24話
リビングに入ると、人をダメにするクッションに甘やかしてもらう為にダイブした。沈んでいく身体が心地よくて、気が緩む。
涙は流したくなかった。涙を零せば感情までもが一緒に流れると聞いた。二度も、和泉さんへの気持ちを流したくない。内側に、大事に留めておきたい。
──『名前、呼んで』
あれもまた、二人きりになった日、だった。
昼間は茹だるように暑いのに、夜になればクーラーついてる?と勘違いするほど肌寒い。秋か夏かわからない、高三の秋の夜。
『今夜、親父が帰るの遅いし、和泉は俺が戻るまで心雨と一緒にいて』
当時付き合っていた彼女に呼び出されたお兄ちゃんが下した命令。
主がいないのにお兄ちゃんの部屋にいるのも気が引けて、わたしの部屋で受験勉強していたら、いつの間にか手が繋がっていた。重なる、ではなく、いわゆる恋人繋ぎというしっかりとした結ばれ方だった。
『蒼井、そろそろ帰ってくるかな』
『……彼女に会いに行くと、お兄ちゃん、二時間は帰ってこない、です』
『察した。……じゃあ、おとうさん、は?』
『まだ、帰ってこない、から』
和泉さんは、帰りたいのだと思った。でも、和泉さんが帰ると、せっかく繋がった手が離れてしまうおそれがあった。離したくなかったし、まだ、そばに居て欲しかった。
『……和泉さんは、まだ、帰らないでください』
我ながら、あんなに勇気を出したのは生まれて初めてだった。見るだけで胸が弾んでいた顔が間近に来て、息が止まりかけた。実際、止まった。はじめて男の人とキスをした。背中にあたるベッドフレームがひどく主張していた。
ひとつは、好意。もうひとつは、興味。
ふたつの感情がわたしを後押しして、すんなりと和泉さんを受け入れた。
自分からあんなに甘い声が出るなんて知らなかった。耳元で強請られて、わたしは馬鹿みたいに名前を呼んだ。怖くて、あったかくて、縋るように背中にしがみついた。悲しくないのに涙が出た。和泉さんは、ずっと優しかった。
優しかったのだ。
『和泉、まだフリーなの?』
『言ったじゃん。彼女いらないって』
『ふうん。つか、そろそろ聞いてもいい?』
『なにを?』
『和泉は妹ちゃんのことどう思ってるわけ?』
その一件があった数日後、和泉さんとお友達の会話を聞いた。下半身から力が抜けた気がした。どう思ってる、の隠語がなにか、わからないわたしではなかった。立っているのに、足の裏の感覚がなくなってゆく。
『妹みたい』
和泉さんの判定は、好意的なものだった。
でも、世界でいちばん嬉しくない好意だった。
ばらばらと崩れてしまいそうな気持ちを、わたしは抱きしめた。どう頑張っても、わたしは和泉さんの恋人にはなれない。友達以上にも、妹以上にも見られない。でも、この気持ちは、失いたくない。
あれから、わたしは和泉さんと二人きりの機会を減らした。わたしの気持ちがバレてしまうと、妹という立場を揺るがしてしまうから、決して気づかれないように。
浅ましくて欲張りな気持ち、1ミリも見透かしてほしくなくった。あんなにも信念を貫いているとアピールしながら、醜い自分に呆れて欲しくなかった。プライドが邪魔をして、大事なお兄ちゃんを利用して、愚かな真似をした。
和泉さんだから、会いたくなかった。
嘘。
会えて、嬉しくてたまらない。
わたしのこんな醜い感情、気づかないで。
お利口で、綺麗なわたしだけ、和泉さんは知っていて欲しいの。
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