第39話


不破は、ため息を吐いていて再び抱きしめる。



「ごめんなさい、しばらくこのままがいい」

「わかったよ」

「ごめんなさい」

「はいはい」

「ごめ……」

「しつけえ。わかったっつの」

「違う」



私は不破の首筋に擦り寄る。



「あなたがつらいときは何もしていないのに、ごめんなさい」



不破があさみさんに恋をしていたとき、私は何にもしていない。


こんなに態度の大きな不破が泣くときにも、2人が別れるときにも、不破の兄弟と結婚されたときにも、過去に思い馳せて傷が痛むときだって、私はそうと知ることすらしていないのに。



不破にとっては私の懺悔など無関心の対象らしい。



「こんな小娘に何求めんだ」

「……小娘じゃないわ」

「小娘だろ。してもらいたいこともねえよ」

「嘘ね。してもらいたいことがあるから、過去にあったから、今こうして私の前にいるのよ」



同じ状況下に置かれたときに何かを望んだから、今夜、不破は私を抱きしめにきたんだろう。


すると、不破は束の間黙って、それから「そうかもな」とぼそっと呟いた。そんな、諦めたような、脱力したような呟きが、私にはとても無防備に聞こえる。



「次あなたに何かあったら、私を頼って。今度は私がそばにいるわ」

「ああ、そう。どうでもいいよ」



私の心からの決心を受け流すと、不破は体を離し、私の顔を覗き込んだ。口調や表情はそのままに泣き続けている私に呆れている。



「まだ泣いてんのかよ」

「止まらないのよ」

「静かに泣くのどうにかなんねえのか」

「どうやって泣きながら騒ぐのよ」



私が手の甲で強く涙を拭うと、不破はその手首を掴んだ。反射的に眉を寄せる私に不破の顔が寄る。色気もない唇が重なるだけのキスをして、不破は首を傾けた。



「止まった?」

「……あ、涙? いえ、全然止まらない」

「だろうな」

「だろうなって何よ」

「あさみが言ったんだよ、泣いたとき、キスしたら止まるって、まあ、冗談で。それを今思い出した」



あさみさんの具体的な話を聞くのは初めてだった。このときようやく、私の空想上のあさみさんという人に体温が植え付けられた。



「あさみさん、可愛らしい方だったのね。どうせ、あなた、振りまわされてばかりだったんでしょう」

「そんなぼろぼろ泣きながら、よく強気に出られるな」

「でも、あさみさんは本当に止まったんだと思うわ。誰かを泣き止ませられるってすごいことよ」



あさみさんを知らないのに、涙が出たあさみさんが不破にキスされて笑顔に変わるところが、なぜか簡単に思い描かれる。幸せの縮図のようなそれは、とても微笑ましかった。


不破は「純粋培養」と嘲って、故障したかのように涙を落とす私の頬を撫でた。



「浅海はどうやったら止まんの?」

「……その、あさみと浅海がややこしいわ。何とかしてくれない?」

「お義姉さんっつったらいか?」

「いや、そんな身を削ってくれなくてもいいけど」

「俺はそんな繊細じゃねえよ」



不破は苦笑して「じゃあ夏葉」と頬に口付ける。


音を立てて離れるキスや名前を呼ばれたこと。些細なものだと高を括っていたが、案外そうでもなかった。



「……名前、覚えていたのね」



誤魔化すように目を伏せれば、不破は動揺のおさまらないうちに、その上からさらなる動揺を植え付けようとしてくる。



「夏葉、俺の彼女になる?」



想定外の衝撃を受ければ、頭の中はこんなにも真っ白になるらしい。


彼女。あまりに馴染みのない単語を反芻する。頭をフル回転させて不破の真意を理解しようとする。そのうちに涙が止まっていて、不破はそんなことを面白がった。


不破の表情が変わると嬉しい。どんなときだって。



「……そこまでしなくていい」



不破の肩に額を押し当てる。



「ただ、不破とはいろんなことがしたい。いろんなところに行きたい。いろんなことを教えてほしい」



この人にもたれかかったら、きっと、どこまでも沈んでしまう。



「いけない?」



不破に抱く私の感覚の重さとは釣り合わない。



「いや、いいよ」



不破は軽々と了承する。



     

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