第55話 聖女様と屋上
放課後の教室には夕方の柔らかな光が差し込み、生徒たちが次々と帰宅の準備をしていた。
しかし篠崎有美は自分の席でじっと考え込んでいた。授業中や休み時間に見せていた明るい笑顔はどこへやら、今は少しだけ曇った表情を浮かべている。
「……水沢さん、どうしちゃったんだろう」
昨日の出来事が彼女の頭から離れなかった。
羽音から向けられた冷たい態度──特に「あなたといると益山くんが遠く感じる」という言葉。
有美はその場の雰囲気に耐えきれなくなってしまい、思わずその場を後にしてしまった。結果羽音の本当の気持ちを聞き出すことができなかった。
普段、どんな人とも自然に距離を縮められる篠崎にとって、あの態度は初めての経験だった。
「水沢さんに何か嫌われるようなことをしたのかな……」
彼女はその場を離れてから何度も考えたが、答えは出ない。
渚を遠く感じると言われても、自分には思い当たる節がない。
「……でも、何か理由があるはずだよね」
篠崎はそう呟くと、小さく頷いて立ち上がった。
彼女の胸の中にあったのは、困惑と悲しさではなく、純粋な「向き合いたい」という思いだった。
「よし、話しかけよう」
彼女は小さく拳を握り決意を固めた。
******
私──水沢羽音は学校の屋上にいた。
ここは私が考え事をするための秘密の場所だ。
風が心地よく、目の前には広がる青い空。
けれどその広々とした空が、今日はどこか重く感じられる。
「……どうして、あんなことを言っちゃったんだろう」
昨日の篠崎さんとの会話を思い出すたびに、胸が締め付けられる。
自分でも驚くほど冷たい態度を取ってしまったことに、後悔の念が募っていた。
「別に篠崎さんが悪いわけじゃないのに……」
篠崎さんは天然で明るくて、みんなに好かれる魅力的な人だ。
それに、彼女が益山くんを遠ざけようとしているわけではない。
むしろ、自分と益山くんとの友情の中に踏み込むつもりなんてないのだろう。
彼女は色々な人と仲良くなりたい、その一心で私たちと仲良くなろうとしているのだと思う。
……しかし。
「なのに、どうして私は……」
私は自分の気持ちがわからなかった。
益山くんと篠崎さんが仲良くしているのを見て、どこか寂しさを感じる。
でもそれは、ただの「友達としての寂しさ」ではないような気がしていた。
その時、屋上の扉が開いた音がして、羽音はびくっと反応する。
扉の向こうから現れたのは篠崎有美だった。
「……篠崎さん?」
「見つけた! 羽音ちゃん、ここにいるってなんとなく思ったんだ」
篠崎さんは息を切らしながら、私の方に歩み寄った。
その姿に私は思わず目をそらしてしまった。
昨日のことを思い出してしまい、顔を合わせるのが気まずい。
「水沢さん、昨日のことなんだけど……」
しかしそんな様子の私に対して、いい意味でお構い無しに彼女は優しい声で切り出した。
その声が、私の胸に突き刺さる。
「……私、何か嫌われるようなことしちゃったのかな?」
その言葉に羽音は顔を上げる。
篠崎さんの表情は真剣そのもので、いつもの陽気な雰囲気は少しも感じられなかった。
「嫌ってなんかない……」
私はそう否定したが、自分の言葉がいかに曖昧で空虚に響いているか、わかっていた。
それでも、その言葉を受けてもなお、彼女ははそれでも私を見つめ続ける。
「そっか……でも、昨日羽音ちゃんが言った言葉、ちょっとだけ悲しかったな。私、渚くんのことも羽音ちゃんのことも友達として大切に思ってるから……」
その一言に、私の胸が締め付けられた。自分が篠崎さんを傷つけたことに改めて気づく。
しかしそれと同時に彼女の言葉から本気で彼女が私に向き合おうとしていることを察した。
なぜなら上辺だけの関係なのであれば、自分が嫌だと思ったことをわざわざ言ったりはしない。
昨日の言葉は悲しかった、だけどそれでもあなたと向き合いたい、仲良くなりたい、という篠崎さんの気持ちがとてもよく伝わってきた。
そんなことを考えていたら気づけば私の目からは涙が零れそうになっていた。
「ごめん……本当にごめんね……」
私は泣きそうな声でそう言った。
前にいる篠崎さんは驚いた表情を見せたが、すぐに私の隣に座った。
「どうして謝るの?」
「……篠崎さんに、ひどいことを言っちゃったから」
「でも、何か理由があったんでしょ?」
私は上手く答えられなかった。
自分の中でくすぶっている感情をうまく言葉にできなかったからだ。
篠崎さんがその沈黙を静かに待つ中、私はぽつりと呟いた。
「……私、益山くんといる時間がすごく好きなんだ。それが、篠崎さんといるときに……少し遠く感じちゃって……」
自分でも何を言っているのかわからなかった。
ただ、胸の中のモヤモヤを少しでも軽くしたくて言葉を紡いだ。篠崎さんが私の気持ちを全て受け止めてくれる、そう信じて。
篠崎さんは私の言葉に一瞬驚いたようだったが、すぐに微笑んだ。
「そっか、渚くんのことが大切なんだね」
その一言が、私の心を大きく揺さぶった。
「私、わからない……渚くんのことが友達として大切なのか、それ以上なのか……でも、ただ篠崎さんに嫉妬してるだけなのかもしれない。そんな自分が嫌で……」
私は顔を両手で覆い、言葉を詰まらせた。
篠崎さんはそっと私の肩に手を置いてくれた。
そしてその手からは彼女の温かさを感じた。
「いいんだよ、羽音ちゃん。その気持ちがどんなものなのか、すぐに答えが出なくても。……でも、私があなたから渚くんを奪おうとしてるわけじゃないってことだけはわかってほしいな」
「……篠崎さん……」
「私ね、羽音ちゃんと渚くんの二人が仲良くしてるの、すごくいいなって思ってるんだよ。本当にお似合いだなって」
その言葉に、私は驚いて顔を上げた。篠崎の目はまっすぐで、そこに嘘偽りは感じられなかった。
「だから、私が二人の間に割って入ってるって思ってたなら、ごめんね。でも、私はこれからも羽音ちゃんとも渚くんとも仲良くしたい。……ダメかな?」
私はその言葉にじっと耳を傾けた。
そして、自分が篠崎に対して抱いていた気持ちが少しずつ和らいでいくのを感じた。
「……ありがとう、篠崎さん。私、ちゃんと考える……自分の気持ちも、これからのことも」
そんな私の言葉を受けて篠崎さんはニッコリと笑い、私の手を軽く握った。
「うん!私のためにいっぱい考えてくれてありがとう、私たち、これからもっと仲良くなろうね」
私はその言葉に小さく頷き、心の中に温かい何かが芽生えるのを感じた。
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