57話

冷めた表情の裏で、そんなことを考えていたのか。

聞けば、溶けた心臓が、この心地よい熱でもっと溶けてしまうおそれがある。


おそらく、耳まで真っ赤なわたしに、和泉さんが手を伸ばす。


その手に重ねると、和泉さんはわたしの薬指をゆったりと撫でた。



「つか、なんなら今から一緒に買いに行きましょうか」


「買うって、なにを?」


「指輪。……あ、この時間だと何処も空いてないかな」


「ゆ、指輪?」



和泉さんが言う指輪は、きっと、エンゲージリングのことだ。しかし油断ならない。" 嘘 "を身構えていれば「こういうの、心雨、好きそう」と、スマホを取り出しては慣れた手つきでカメラロールを見せてくれる。この調子は、おそらく本当だ。


わたしの宝物になるそれを、焦って買いたくないから、二人で相談して、今度の休みにゆっくり選ぶことになった。


そのうち、お見送りに時間を掛けすぎだと言って、和泉さんの先輩だという人が和泉さんの荷物を持ってきた。「おまえはもう帰れ」とのことだ。気づいたら、店の奥でいろんなスタッフのひとがこちらを眺めていたので、いたたまれなくなったのはお分かり頂けるだろう。


初めて和泉さんと一緒に帰路に着いたその日、和泉さんは色々と裏話を教えてくれた。


どうやら、和泉さんの引越しにはお兄ちゃんが一枚噛んでいるらしい。しかも、お兄ちゃんは覚えていないとか。


……それって、大丈夫なのかな……?


「蒼井には、" 将来おまえの義弟になることにした "って言ってたから、多分大丈夫」


見透かした和泉さんが不安を一気に通り越す言葉をくれるのだから、一瞬で別の疑問が脳内を占拠した。


「な、なな、なんですかその約束!?初耳ですよ」


「聞かれてないから言ってない。でも、おかげで毎回兄が見張ってるから、俺、全然悪いことしてないよ」



なんて潔い屁理屈だ。悪いことをしていないのならば、あの夜は一体何だったのだろう。



じっとりとした目付きを送っては、少し距離を置いて歩いてみる。すると、和泉さんは無言で距離を詰めてくるから、結局おなじだ。



「それと、ほんとに酒弱すぎだからな、心雨」


「わたし、大した失態を和泉さんに見せてないですよね?」


「はいはい。見てない見てない」


「二回言う時は、たいてい嘘ですね……」



くつくつと和泉さんの喉仏が気持ちよさそうに上下に揺れる。7年の付き合いなので、もちろん嘘を見破るのも得意なのだ。

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