっと。


「生徒会長、書記の花柳はなやぎくんが探してるんじゃないですか?」


 思わず私がそうツッコミを入れると、生徒会長はなんてことない風に手をひらひらさせた。


「あいつはそれが宿命だから仕方ないんだ」


 けど、そんな生徒会長の背中から、花柳はなやぎくんの頭が見える。


「生徒会長」


「わ、いつの間に」


 生徒会長が振り返って息をのむ中、花柳くんはそんな生徒会長をジロリと睨んだ。


「仕事してください」


「いやだ。俺は仕事なんかしたくない。生徒会長なんてやめたい」


「はいはい。卒業したらやめられますから」


「卒業まで生徒会長をさせられるのか!?」


「生徒会長、ほら、行きますよ」


「いやだぁあああああ」


「みなさん、お見苦しいものをお見せしました」


 言うだけ言って、花柳くんは慣れたように生徒会長の首根っこを掴んで、ズルズルと引きずりながら去っていった。


 残された私たちは、呆気にとられていたけど——そのうち友樹くんが何かに気づいたように、怪訝な顔で周囲を見回した。


「ん?」


「どうしたの? 友樹くん」


「……今、睨まれたような」


「睨まれた?」


「いや、なんでもない」


 友樹くんが気のせいだと言う中、殿宮くんも口を開く。


「それで、本当に久美さんの家にお邪魔してもいいんですか?」


「うち何もないから、お菓子でも買ってく?」


「そうですね。だったら俺が——」


 ————と、その時だった。


 コンビニに向かって歩き出そうとした瞬間、私たちを囲うようにして炎が上がった。


 燃えそうな物など何もない道で、呆然と立ち尽くす中、高く上がった炎から火の粉が弾ける。


 その異様な光景に、友樹くんが顔を庇うようにして告げる。

 

「なんだこれは?」


「とつぜん火が」


 殿宮くんも動揺していたけど——誰よりも緊張していたのは私だった。


「こ、これって……」


 ドクンドクンと波打つ心臓の音が、聞こえそうなほど大きくなる。


 〝火〟は私にとってタブーに近かった。


「やばい、前世を思い出す……気持ち悪い」


 思わず口を抑えて屈み込む私に、殿宮くんがハッとした顔をする。


「久美さん……?」

 

 けど、とうとう耐えられなくなった私は、なりふり構わず叫びを上げた。


「いやだ! 怖い! 助けて!」


「久美さん、しっかり!」


「いやああああああ」


「久美さん!」


 殿宮くんが舌打ちをする中、ふいに誰かの囁きが聞こえた。


 それは遥か昔に聞いたことのある、水の精霊を呼ぶ魔法だった。


 刹那、暗雲が渦巻いた空からポツリポツリと降り始める雨。


 雨は次第にどしゃぶりになって、炎の壁をかき消した。


「雨が降ってきた……?」


 不思議そうに空を眺める殿宮くん。


 友樹くんが私のすぐそばにやってくる。


「ノルン、大丈夫か?」


 心配そうな顔が私を覗き込むもの——私の視界はゆっくりと暗幕がおりていった。

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