第72話 聖女様と騎士様

「じゃあ、さっそく読み合わせからやってみようか」


 教室の一角で、水沢さんが俺に対してにこやかに声をかけてきた。

 

 今まで、秘密の友達で居た時にはこんなこと出来なかったし、そもそも文化祭で劇の主人公をやることもなかったのだろう。

 姉ちゃんの言葉を借りれば成長、とも言えるだろうし、でもやはりみんなの前で演技する、というのは恥ずかしい。

 

 手に持った台本をひらひらさせながら、やる気に満ちた水沢さんのその姿に、俺は少しだけ気圧される。


「う、うん……やってみる」


 思わず自信のなさが滲む返事をしてしまう。

 舞台の中心に立つなんて、俺には無縁の世界だった。  

 それがどうしてこうなったのか、正直、いまだに信じられない気持ちだった。


 水沢さんが俺の隣に座りながら台本を開く。


「ここからやろう! 益山くんのセリフ、ここね」


 彼女が指差したページを確認し、息を飲む。

 台本には、俺の役のセリフがずらりと並んでいる。

 どれも物語のクライマックスで、他のキャストと感情をぶつけ合う場面だ。


「……大丈夫かな、俺」


 弱音がつい口から漏れた。

 そしてそれを聞き逃さなかった水沢さんが明るい笑顔で首を振った。


「最初から完璧にできる人なんていないよ! 私だって最初は声が震えてたし」


「……そっか」


 彼女の言葉に、少しだけ勇気をもらう。

 つい自分への自信のなさにネガティブになってしまう俺にとって、水沢さんの声掛けはとても救いになっていた。


 台本を持ったまま、緊張で喉が乾くのを感じながら最初のセリフを口にした。


「……俺は、君を……守るって決めたんだ!」


 自分で言うのもなんだけど、ひどいセリフ回しだった。

 棒読みもいいところで、声も小さくて、自分がやっていて恥ずかしくなるレベルだ。


「渚くん、声ちっちゃ!」


 近くで見ていた篠崎さんが、冗談めかして突っ込んでくる。


「篠崎さん……。だって、こんな大声出すの、恥ずかしいんだよ」


「でもさ、舞台って観客に伝わらないと意味ないんだよ? もっと大きな声でやってみたら?」


 篠崎さんの言葉に、周りのクラスメイトたちも頷く。


「そうそう、恥ずかしいのは最初だけだって!」

「俺たち、みんなでフォローするから!」


 教室の中でそんな励ましの声が飛び交う。

 その優しい雰囲気に、俺の緊張は少しずつ和らいでいった。


 再び台本に目を落とし、今度は大きな声を意識してセリフを言う。


「──俺は、君を守るって決めたんだ!」


「おお!いい感じ!」


 水沢さんが拍手をしてくれる。はぁ……やはり純粋すぎるなこの人は。

 そしてそんな水沢さんにつられてみんなからもまばらな拍手が起こる。


 しかし、ほんの少しの変化かもしれないけれど、それが自分でもわかるくらいには手応えがあった。


「渚くん!さっきより全然いいよ!」


 篠崎さんも笑顔で頷いてくれる。

 その言葉と、クラスメイトの雰囲気に励まされ、もう一度挑戦しようという気持ちが湧いてきた。




 

 ******




 


「ここなら静かだし、集中して練習できるよね」


 水沢さんがベンチに座りながら言った。

 クラスのみんなが協力してくれたおかげで、教室での練習も順調だったけれど、2人きりのほうがじっくり取り組める、そんな気がする。


「だな。……それにしても、こういうのって結構体力使うんだな」


 俺がそう言うと、水沢さんが笑いながら頷く。


「そうそう! 舞台に立つのって結構大変なの。でも、そのぶん楽しいよ!」


「水沢さんなんか舞台に立ったことあるの?」


「ん、あごめん!ないけど」


「?」


 いかにも舞台に立ったことのある人の口調だったがないらしかった。

 彼女の純粋な表情からして嘘をついている、とかでもなく本当になさそうだった。怖い怖い。


 しかし、そんな彼女の言葉と雰囲気に少しだけ不安が和らぐ気がした。


「じゃあ、このシーンやろっか?」


 彼女が指差したのは、クライマックスの1つ手前、感情をぶつけ合う場面だった。


 台本を手に、俺たちは何度もセリフを読み合わせる。

 水沢さんのセリフが熱を帯びるたびに、俺もそれに引っ張られるように声に力がこもっていく。


「君がいなくなるなんて、耐えられない!」


 水沢さんが涙を含んだような声で叫ぶ。

 それを聞いていると、本当に彼女が役になりきっているように思えて、俺の胸まで熱くなった。


「だから俺は……君を守るって決めたんだ!」


「騎士様……ありがとうございます……!」


 ──ああ、なんかこれダメだ。


 騎士様とか言われ慣れてないし、セリフの内容も相まって、心臓がなんだかドキドキしてきてしまう。

『君を守る』なんて生きてるうちに使うか分からないセリフなのになんか役に入り過ぎているのか、自分がまるでその言葉を言っているかのようでなんだか気恥しい。


 まぁ役になりきる、という点ではいいことに違いないのだが。

 それもこれも、目の前で真剣な表情をしている水沢さんのせいだ。


「益山くん、いい感じ!」


 水沢さんが嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見ると、恥ずかしさもどこかに消えて、もっと頑張ろうと思えてくる。


「ありがとう水沢さん」


「うん、一緒にこれからも頑張ろうね」


 練習が終わり、公園を出る頃には、少しだけ自信が持てるようになっていた。

 水沢さんの真剣な姿勢に引っ張られるように、自分も変わっていける気がする。


「明日も頑張ろうね!」


 水沢さんが元気よく言う。その言葉が、明日への活力になった気がした。


 

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