第73話 聖女様と素敵

「それちょっと違うかな!もっと感情を込めて!」


「はっ、はい!」


 クラスメイトの声が飛んだ。

 俺は反射的に背筋を伸ばし、台本を見返す。


「姫君、どうか……安心してください。どんな困難があろうとも、必ず……」


 ──あ……。詰まった。

 台詞を途中で忘れてしまい、言葉が出てこない。


 教室に漂う微妙な空気。

 数秒の沈黙が、俺には何分にも感じられた。


「……もう一回……だねぇ」


 篠崎さんが明るい声でフォローしてくれたが、俺の心は沈んでいた。

 沈黙が破られ教室内に喧騒が戻る。


 もう何度目だよ、こんなの……。


 自分ので来なささに嫌気がさしてしまう。頑張れえ、俺え。



 


 ******



 

 

 文化祭に向けた練習が本格化してから、クラス全体での読み合わせや場面ごとの演技が続いていた。

 俺は主人公としての役割を必死に果たそうとするものの、失敗の連続だ。


 台詞が飛ぶ。声が小さい。セリフが言えたかと思って実際に演じてみると動きが硬い。

 そのたびに、クラスメイトたちの表情が微妙に曇るのが分かった。


 俺、やっぱり向いてないんじゃないか……。


 何度もそう思ってしまう。


「渚くん、次もう少し大きな声でやってみようか!」

 

 篠崎さんがその度に明るく指示を出すけれど、心の中では自分に苛立ちを感じていた。


 練習が終わり、台本を片付けていた時のことだ。

 後ろの方から聞こえてきた声に、足が止まった。


「渚、なんか緊張してるのかな?」

「益山くん大丈夫かなー?」

「うーん、でも演技って感じじゃないよね。やっぱり他の人がやった方が良かったのかも……」


 悪意はなかったのかもしれない。

 ぼそっと囁かれたその言葉。

 でも、その言葉は確実に俺の胸に刺さった。


 俺以外に、もっと適任なやつがいたんだろうか……。


 自分でも、主人公なんて荷が重いと分かっていた。

 でも頑張ろう、挑戦しよう、最初はそう思っていた。ここで頑張れば少しは変われるんじゃないかって。

 しかし人生はそんなに甘くないらしい。

 

 みんなが俺の事を応援して期待してくれている、そのうえで周りに迷惑をかけているように思えて、教室を出る足取りは重かった。


 放課後、練習後の疲れた体を引きずるように、俺は一人で下校していた。

 いつものように風が吹き抜ける道も、今日はなんだか暗く見える。


 俺じゃ無理なんだろうか……。


 自分に問いかけるたび、頭の中に失敗した場面がフラッシュバックする。

 台詞を噛んだ瞬間、視線を浴びて固まった瞬間、そしてクラスメイトたちのつぶやき。


「……情けないな」


 口から出た言葉に、自分自身が一番反応していた。

 頑張ろう、そう決意した途端これか。

 俺は1人帰り道、自分のできなささに途方に暮れていた。

 

 ──しかしその時、後ろから軽い足音が聞こえた。

 振り返ると、水沢さんが少し息を切らしながら駆け寄ってきた。


「──益山くん!」


「……水沢さん?」


 彼女がここまで追いかけてきたことに驚きながらも、俺は自然と足を止めていた。


「よかった、追いついた……!」


 彼女が手に持っていたのは、俺が練習に使っていた台本だった。


「これ、教室に忘れてたよ」


「……あ、ありがとう」


 台本を受け取りながら、俺は微妙に視線をそらしてしまった。

 水沢さんは最初こそは少しぎこちない演技が目立ったものの、ここ最近の成長スピードには目を見張るものがある。とても自然な演技になってきている。


「益山くん……大丈夫?」


 水沢さんのその一言に、胸が少し締め付けられる。

 自分の落ち込んだ様子が伝わっているのだろう。


「何が……」


 そう返すのが精一杯だったが、水沢さんは真っ直ぐな目で俺を見つめた。


「さっきの練習のこと……気にしてるんでしょ?」


「……んん、別に」


 水沢さんの優しさに触れた途端、逆にどう反応していいのか分からなくなる。


「私は、益山くんが主人公で良かったと思うよ」


 いきなり発された彼女の言葉。

 その言葉は、疲れきった俺の心の中に深く響いた。


「……なんで?」


 絞り出すように尋ねる俺に、彼女は少し微笑んでこう答えた。


「益山くん、真剣に頑張ってるのが分かるから。どんなに失敗しても、絶対に諦めないで次をやろうとしてるのが伝わってくる。それって、すごく素敵だと思う」


 彼女の言葉に、胸の奥が暖かくなるのを感じた。


「私、主人公が益山くんだからこそ、この劇を頑張ろうって思えるの」


 水沢さんの真剣な声が、俺の迷いを少しずつ溶かしていくようだった。


「ありがとう……」


「うん、明日からも一緒にがんばろう」


 そう言い合って水沢さんに差し出された手を俺は握った。



 

 ******



 

 その夜、自分の部屋で台本を開きながら、水沢さんの言葉を思い出していた。


『益山くんが主人公で良かったと思うよ』


 ……本当に、俺で良かったのか?


 自分の中で答えはまだ出ていない。


 ──いや、俺でよかったって思うようにするんだろ。

 

 答えはでてないけど、水沢さんがずっと俺に寄り添ってくれるなら、俺はもう少し頑張れる気がする。


 

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