第23話
不破は今日も静かな目で、茶色みを帯びたお酒をあおった。ピアスが光って、喉仏が上下して、骨張った手がグラスを置いて、低い声を聞かせる。
「──すっげえ見るね」
指摘されてから、不破を見ていたことに気付いた。それは何か悪いことだと感じて、目を逸らしては後ろめたさを認めることになると思った。
「……ごめんなさい、ぼーっとしていた」
「いいよ。いくらでも見れば」
「いえ、もういいわ」
両手でグラスを包み、天井にぶら下がる明かりを映す液体の表面を見下ろした。気を抜けば不破をまた観察してしまいそうで、目線を置く場所に神経を使う。
不破は私の椅子の背もたれに手を置いて、体を半分こっちに向けた。驚いて体を引けば、不破は私の顔を覗き込んで目を細める。
「久しぶりだよな」
「……そう、ね」
「1ヶ月くらい?」
「そうね」
「会いたかった?」
恥ずかしがる様子もなく尋ねる不破に、キザな不破は封印する約束ではなかったのか、と眉を寄せた。
「……会いたいというより、お礼を言いたかったわ」
「お礼? 何の?」
「楽しかったというのと、嬉しかったというのと、ごちそうになったことについてと、それから、あなたの頭の良さに助けられたことについて」
前の三つを聞いて、まだ言うのか、とでも言いたげなうんざりとした顔をしていた不破は、最後の一点を受けて眉を上げた。
「何? 俺の頭の良さって」
「ひと月前の夜から今夜にかけてのことよ。もしかしたら、ひと月前の夜よりもっと前から始めていたのかもしれないけど」
「……何の話?」
「忘れる手伝いをしてくれたんでしょう」
「てつだい……」
「おかげであなたのことばかり考えていた」
ありがとう、と小さく頭を下げ、あの夜は叶わなかった礼をする。
予想外に不破はテーブルに肘をつき、片手で頭を抱えた。
「待て待て。何の話だ」
「夜を挟んで対応の差を生むことよって、精神的に不安定にさせて、あなたのことばかりを考えるように仕向けたのではないの?」
「ちが……なんでだよ。どこのクズの話だよ」
「違うの?」
「違う」
「効果は絶大だったけど」
「でも違う」
不破は頬杖をつき、疲労感あふれる様子でため息を吐く。
「まあ、あんたが寝てる間に出ていったからな。メモに残した通り、仕事でゆっくりできなかった」
「メモ?」
「……サイドテーブルに置いてあっただろ」
「見ていないわ」
不破は呆れた顔で私を見つめていたが、不意に表情をがらりと変え、真剣な面持ちで私に頭に手のひらをのせた。
「ベッドサイドにメモを残した。仕事で先に出る件と、体がつらかったら連絡しろって」
不破があの日のことを話すたびに、生々しさを帯びて記憶が掘り返される。頭を撫でる仕草ひとつに耳まで熱くなりそうで、自然を装って不破の手から逃れた。
「ごめんなさい。気付かなかった」
「いや。俺もフォローしてねえから。平気だった?」
「何の問題もないわ。お構いなく。気にしないで」
「そ。じゃあ良かったよ」
心臓がどうしてと思うほど大きく動いている。肌を重ねた夜を思い出して、恥ずかしい。隠れたい。顔が熱くなる。不破を相手に緊張している。不破を前にどんな顔をすればいいのかわからない。
この反応は、間違っている。
私はあの一夜を特別視したくない。
日和と千尋くんや、不破とあさみさんとの間に起こったものではない。不破と私の間にある夜には、通行人とすれ違う程度の縁しか見出せないのだから、重要なことのように扱うのは、間違っている。
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