過去と現在
16話𖤐転がり落ちた、恋心
──心雨
熱で充満した脳内に、声が叩き込まれる。
──俺のなまえ、わかる?
知ってるに決まってる。こんな時まで子ども扱いして欲しくなくて、うんうんと頷いたわたしは、やっぱり子どもだ。
──……名前、ヨンデ?
心臓を撫でるような、なんてやさしい声がわたしの中でとろけてゆく。従うしかない、と。チートな効力を持つ声に、くちびるを動かす。
──「ら、」
はっきりと発声した自覚がある。その瞬間、否応なしにぱちりとまぶたを開いたのだから。
変な夢、見ちゃった……。
やわらかな朝日をうけるまぶたに、一抹の安心を覚えると同時、ちょっとした心残りがうまれたのも確かだった。
にがくてあまい微炭酸が胸の中で弾けてゆく感覚。
もうちょっとだけ見ていたかったな、と。高慢な望みも微睡んだ意識の中では許される気がする。すぐに寝たら、夢の続きが見れるって言うし。
まぶたの力を抜いて、目を閉ざしてみたりする。
しかし、さきほど夢で聞いた息遣いがなんだかやたらとリアルで、真顔の理性がパッと現れるので、パチンと頬を叩いた。
だめだめだめ!
ウンウンと勝手に頷いて、むっくりと身体を起こした。そうして邪念ときんちょうを肩から落とす。
「夢でいかがわしいことをさせて、ごめんなさい」
申し訳なさから、ベッドの上で正座をし、和泉さんの部屋に向かって三つ指を揃えて頭を下げた。願わくば、今日は和泉さんと会わずに済みますように。
彼氏いない歴20年を極めた女の妄想は相当やばい。
:
「おはよう」
わたしの願いはドアを開けると同時、実を結ばなかった。こういう日に限って出くわすのは一体なんの呪いだろう。いっそ〝会いたい!〟と強く思えば成就したかしら。
少し前に聞いたばかりの、色香を孕んだ声が鼓膜に含まれているので、変な罪悪感を覚えつつ「おはようございます」と、殊更丁寧に挨拶を交わす。
──……夢のこと、決して気づかれないこと。
と、簡単なミッションが脳裏にテロップ表示として現れる。
無事にエレベーターに乗って、マンションを出たら、和泉さんとはそれまでだ。
しかし和泉さんの瞳はじっとわたしを捉えたまま、予想に反してじりじりと近付いてくるではないか。特記すべき違和感は無かったように思えたのに、和泉さんは美しい御顔に無表情を貼り付けているので心臓に悪い。
じりじりと物理的に近づく距離に、思わず後退りをする。背後はドアなので、短い逃げ道だった。
……え?ええ?もうバレた……!?
ま、まさか寝言で和泉さんの名前を呼んだ、またはあられもない声であえいでいたっていうの!?
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