第28話
「電車で2時間とか言うなよ。高速で1時間かかんねえって言えよ」
「車を持っていないもの」
「俺が持ってんだわ」
不破は簡単そうに言う。
「さようなら」と言えば「おかえり」と言われたみたいな、予想と180度違う場所を指された感覚に、困惑する。
「……もしかして、今、春以降も会えるという話をした?」
「会うだろ?」
「会わないつもりでいた」
「は?」
不破はたいしたやる気もなく顔をしかめる。
「冷たいやつだな。数ヶ月で違う男に乗り換えんの?」
「な……の、乗り換えないわよ」
「じゃあどうすんの? 春までに吹っ切れなかったら」
「8割方吹っ切れている。というか、諦めはもうついているの。長いのよ、本当に。私でない人を好き。それが当たり前なの」
期待したことなんてなかった。日和に愛しいと語りかける千尋くんの目が、私に愛しいと語るところなんて、想像することすらできなかった。
期待が恋心を膨張させるのだから、私のこれは今以上には膨張しない。後はしぼみ、消えればいい。
まずしぼませるために、意識を向ける時間を減らす。
「後2回ほど、あなたに優しくされて距離を置かれるというのを繰り返してもらえれば、完全にあなたに恋することができると思う」
計算の上では、春以降は時間をもらわなくても良くなっているはずだ。卒業までの関係で十分問題は解決される。
そのとき、不破の手が頬に触れた。そういう動作は夜だけだと思っていたので、不思議に思って不破を窺えば、不破は私と目を合わせたまま、肩を押してソファーに私を倒した。
「――無理だよ」
ただ静かなばかりの不破の目が冷たい。
「あんま夢見ねえ方がいいよ。俺に惚れた気になっても、俺のことばっか考えるようになっても、それは所詮、初めてのことに浮かれてるだけだから。気が紛れただけ。現実は何も変わってない。あんたはその男を好きなまま、変わらない。無意味だ」
不破は片手で私の頬を掴んで、その目を歪ませる。
嘲っている。蔑んでいる。呆れている。見下している。壊したがっている。
「あんたは言ってたけどな、1人で自由に恋なんてできねえんだよ。欲が出るもんだ。相手の気持ちはどうでもいいなんて思えるわけがない。欲が出ねえならそんなもん偽物だ。本物とは代替が効かない、本物には太刀打ちできない、偽物でしかない」
怒っている。憐れんでいる。悲しんでいる。悔やんでいる。泣きたがっている。
ねえ、それは何に対してだろう。
「──ご忠告ありがとう」
いろんな色の感情を孕んだ不破の目は、ひとつも怖くなかった。
「でも、私は不破ではないから」
私の上にいるのは、今朝切ない声で誰かの名前を呼んでいた不破だ。
「意味がなかったと決めるのは私。意味があったと決めるのも私。後悔するもしないも私のすることよ。それは不破の役目ではないし、そもそも私は不破ではないわ」
「――不毛だよ。何にもなんねえ」
「既になっている。私、映画館に初めて行ったの」
映画館に行った。男の人と待ち合わせをした。手を繋いだ。恋人繋ぎをした。同じベッドで夜を過ごした。会いたいと言われた。抱きしめられて、抱きしめた。
全部、初めてだった。
「嬉しかった。楽しかった。私は慰められた。初体験に浮かれているのだとして、だから何? あなたの言うように千尋くんへの気持ちが変わっていないとしても、私は既にあなたと会う前の私ではない。それは“何もならなかった”とは言わないわ」
変わらないものを探す。意味を成さないものを数える。初体験に浮かれているだけだという指摘ももっともだ。
でも、初めて体験したことに付随して生まれた感情が現実を塗り替えていく。例えば、不破の両腕に抱きしめられたような夜がいつかの孤独に寄り添うように。
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