39話
巻き付けていたペペロンチーノを頬張った。お兄ちゃんもこのペペロンチーノを作ったのだろうか。あの不器用なお兄ちゃんが。パスタ、ちゃんと茹でることは出来たのかな。パスタをお湯から上げる、と聞いて、お鍋を持ち上げたりしなかったかな。
「蒼井が家のことを心雨に聞かないのは、心雨の邪魔をしたくないから、じゃないの」
お兄ちゃんに馳せていれば、和泉さんがぽつんと呟く。聞きなれないワードに、心が傾くのは一瞬だった。
「邪魔って、なんですか」
「大学と一人暮らしは、今まで心雨に家の事任せっぱなしにしていた恩返しとして、普通の学生生活をしてほしくて、心雨のお父さんと蒼井が提案したんだろ?その手前、ゴミ出しがどうとか料理がどうとか、情けないことは心雨にはいえなかったんじゃないかな」
まるで他人事のようにさらさらと流れていく言葉は、わたしの鼓膜にあまり馴染めなかった。和泉さんにとっては他人事そのものなのだけど、わたしにとっては自分事。
「……そうだったんですか?」
「知らなかったの?」
和泉さんは、意外、といったように、声に少しの驚きを乗せた。しかし表情は1ミリも驚いておらず、いつもの無機質そのものなので、本音を読み取るには難易度が高すぎる。
「……知らないです。急に遠くの大学とひとり暮らしを薦められて。わたしは、蒼井家にいらなくなったんだなって思ってました」
「いや、それはないだろ。蒼井、週1のペースで心雨がどうこう俺に電話掛けてくるし」
わたしと同じ頻度で和泉さんに電話をしている!?
カシャンと音がした。しっかりと驚いたせいで、フォークを持つ手に力が入らなかったのだ。
「そ、それは、兄がご迷惑おかけしてます……」
今朝、和泉さんが最近付き合い悪いってお兄ちゃんは愚痴をこぼしていたけれど、これは完全にお兄ちゃんのせいだ。
毎週興味がないことを聞かされる和泉さんの立場になって欲しい。……不憫すぎる。
「別いいよ。心雨は心置きなく学生生活を楽しめばいいんじゃないの。ほどほどに、危なくならない程度に、な」
充実してるね、と。少し前和泉さんが言ったのは、嫌味でもなく、純粋に、お兄ちゃんたちの好意を知っていたからだ。
「普通の学生生活を、かあ……」
お父さんもお兄ちゃんも、わたしには言えなかったんだろうな。
水槽に慣らされた魚が海へと飛び込んでも、流れに乗れず、獰猛な魚におびえて隠れるばかりだと思う。現にわたしがそうだ。世界って広すぎて、知らないものだらけで、限りなく自由だ。
この世界を知って欲しくて、お父さんは家を出るように勧めてくれたのかもしれない。
「それにしても、いらないと思われてるって勘違いしてるから、実家、帰ってなかったってわけ」
「……そういうことです」
「馬鹿なの?」
「馬鹿ってみなまで言うことないじゃないですか!」
や、本当に馬鹿だ。お兄ちゃんとお父さんの真意に気付かず、勝手にネガティブ路線を突き進んで、勘違いをしていたのだから。
わたしの失敗を一度も責めたことのない人たちが、わたしを急に" いらない "って、突き放すはずがないのに。
──考えたら分かることなのに。
「今度帰ってやんなよ。蒼井もお父さんも喜ぶんじゃないの」
「……そうですね……」
無償に、先日のバウムクーヘンが食べたくなった。
その他にもたくさん、美味しいものがある。初めて食べるものを舌の上に乗せた時、これ、お父さんは好きかな?って必ず考えていた。考えない日はなかった。
帰省する時は日帰りだったから、今までは軽いお土産しか買っていなかったけれど、わたしが食べて美味しいと思ったものは積極的に持ち帰ろう。
時間は掛かるけど、お父さんもお兄ちゃんも、時間くらいいつでも作ってくれるはずだ。毎回、わたしのベッドは洗いたてのシーツが張られているのだから。
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