第35話


午後17時55分、待ち合わせのカフェにて、先にテーブル席についてメニューを広げていると、突然誰かが視界の端に映った。



「夏葉!」



屈託のない笑顔を浮かべる千尋くんだ。



「夏葉久しぶり。元気だった?」

「うん。千尋くんも変わりない?」

「俺はすげえ元気。ありがとね」



千尋くんは正面に座ると、身を乗り出して同じメニュー表を覗き込んだ。



「ここハンバーグがおすすめ。前日和と来たんだけどさ、チーズがいっぱい入っててまじで旨いの」

「へえ。美味しそう」

「夏葉、チーズ好きでしょ。じゃあ絶対そのハンバーグ大好きだよ」

「それにしようかな」

「うん。俺もそれにしよう」



千尋くんは店員さんを呼んで、飲み物と合わせてオーダーを済ませる。


2人になると、少し首を傾けて私と目を合わせ、とても嬉しそうに笑った。



「やっと夏葉に会えた。日和にも会いたいって言ってたんだけど、全然会ってくんねえんだもんなあ」

「前回会ったのは夏だったわね。日和と結婚するって聞いたとき」

「そうそう。夏に会ったのも半年ぶりとかで、しかもさ、それ1時間くらいだったでしょ? 日和とはしょっちゅう会ってんのに、俺、半年に1回で1時間よ?」



私と会う頻度が少ない程度の問題で、千尋くんは不満そうに口を尖らせる。



「夏祭りに誘っても来ないし、初詣も断るし、帰省中は忙しいからって会ってくれないし」

「帰省中忙しいのは本当だし、夏祭りや初詣は日和と2人で行くのがいいと思うわ」

「でもさ、夏葉は友達じゃん。彼女と2人でいたいのはもちろんだけど、友達と遊びたいって思うのだって自然なことでしょ」



千尋くんはいつだって、当然のように私を日陰から連れ出そうとする。


千尋くんが眩しく感じて、私はつい目を逸らした。



「私は、カップルに混ざって行動するのが居た堪れないので苦手なの」

「じゃあ夏葉も彼氏早く作ってよ。そんで4人で遊ぼうよ」



コンビニに行くみたいに彼氏を作れと言うのはそっくりだな、なんて、日和との小さな共通点に笑いそうになる。



「彼氏はそう簡単にできないわ。ごめんなさい」

「好きな人とかもいないの?」

「いないわ」

「まじかー。夏葉、ずっと好きな人いないもんね」

「ええ」

「理想が高いとか?」

「そうかもしれない」

「ふーん」



千尋くんは疑うみたいな目で私を見ていたが、それ以上は何も言わず、背もたれに背中をつけた。



「俺、夏葉に彼氏できんの楽しみなんだよね。ずっと助けてもらってたから、今度は俺が夏葉の助けになりたいんだ」

「助けたことなんてないわ」

「でも俺は全部嬉しかったし助かったよ」



あやすみたいに微笑む千尋くんのその顔が、なぜか妙に胸を揺さぶろうとする。


胸のどこかを掴まれる。そこを強く動かされる。それは、千尋くんが笑ったとき、千尋くんが暖かい言葉をくれたとき、千尋くんが「夏葉」と呼ぶとき。すると、泣きたくなって、私はいつも泣きたい気持ちを誤魔化すことだけに精一杯になる。



    

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