第33話
不破は、窓から暖色の光が漏れる白い壁のお店の扉を開いた。不破だけを飲み込んで閉まる寸前で扉を掴み、顔を覗かせる。そこは、夜の印象を抱かせながらも柔らかな雰囲気のお店だった。
黒いシャツを着た男性と話していた不破は、カウンター席の奥に向かいながら、私の方を指した。
「客」
男性は私を見て「いらっしゃいませ」と微笑む。その男性こそが、この店のオーナーの一哉さんだった。
私は何せこういうお店に入ったことがなく、そればかりか、不破の同伴者なのかストーカーなのか、自分の立場を把握できていないという状況である。扉のすぐそばに立ちすくんだまま、恐る恐る「お邪魔します」と頭を下げた。
「なになに、珍しい、穂高の女の子?」
「ついて来たんだよ」
「ついて来た?」
「クラブで睡眠薬飲まされそうになってるところを助けた男に、お礼に一杯付き合ってって言われて、のこのこついて来た」
椅子に腰かけ、一哉さんに説明を終えた不破は、こっちを横目に見た。
「こっち座れよ、危機意識のねえお嬢さん」
誰の目にも明らかなほどの嘲笑を浮かべている。
呼ばれるままにふらふらと不破に寄って、不破が引いた椅子の近くで足を止めた。
「馬鹿にしているんでしょう」
「事実を言ってるだけだろ」
不破は、隣の椅子を軽く叩いて座るよう促す。不快になりながら腰を下ろせば、不破は黙ってやはり嘲った。
一哉さんは、不破に「あまりいじめるな」と注意をして、私に何を飲むか尋ねた。
「お酒がだめなので、ノンアルコールのものをいただきたいのですが」
「ノンアルコールね。どんな味が好み?」
「え、っと……」
飲み物にも詳しくない私はオーダーに困って、何を血迷ったのか、隣の席の不破を窺った。不破は一瞥もくれず「適当に作ってやれば」と一哉さんに向かって雑なオーダーを投げる。
助けていただいたのでお礼を言うと、不破はお礼を受け取らず、頬杖をついた。
「あんた、睡眠薬飲まされそうになってたんだよ」
「睡眠薬……」
「そういう悪い輩もいんの。なんであんなところ行ってたのか知らねえけど、警戒心も知識もねえなら、ああいうところには行かねえ方がいいんじゃない?」
あの男性3人に渡された綺麗な青色の液体が、睡眠薬だったのだろうか。あれを飲んでいたらどうなっていたのか。もしかすると臓器売買に利用されていたかもしれない。殺されていたかもしれない。
考えれば恐ろしく、今頃手足に力が入らなくなる。
「助かりました。ありがとうございました」
不破に体の正面を向けて頭を下げ、心の底からお礼を口にする。
不破は、そんな私の肩を掴んで顔を上げさせた。手にはカクテルグラス。淡いピンク色に染まった液体が入っている。
「んで、これがあんたのな」
「あ、すみません、ありが……」
「あの連中が睡眠薬使ってるってなんで俺はわかったんだろうな? 常習犯はどっちだと思う? 俺と一哉は組んでるかもしれねえし、これに薬混ぜてんのかもしれねえよな。酒が入ってねえ確証もねえしな」
「…あ、」
「これが警戒心」
一哉さんが奥で「俺はそんなことしないよ」と言っているが、不破は相手にもしない。私の肩から手を離すと、私の前にグラスを置いた。
ピンク色の液体を見下ろして、一哉さんを見上げる。一哉さんは苦笑して首を横に振っている。再びピンク色の液体を見下ろして、それから、不破を見上げた。
涼しいばかりの横顔は、ともすれば冷たく見える。でも、それは青い炎みたいなものだと感じた。
「──あなた、いい人ね」
不破は笑う。
「こいつ、全然だめだわ」
まず最初に気に入ったのは、そんな、感情をどこかに放り投げてきたみたいな粗雑な笑い方だった。
そのとき、この出会いに意味付けをしたいと思った。
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