第41話


それから音沙汰もなく、2月に足を踏み入れる。


バレンタインに日頃のお礼の意味を込めてプレゼントを渡すのもいいかもしれない、と思ったこともあったが、いつ会えるかわからないので諦めた。食べ物は傷んでしまう可能性があるし、物を渡すにしても、そもそも不破の好みや職業をはじめとした情報を知らないのだ。満足させられるものを探し出せるとは思えなかった。



不破を喜ばせたい。不破のことを知りたい。


それらの欲は両立できるのかがわからない。



2月の第一金曜日の夜のこと。21時頃、不破からメッセージを受け取る。



【一哉の店行くけど来る?】



以前会いたいと言われたときもそうだった。来るかと問われれば行きたいと思ってしまって、ソファーでくつろいでいた私はすぐに出かける準備を始める。


千尋くんのときとは違う。不破と会うことに緊張はない。背伸びはしない。日和を模倣する私はいない。ただ、胸が弾む。指の先まで熱が行き渡る。鼓動が早くなるのに落ち着く。生じるのは窮屈な変化ではない。



電車に乗って、一哉さんのお店の最寄駅で降りる。夜の気配の濃い人並みをかき分けて、改札を抜け、店の方へ歩き出せば、誰かが私の腕を掴み視界に割り込む。



「──夏葉、」



それは呆れた顔をする不破だった。



「……どう、したの?」

「どうしたのじゃねえよ。まず返事をしろよ」

「返事?」

「来るかって言われたら、来るか来ないかどっちか言え。来るなら来るでタクシー呼ぶとかいろいろあんだわ、こっちにも」



コートも着ずに背を丸める不破は、寒そうに息を吐き歩き出す。


後ろに続きながら、私はマフラーを外した。



「迎えにきてくれたのね。ありがとう。気を付ける。でもタクシーは必要ない」

「あそ」



寒そうな不破の首に私のマフラーをかけた瞬間、不破と視線がぶつかった。



「じゃあ家まで迎え行くわ」



静かな瞳に見下ろされる。



この目に欲を見たことも、この目がひどくとろけたこともないけど、優しく緩んだことがある。暗がりの中で聞いた無防備な吐息を知っている。


脳裏にそんなことが浮かべば、勝手に口が開いた。



「2週間は長いわ」



突拍子もない発言に、不破は少し驚いた顔をした。それも束の間だった。不破はどうしようもなくおかしそうに笑った。



「ああ、そう」



不破は雑に私のマフラーを巻くと、今度首元の大きく開いた私の肩を引き寄せ、自分にもたれかからせた。


大人なのに人目のあるところで寄り添うなんて、と理性が働いても、不破の腕のくれる穏やかな場所から抜け出せない。誰に後ろ指をさされても、まだここにいたいと思ってしまう。



不破は「さむ」と呟いたついでみたいに言った。



「一哉、最近夏葉が来ねえって喚いてる」

「そう言われてみれば、最近行っていないわ」

「俺が何かしたせいだって濡れ衣着せられてんの」

「そうなの?」

「今日行くのやめるか」



予想と異なる着地点に、不破を仰ぐ。



「2週間ぶりだしな」



そんなふうにからかう顔は、嫌いになれない。


何と答えるのもためらっていれば、不破は私の答えを見透かしたように「俺んちでいい?」と話を進める。



「……ホテル?」

「じゃない方」

「じゃない方……」

「家の場所覚えといて」



例えば、3月に退去する部屋の鍵を求める。自宅の場所を覚えるように言う。高速道路を走って1時間かかる距離を問題視しないところだって、そうだ。不破は当たり前のように特別扱いをしたり、当たり前のように少し先の未来を見すえたりする。


その“当たり前”の理由がわからない。


最も適した言い方をするならば大人の関係と言い表せよう不破と私の間に、特別感や持続性への期待を寄せるのは、あまりにふさわしくない。



     

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