第25話
「ごめんなさい、ごちそうさまでした」
外に出ると頭を下げた。飛び出して来ては奢らせることになるのだな、と一つ学ぶ。
不破はろくに取り合うことなく、私の腕を引っ張って歩き出した。
「あんたの家、どこ?」
下宿先の最寄りの駅名を挙げれば、不破は道路に寄ってタクシーを停めた。扉が開くと、まず私を押し込んで後から自分も乗り込むと、困惑する私などほったらかしで、運転手さんに私の家の最寄駅方面に走るよう伝えた。
私と目を合わせたのはそれからだった。
「遅いから送る。浅海の家知らねえし、浅海が案内して」
「……1人で平気よ」
「そう」
「こんなことしなくていいわ」
「そう」
不破は私の左手をつかまえて、その手で全く力の入っていない恋人繋ぎをした。
簡単に抜け出せる程度の指先の罠に、逃げていいよと言われているみたいで、ふと、不破はあさみさんの手ならどんな強さで握ったのかな、と思った。
「……お金、出させて」
「嫌」
「私も嫌なの。せめて何かお礼にごちそうさせて」
「それより、また会いてえんだけど」
だって、会いたいと言われることに慣れていない。「会いたい」の一言で夜中に飛び出すくらいなのだ、直接言われると、足の先から現実感が失せていってしまう。
私は、千尋くんにとっての日和じゃない。不破にとってのあさみさんじゃない。会うだけでいいなんていう甘い感覚とは無縁だ。「会う」とは、ひと月前の夜の再来を示している。
わかっている。わかっていて、尋ねた。
「……そんなことでいいの?」
不破は笑う。
「今度は朝までいるよ」
そんなことしなくていいよ。そんなに良くしてくれなくても、私は不破に恋をすることができるし、千尋くんへの恋を断ち切ることができる。
言うべき言葉が喉の奥で引っかかった。
不破は、あやうい恋人繋ぎで繋がった手をコートのポケットに突っ込んだ。
「いい?」
何を聞かれているのか、わかった。今日の誘い文句も「会いたい」だったから。
タクシーが止まって、手を離して、不破がカードで決済して、タクシーを降りて、不破はまた手を繋いだ。
入居して4年目のアパート。男の人と帰るのは初めてだ。またひとつ、どうでもいい未経験が消える。
集合玄関の鍵を開く。一階の角部屋の鍵を開く。私のテリトリーに不破が入っていく。見慣れた景色に不破だけが浮いている。
日和ならこういうときどうするんだろう。あさみさんは、どうだっただろう。
知ったところで模倣できないのに、知りたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます