第38話 聖女様と開く距離

 それからというものの、俺と水沢さんの間に微妙な空気が流れ始めていた。


 これまでのように自然に笑い合えなくなり、どこかぎこちない時間が続いている。

 原因は、俺が心のどこかで抱え込んでいた嫉妬心と不安だ。


 俺は水沢さんが他のクラスメイトたちと楽しそうに遊んでいる姿を見てから、どうしても距離を感じてしまっていた。


 これまで二人で過ごす時間が当たり前だったのに、今では彼女が他の人たちとも同じように楽しんでいる。

 それが、俺にとっては不安で仕方なかった。


「……益山くん、最近少し元気ないよね。大丈夫?」


 水沢さんは、いつものように気遣うように声をかけてくれる。

 それでも、俺はその優しさに素直に向き合えない自分がいた。


「うん、大丈夫だよ。特に何もないし。」


 そう言って、軽く笑ってごまかす。

 それがどれだけ不自然な笑顔か、自分でもわかっている。けれど、それ以上何も言いたくなかった。


 水沢さんに、こんな嫉妬じみた感情をぶつけるのが怖かったんだ。


「そう?なんか、少し距離を感じるような気がして……。私、何か間違ったことしちゃったかな?」


 水沢さんが少し不安げな顔でそう言った時、俺の胸がぎゅっと締め付けられた。


 彼女は自分を責めているんだ。

 俺がこうして曖昧な態度を取っているせいで、彼女を傷つけてしまっている。


「いや、そういうわけじゃないんだ。別に、水沢さんが悪いわけじゃないよ。」


 俺は慌ててそう返すが、気持ちがこもっていない言葉に聞こえただろう。

 水沢さんの表情は、どこか寂しそうに曇っていく。


「……本当に?なんか、益山くんが最近少し遠いなって思って……。」


 ──遠い。


 その言葉を聞いてとても怖くなってしまう。このまま俺と水沢さんが離れ離れになってしまったら……。そんなことを想像するとめちゃくちゃ怖い。


 水沢さんの言葉に、俺は胸の奥に隠していた嫉妬心と不安が一気にこみ上げてくるのを感じた。

 でも、それを言葉にすることができないまま、ただ曖昧に頷くしかなかった。


「ごめんね、気にしすぎたかも。私が勝手に思い込んじゃったのかな……。」


 水沢さんはそう言って、俯いてしまう。その姿を見ると、俺は本当に自分がひどいことをしているんだと自覚した。


 でも、どうしても正直に話せない。自分が嫉妬しているなんて、そんなことを言ったら彼女をもっと困らせてしまう気がしたからだ。


「いや、水沢さんは何も悪くないよ。俺が勝手に考えすぎてるだけだから……」


 それだけを言って、俺は視線をそらした。

 こんな曖昧な言葉じゃ、彼女に何も伝わらないのはわかっている。それでも、今はこれ以上どうしようもなかった。


 しばらくの沈黙が、俺たちの間に流れる。これまでのように、気軽に話せないこの空気が、俺の心にさらに重くのしかかってくる。


「益山くんが何か悩んでるなら、私に話してほしいな。友達なんだから……」


 水沢さんの声が、静かに響いた。

 『友達なんだから』。

 その言葉に、俺は少しだけ心が揺れた。


 彼女は、俺のことを友達として本当に大切に思ってくれている。

 なのに、俺はこんなくだらない感情で、彼女との関係を壊そうとしているのかもしれない。


「……ありがとう。……でも、今はまだ、ちゃんと話せる自信がないんだ。」


 そう言って、俺は彼女の顔を見ることができなかった。

 水沢さんは何かを言いたそうにしていたけれど、結局それ以上何も言わず、ただ静かに頷いた。


「わかった。無理に言わなくてもいいから、益山くんのペースで話してね。」


 その言葉が、逆に俺の胸に突き刺さった。

 彼女は俺のことを理解しようとしてくれているのに、俺は何も返せていない。


「ごめん、俺……。」


 ぼそっと呟いて俺は何か言おうとしたが、結局言葉が出なかった。

 これ以上、彼女に何を言えばいいのかわからなかったんだ。


 そのまま、俺たちは静かな時間を過ごした。

 これまでなら、この公園での時間は心地よいものだったのに、今はただお互いに距離を感じるだけだった。



 


******



 


 一方で、水沢羽音は益山渚との間に生まれた微妙な空気を、どうしていいかわからずにいた。


 彼の態度がどこか変わったことに気づいてから、ずっと彼のことが気がかりだった。


「私、何か間違ったことをしたのかな……」


 羽音は公園からの帰り道、一人でぽつりと呟いた。


 渚との間に流れるぎこちない空気が、自分のせいだと思い込んでしまう。それが、彼女の胸を締め付けていた。


 彼が何も言わないからこそ、羽音は自分を責めてしまう。

 もしも彼に何か気に障ることをしていたのなら、すぐに謝りたい。でも、彼は何も言わない。

 それが、羽音にはもどかしかった。


「益山くん……どうして、何も言ってくれないんだろう……」


 そう呟きながら、羽音は足を止め、夕焼けに染まる空を見上げた。


 友達として、彼ともっと向き合いたい。だけど、彼が心を閉ざしてしまっているように感じてしまう。


「私にできること、ないのかな……」


 羽音は小さなため息をつくと、もう一度前を向いて歩き始めた。

 渚と過ごす時間は、本当に特別なものだ。だからこそ、今のこの距離が苦しかった。

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