54話
入店する時は何人か居たお客さんも、わたしの施術が終わる頃にはわたしだけになっていた。
和泉さんはおしゃべりする方ではなく、寡黙なタイプらしく、たまに「今日腹減ってないの」とか聞く以外はほぼ無言だった。わたしは和泉さんの仕事を目に焼き付けたくて、ずっと手元を見ていた。ハサミが入る度に身を削がれ、軽くなっていく。
「え……すごい。すごいです、えー……すごい……」
終わって、完成した自分を見ると、語彙力が単品になるほど、目を見張るものがあった。まさにわたしはいま、自分史上最高を更新したのだ。
胸元あたりで揃えられたわたしの髪。ずっとストレートだったけれど、毛先に緩やかなパーマがかっていて、とても軽やかだ。
「就活控えてるだろうから、カラーは無しで。個人的にはインナーカラー入れても映えそうだから、次は要相談ってことで。前髪は軽めに作って、全体的にすこし重さを残して揃えてる。心雨のキャラ的に、妹感のない可愛さと女性らしさも兼ね揃えたら、最強じゃね」
就活のことも考えてくれたんだ……。
自分でも忘れていたのに、細かなことまで考えてくれて、じんわりと胸が熱くなる。鏡の中でしっかりと説明をうけると、和泉さんを直で見上げた。
「可愛い、ですか?」
「10人中、9人は可愛いって言うよ」
「惜しい!残りの1人はなんですか」
「内緒」
でました、和泉さんの常套句。
でも、内緒だとしても、嬉しいに決まってる。
好きな人に可愛くしてもらったのだ、幸せに決まってる。
「ありがとうございました。次はまた2ヵ月後にでも、どうぞ」
貯めていたお給料で支払うと、感慨深いものがあった。和泉さんが覚えてくれていたとは思えないので、かなり独善的な満足感だ。
和泉さんは仕事の一環であろう、お見送りをしてくれた。わたしが最後のお客だからか、スタッフさんはほぼ全ての人が見送ってくれた。
「はい。また可愛くしてくださいね」
とっぷりと深まった秋の夜。さて、いまからのミッションは、和泉さんのお仕事が終わるのを、向かいにあるコーヒーショップで待つことだ。
ここまで順調に計画は進んでいるので、わたしはとても上機嫌である。可愛くしてもらったことで緊張もいい感じに解れた。髪型ひとつでその人に勇気と自信をくれるって、まさに、魔法にかけられた感覚である。
「……本当は」
上機嫌なわたしに、和泉さんが告げるので「はい?」とすぐに聞き返した。
「俺個人としては、すげえ前衛的なスタイルにして、心雨の告白の邪魔してやりたかった」
「え!?」
「でも、ふつうに無理だったわ」
やわらかに微笑まれると、コトンと動く心臓。和泉さんに可愛くしてもらおう作戦の裏でそんな意地悪を考えられていたなんて、寝耳に水だ。
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