第19話


「ごめんなさい。少し、どうでもいいことを話すわ」



不破が面倒だと言いそうな前置きをして、私は話し始めた。



「ある人を好きだったの。……もしかしたら、今もまだ好きなのかもしれない。いい加減、それをやめたい。そのために、とにかく何か……何か別のことに没頭しようと思った」




没頭する先は何でも良かった。趣味でも、勉強でも、アイドルでも、自分磨きでも、何でも。


でも、それが恋ならなお良かった。恋の記憶や感情を塗り替えるのは、また、恋だと思ったから。



「繰り返しになるけど、あなたから許可を得たからといって私は何もしないわ。あの店に行くだけ。あなたも何もしなくていい。5分、10分会ってくれたら、あなたに惚れる可能性を許してくれたら、いい」



私が勝手に不破からの影響を受けて、勝手に千尋くんへのこの恋を過去のものにして、そのうち、千尋くんに恋していた私が藻屑となれば、一哉さんのお店から遠ざかる。それで問題は消え失せる。それで、終わり。


私の人生の問題はなくなる。



しばらくして、不破は呟いた。



「──なるほどな」



驚いた。肩が揺れた。


不破の声が低いからでも、密室での声の響き方に慣れていないせいでもない。



「恋をしたいだの遊んでだの言うから、意味わかんねえんだよ。なるほどな。やっとわかった」



不破の手が顎先に触れた。



「それ、忘れさせてっつうんだわ」



耳が熱い。


言葉が出てこない。勝手に目が泳ぐ。不破に顔を晒すことを避けたい気持ちが後ろめたい。どこか暗い場所に隠れてしまいたいと心が騒ぐ。



不破はきっと私の焦燥に気付いた。顎先から手が離れる。


ほっとして、俯こうとした。でも、できなかった。不破の気配が動いて、視界に不破の足が映って、反射的に見上げれば、そのまま背もたれに倒れるしかなかった。



顔の横と腕置きに手。左足の横に膝。


逃げ場を失って初めて、密室の意味を知る。



「そいつ、そんないい男だったの?」

「……そう、ね」

「ならしゃあねえわ。好きになるよ、そんなもん」



ようやく不破から目を逸らせば、それを叱るように、不破は額と額を軽くぶつけた。そして、ぶつけた場所に顔を寄せる。キスされた。ありふれたことを特別視する。


不破の胸を押した。



「……こ、んなこと、しなくていい」

「接触だっけ?」

「そうよ。こんなことはしなくていい。私はただ許可が下りさえすれば、後は自由に1人で恋を」

「俺のこと好きになっていいよ」



力が緩んだ。


不破はこめかみを通って頬に下りて、それから、口にキスをする。重なって、離れて、また重なって――。



「良かったな、許可下りて」




思考回路が混線している。


もう何もわからない。



     

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