53話
「心雨、好きな人いたんだ」
細い櫛がわたしの髪を撫でていくので、こくりと頷いた。鏡越しにも関わらず顔が見れない。自分の髪の毛をじーっと見つめていると、和泉さんの手がぴたりと止まる。
「どんなやつ?」
……え、そこを気にしますか?
ガキが一丁前に色気づいて……と、和泉さんは呆れる一択だと思っていたので、全くの予想外だ。
和泉さんのことなんだけどな……。
鏡越しに綺麗な二重と目が合った。
「ずっと片想いしているんです」
「ずっと?」
「はい。もう、五年くらい。でも……その人にとってわたしは妹だと思われているんです」
「妹?」
「だってその人、迷子とか風邪とか怪我の心配をするし、留守番出来ないだろうからって一緒に居てくれるし、なにより今まで色んな人に手を出してるのにわたしにだけは出さないんですよ」
「ああ、恋愛対象に見られてないってことか」
「そうなんです。友達以上妹未満みたいな関係です。だから、振られに行くようなものです。それにその人、好きな人いるらしくって、玉砕覚悟なんです」
全部和泉さんのことである。しかし、絶対に気づいてないのか、和泉さんは「まじで、つら」と、笑い混じりの相槌をくれた。念を押すけれど、和泉さんのことだ。
「こんなわたしでも、1パーセントくらいなら可能性あるかな?って、賭けに出ました。和泉さんが可愛くしてくれたら、可能性上がるかもしれないです」
これはもちろん、本音だ。和泉さんが魔法をかけてくれたら、成功率は爆上がりするだろう。
「たしかに今のままで告っても、10人中5人には振られるだろうな」
「勝率、5割ですか……世知辛いですね……」
「髪を自然乾燥して、手入れを手抜きするような心雨ならな」
「和泉さん、根に持ってますね?」
バレた?と。企んだ笑みを浮かべると、和泉さんはわたしの両サイドの髪をストンと前で落として毛先を軽く整えた。鏡越しに映る、同じ位置にある視線。
「お詫びに、世界一可愛くしてあげる」
耳元でしか聞こえないボリュームで、和泉さんがささめく。嬉しくて、それ以上に幸せで、泣きたくなった。
──『夢が出来ました』
『夢?』
『いつか、お金貯めて、和泉さんに髪の毛をカットしてもらう夢です』
『簡単すぎる夢を持ったね』
簡単だとあの日和泉さんは言ったけれど、こんな簡単な夢でさえ、七年越しに叶った。幼い頃から髪を乾かすのが面倒なタイプのわたしは、ずっとボブだった。モテやトレンドよりも、効率重視だった。
七年、伸ばし続けた髪の毛へ、しずかにハサミが入ると、重たくてさっぱりとした音が鼓膜を震わせた。泣きたくなった。でも、わたしは堪えた。
和泉さん。わたしは和泉さんの前で世界一可愛いわたしで居たいだけなんです。全部が好きで、和泉さんが触れる、わたしの髪の毛さえも愛おしいんです。
だからどうかわたしに、魔法をかけて。
覚めない夢を見させてほしい。
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