第48話



店を出る不破を黙って見送っている私の肩を日和が掴んで「何してるの! 早く行かないと!」と叱咤して、千尋くんが私のコートと鞄を手渡して「頑張れ」と笑って、思考を置き去りにして、私は不破を追いかけていた。


コートと鞄を抱え、外に出る。道には迷わない。雑踏の中だって、不破の背中はすぐにわかる。



「不破!」



駆け出して不破の腕を掴めば、不破は特に驚くこともなく私を見下ろした。



「待って、ねえ、ちょっと待って……」

「待ってるだろうが」



不破は呆れて、呆れながら私の手からコートを取って私の肩にかけた。



「何? 千尋くんはもういいの?」

「……いい。それどころじゃないもの」

「じゃあ帰るか」



不破は再び歩き始めようとする。


その腕を両手で掴んで引き留め、不破を見つめた。



「ねえ、さっきの、どういう意味?」

「何が?」

「長い付き合いどうこうってさっき言っていたでしょう。どういう意味?」

「どうもこうもねえだろ。そのままだよ」



不破は面倒臭そうに私を見下ろす。


ああ、この目。この静かな目。彼の瞳は熱っぽさとは無縁だ。ほら、やっぱり。やっぱり、期待するからいけないんだろう。



「──私に気があるの?」



そうするべきだと思ったから、恥を忍んで尋ねた。



「まあ、それなりに」

 


不破の答えは曖昧だ。



「あの場ではああ答えるのが最善だっただろ」



不破の腕を掴む手がほどけていく。


以前、不破の方も好意を寄せる必要があるのかと問われたとき「いらない」と即答できた。


1人で恋をするつもりだった。不破に恋心を抱いたとしても会ってくれれば、それで良かった。触ってくれなくていい。キスも戯言もいらない。千尋くんへの恋が過去のものになりさえすれば、現在進行形の恋はどうでもいい。そのはずだった。



でも、どうせ、苦しいのか。


1人で完結させると意気込んでも、許されれば初心を忘れて、欲張りでわがままになっていく。どうせ期待して、どうせ触れたいと思って、どうせ些細なことに心が動いて、どうせ、苦しい。



「……ありがとう。助かったわ」



住む世界の違う人。


そうでなくとも外れの方の手に負える人はいない。



「でも、千尋くんのことは大丈夫だから、もう気にしてくれなくていい」

「へえ」

「鍵、返して」



手を差し出す。


不破は口の端を曲げた。



「ああ、そういう?」

「ええ」

「終わりにすんの?」

「平気になったのに、これ以上あなたに甘えるわけにはいかないでしょう」

「そう」



不破は、ポケットから手を抜き、軽く丸めたまま手を私の手の上に置く。そうかと思えば手を開いて私の手と重ね、ぎゅっと握りしめた。



「嫌」



不破の手に鍵はない。



「意味わかんねえわ。俺はあんたに付き合ってやってるわけじゃねえんだよ」



不破は私の手を引っ張って歩き出す。


足がもつれ、うまく歩けない。



「……いや……ねえ、でももう、そんなことをする必要はないのよ」

「前の男忘れたからだろ?」

「そう」

「俺のことが好きなんだろ?」



不破は手を離し、肩を引き寄せ囁いた。



「俺ら、大義名分がねえとだめなの?」



不破はどこまでも沈ませようとする。


ここは安心する。ここは優しい。ここは苦しい。ぐらぐらと足元が揺れて、浮遊感があって、現実感がなくて、日向だけど肌寒い場所を連想する。ここは苦しい。満たされた瞬間から枯れていく。



「……あまり好きになりたくない」



ぼそっと呟けば、不破は他人事のように笑うのだ。



「選んだ相手が悪かったんだろ」

「ほんとにそうね」

「認めんのかよ」



だって、不破以外が相手であれば私、もっと物分かりがいい。こんなにわがままじゃない。こんなに欲張りじゃない。私はもっといい子にできる。


底も見えない場所に飛び込んだりしない。




     

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る