第32話
あの日クラブに行ったのは、全てがどうでも良くなったから。
というよりも、少し、助けてほしかった。
日和からクラブには軟派な男の人が集まると聞いて、興味を持った。
「絶対夏葉は行かない方がいいよ。しつこいらしいし、勝手に触ってくるらしいし、夏葉なんかすぐホテルに連れ込まれちゃうよ」
「そんなことないでしょう」
「とにかく夏葉は行っちゃだめ。夏葉が悲しい思いするのは、私、絶対嫌だから」
日和は心配してくれたのに、私は、それは悲しい思いなのかな、と思った。
調べると、クラブは暗いようだし、お酒も出しているようだったから、条件はいい。相手を選ばない人が集まる場所なら、なおのこと好条件だ。もしも、日和じゃなくて私でいいと言う人がいるのなら、一度でいい、会ってみたかった。
クラブに行った。音がうるさくて、人と人の距離が近くて、露出面積の広い人であふれている、異空間のような場所で、不破に出会った。
1人だけにスポットライトが当たったみたいで、何かすごく宝物めいたものを見つけた気がした。
「──初めて?」
「どうして?」
「馴染んでないから」
この人といれば私は変われるんじゃないかって、そんな期待を孕んだ予感が走ったことをよく覚えている。
不破は「気を付けろ」と忠告した。頭では、この大勢の中からあえて私を選ぶ誰かはいないと考えていたから、聞き流した。
でも、軟派な人というのは私の想像以上に奔放だった。3人ほどの男性に囲まれた。彼らは私に親しげに話しかけて、笑顔を安売りして、腰を抱いて、青色の液体の入ったグラスを渡した。「飲んで」と言われたので、恐縮して受け取って、グラスに口をつけようとした。
その寸前で、後ろから肩を引かれた。振り返れば、真後ろに不破がいた。不破は何も言わずに腕を引いて、出口に向かって歩き出した。3人の男の人たちが何か言った気がして振り返ろうとしたら肩を抱かれて、庇われながらクラブを後にした。
表に出ると、不破は呆れた顔を向けた。
「あんたクラブ向いてねえよ」
迷惑をかけたことを詫び頭を下げる私のことはうっとうしそうにあしらっておきながら、不破は優しかった。
「駅まで送るわ」
そうするのが当たり前かのように歩き出した背中が、広くて、大きくて、こんな人がいるのかと胸が暖かくなったが、お言葉に甘えるつもりはさらさらなかった私は申し出を断った。
「お構いなく。それより本当にごめんなさい。お時間割かせてしまって、お手数を。お礼をさせてください。ギフトカードなら今手元に」
前もって買ってきたギフトカードを求めて、鞄をごそごそと探る。
その腕を掴んで、不破は言った。
「じゃあ、一杯付き合って」
欲もなく喜怒哀楽の感情もない目は、とても静かで、簡単に飲み込まれてしまいそうだと思った。
「…わたしがですか?」
「カードもらうやつはいるわけねえと思わねえか?」
不破はまるで馬鹿にするみたいに口の端を曲げて、駅と反対方向に歩き出した。
目的地は聞いていない。会話もないし、振り返りもしない。歩くペースははやくて、気を抜けばきっと簡単に背中を見失う。でも、追いかけた。慣れない夜の街をただ1人だけを見て駆け足で進むのは、現実的でなく、少し楽しい気がした。
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