第29話


軟弱な不破の片鱗を見せる目から、次第に感情が遠のいて、脱力だけが残って、不破は頬を掴む手の力を少し強めた。



「――気に入らない」



体を支えていた手を折って、倒れ込んできた。


加減はされているのだろうが、圧死の一言が過る。



「どうでもいんだわ。あんたが誰を好きだろうが、何目的で俺に近付いてようが」

「そうでしょうね」

「忘れさせてやるなんて思ったこともない。あんたがそいつを忘れても忘れられなくても、俺に惚れても惚れなくても、泣いても傷ついても怒っても喚いても、くそどうでもいい」

「ええ」

「でも、気に入らない。意味ねえもんにすがって、期待して、下心で動いてるだけの男信用して、腹ん中見せて、ほんと馬鹿じゃねえの」



近付いても近付いても遠くにいるように感じさせる不破が、今、とても近くにいる気がした。



「私は不破ではないもの」



すると不破は体を少し起こし、私の頬を引っ張る。


ものすごく苛立っているような表情をしている。



「うるせえ。何だそれ。うっとうしい」

「痛い。だって事実でしょう」

「知ってんだわ、んなことは」

「じゃあどうして怒るのよ」

「うぜえからだよ」



不破は心底面倒臭そうにため息を吐く。


キザな不破より余程いい。私は不破に手を伸ばした。不破の髪に触れる。優しく、できるだけ優しく触れたい。



不破はされるがまま、頬を引っ張った状態で私をじっと見下ろしていたが、不意に顔を寄せた。一度口にキスをして、離れて、もう一度しようとする。反射的に不破の口に両手を押し当てた。



「……な、なにして」

「何って何?」

「まだ夜じゃないわ。まさか、しないわよね」

「絶対そういうのじゃねえだろ。あんたの認識どうなってんだ」

「じゃあどういうのよ」

「そういうのじゃない方」



キスなんて夜行われるものしか知らない。それを教えたのは不破なのに、不破は私の認識を馬鹿にしたような顔であしらって、触れるだけのキスを何度か繰り返す。


私は再び不破の口を両手で押さえる。



「待って、ひとつ話し合いをしましょう」

「断る」

「私はあなたがいいけど、あなたが気に入らないというなら無理強いはできない。私に付き合わなくていい。こういうことももうしなくていいわ」



不破は何も言わないが不破の顔に書いてある。くそ面倒くさい。



「私は春から住所が変わるし、都合がつかないことも増える。もとよりあなたにメリットがある話ではなかったのだから、キスも恋人繋ぎももう……」



私の大真面目な話を遮って、不破は私の両手を掴んで、片手でまとめて頭の上に縛り付けた。今度の不破は面倒くさいというより嫌そうに顔をしかめている。



「高速で1時間は都合つくんだわ」

「……なんでそこまで」

「普通にタイプ」

「え」

「んだよ、悪いか」



タイプ。そんな簡単な言葉の意味すら見失った。頭が真っ白になってしまった私は呆然として不破を見上げる。



「そうでもねえのに、くそ面倒くせえやつに手出さねえだろ」



不破は珍しく呆れも嘲りもなく、ただ静かに笑った。



「……あなた笑えるのね」

「またかよ。うるせえな。何だよ」

「今の笑い方、とてもいいと思う」

「いつもいいだろうが」

「そんなことないわ」



不破が物言いたげに私を見下ろす。


私は、そんな表情がおかしい。



「……嬉しそうだな」

「嬉しいもの」

「あそ」



不破はもはやどうでも良くなったようで、疲れたように目を逸らし、掴んでいた私の手を解放して私の上からどけた。そして、私の対面の腕置きに倒れ込む。


私も体を起こし、そんな様子を楽しんだ。



「ろくでもないやつが好きだったり、面倒なのがタイプだったり、大変ね」



うるせえな。不破は嘲る。



    

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