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第52話
夏葉を初めて見かけたのは、静かな景色の中だった。
食事に訪れた店を出ると、その店の庭園を眺めていた男女の客の会話が耳に入った。
「──日和ちゃんじゃないよね?」
「はい。日和の妹の夏葉です」
「何だ、そっちかよ。俺、日和ちゃんが良かったんだよね。日和ちゃんじゃないなら、この話受ける意味ないんだよ」
女を置き去りにして離れていく男に向かって、不釣り合いなほど背筋を伸ばした女は頭を下げた。
「説明が及ばず申し訳ございませんでした。今後ともご贔屓にしていただければ幸いです」
顔を上げた女の横顔は凛としていて、緩むことも崩れることもない。背筋の伸びた姿勢も、意識のどこかに跡を残した。
その次の週、気が向いたのでクラブに入り酒を飲んでいれば、場に馴染んでいない1人に目が向く。時間が止まる錯覚と、空間が沈静する錯覚が折り合い混ざり合い、たった1人を浮き彫りにする。
服装は違っても照合は簡単だった。緩まない崩れない引きしまった表情に、ぴんと伸びた背筋。ああ、あの日の、とすぐに一致した。
「──私にとっては、ただクラブで出会っただけの男ではないわ」
夏葉の言葉をそのまま返すだけの根拠が、こっちにだってあった。
夏葉は俺にとって、ただクラブで会っただけの女ではなかった。
背を丸めることがない。痛いほど澄んだ瞳を容赦なく向けてくる。言葉の端々から純粋さが見え隠れする。言ってしまえば、タイプだった。
「あなたに恋をしたいのだけど」
だから、頷いても良かった。
歪みない態度が崩れてもそのままでも、微笑すらしない表情が崩れてもそのままでも、鎧の奥から弱々しい人間が現れても鎧自体が表皮だったのだとしても、密な夜を楽しめることはわかっていた。
でも受け入れなかった。垣間見える「恋」に寄せる認識の齟齬を無視できなかった。
拒絶しても拒絶しても店にやって来て隣に座り、穢れのない、夜の似合わない女の興味を一身に受ける。退屈な日々の一部に色が付く。
こういう感覚は久しぶりだ。「恋」と呼ぶほどではない些細なものを寄せ集めて、詰め合わせて、レンアイのレッテルを張るのも悪くない。それはいつかの恋と似通った体験となるだろう。
でも、夏葉は「俺に恋をしたい」と言った。1人で完結させることを前提とした提案にそのまま頷いてしまうのは、面白くない気がした。
いや、ただ気に入らなかった。
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