第57話 聖女様と親友

 

 夕方の公園は、日が落ちるにつれて静けさを増していった。

 今度は篠崎さんからの提案で、私と篠崎さんとの間で話をしよう!ということになった。


「──もっと仲良くなりたい」

 

 篠崎さんがそう言った。

 そういった時私は思わず視線を落とした。彼女の明るさ、自然さ──それは本当にまぶしくて、羨ましかった。


 でも、それ以上に心がざわつく理由が自分でもわからなかった。


 篠崎さんの目指す「仲良しの関係」。


 それは私がずっと憧れていたものだった。──はずだった。いつも笑っていられる友達、一緒にいて気楽で、何でも話せる関係。

 でも、私が持っていた益山くんとの関係は、それとは少し違っていた。


 益山くんとの「秘密の友達関係」。

 それは特別で、心地よくて、でも繊細なバランスの上に成り立っていた。

 二人だけの時間が守られる限り、私は安心していられたのだと思う。


 だからこそ、篠崎さんの存在がその関係を揺さぶるように感じていた。私たちの関係を崩しに来る邪魔者だと、そう感じてしまった。


「ねぇ、羽音ちゃんはどう思う?」

 

 篠崎さんの声が耳に届き、ハッと顔を上げる。

 彼女の大きな瞳が、まっすぐ私を見つめていた。

 明るいけれど押し付けがましくないその目は、本当にまっすぐで、何かを探るようでもあった。


「……私も、仲良くしたいって思うよ」

 

 口から出た言葉は、私自身でも驚くくらいに素直だった。けれど、その一方で胸の中にモヤモヤが広がる。


 ──本当にそう思っているの?


 心の中でそう問いかける声がした。


 篠崎さんが、少し前から益山くんと仲良くする姿を見て、ずっと複雑な気持ちを抱えていた。

 彼女の明るさに惹かれていく益山くんを見るたびに、「私だけの特別な友達」だったはずの益山くんが遠く感じられて仕方がなかった。


 私と益山くんは、他の人には分からない関係だった。

 放課後や休日にだけ会う、二人きりの時間。

 それが私にとっての「特別」だった。


 それなのに、篠崎さんはそれを邪魔するように、いつの間にか益山くんのそばにいる。


「私の時間を取らないで……」


 そう思ったこともあった。

 もちろん、そんな自分に嫌気がさしたし、篠崎さんが悪いわけではないことも分かっている。でも、心の中のどこかで彼女を責めたくなる気持ちが湧いてしまう。


 篠崎さんは私をじっと見つめた後、少し笑ってこう言った。

 

「羽音ちゃんが本当に思ってること、ちゃんと聞けてよかったよ」


 その言葉に驚いて彼女を見ると、穏やかな笑顔がそこにあった。屋上でのことだろうか。


「私ね、羽音ちゃんも渚くんも、二人ともすごく大切だよ。だから、私のせいで羽音ちゃんが悩んでたんだとしたら、本当にごめんね」


 篠崎さんの謝罪が、私の胸に突き刺さる。彼女が悪いわけじゃないのに。

 むしろ、彼女は私たちの間に入ってくれて、もっと楽しい関係を築こうとしてくれた。


「いや、篠崎さんのせいじゃないの。……全部、私が勝手に悩んでただけ」


 そう言いながら、自分の胸の中を覗き込むような感覚になる。


 私はずっと、「特別」であることにこだわっていたのかもしれない。


 益山くんにとっての「一番の友達」でいたかった。

 他の人とは違う、唯一無二の存在。だけど、それはただの独占欲でしかなかったのかもしれない。


 そして今、篠崎さんが入ってきて、私の中にあったその「特別」の形を壊していく。それが怖かったのだ。


 ──でも、本当にそうだろうか?


 ふと、篠崎さんの笑顔を見て思った。彼女がこうして私に向き合おうとしてくれるのは、なぜだろう?


「……私、本当はこういう友達が欲しかったんだ」


 私はポツリと呟く。

 心の中で、言葉が自然と浮かんできた。


  秘密で特別な関係だけじゃなくて、もっとみんなで笑い合えるような友達関係。

 表面的に仲良くするだけじゃなくて、心の中の弱い部分を見せ合って、それでも一緒にいられる友達。


 ──そんな友達が、ずっと欲しかったんだ。


「私も、ごめんね……」

 

 自然と口から出た言葉に、篠崎さんが目を丸くする。


「私、篠崎さんのこと、ちょっと羨ましかった。……いや、ちょっとじゃないな、すごく羨ましかったのかもしれない」


 その告白に、自分でも驚いた。だけど、言葉にしてみると、不思議とスッキリした気持ちになる。


「羨ましい?」


「うん。だって篠崎さんは明るくて、誰とでも仲良くなれるから。私にはそれができなかったから……それが羨ましかったんだと思う」


 篠崎さんは少し驚いた後、ふっと優しく笑った。


「私だって、みんなの前で明るくしてるけどさ、本当はちょっと不安になることもあるよ。でも、二人といるときは、そういう不安を感じないの。だから、本当の自分でいられる気がして、二人のことが大好きなんだ」


 その言葉に、私は少しだけ救われた気がした。


 横で黙って聞いていた益山くんが、ぽつりと呟いた。


「俺も……もっとちゃんと水沢さんのことを気遣っていれば、こんな風に悩ませることはなかったんだよな。本当にごめん」


 その謝罪に、私は思わず首を振った。


「益山くんが悪いわけじゃないよ。……私が自分の気持ちに気づけなかっただけだから」


「でも、俺も……これからはもっと、ちゃんとお互いのことを考えたい」


 益山くんの言葉に、私は小さく笑った。


 こうして、私たちは少しずつ自分たちの気持ちを言葉にしていった。


 秘密の友達関係は、特別だった。けれど、今はもっと大切なものを見つけられた気がする。


 それは、自分の内面をさらけ出しても受け入れてくれる友達。そんな友達が、ここに二人もいることに気づけたからだ。


「これからも、よろしくね」


 篠崎さんのその一言が、私の心に柔らかな温かさを広げた。


「……うん、よろしく」


 私も、少し照れくさくなりながら返事をした。隣で笑う益山くんの姿に、今までとは違う安心感を覚えながら。


 私たち3人は、これから新しい関係を築いていく。

 かけがえのない「秘密の友達」なんかじゃない、「特別な友達」と共に。


 人はみんなこんな友達のことを親友と呼ぶのだろう。ふとそんなことを思った。

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