3話𖤐心雨の憂鬱
するとみはるは眠そうに口を開けた。思わずつられてしまい、手で口を覆う。
「眠そうだね?」
可愛い子台無しの欠伸を噛む友人は、待ってましたと言わんばかりに目を生き返らせる。
「聞いて。もう、最悪でさ!?」
軽いクエスチョンに対して、思っていた以上の熱量だ。彼女の鬱憤の量を理解しつつ「どしたの」と、気軽に受け止める。
「うちのアパートなんだけど、新学期入ってがっつり住人が入れ替わったのよ。でね?何が最悪かって、上の階のカップルがも〜う、お盛んで、お盛んで!床が軋む音とか、あえぎ声がやっばいのよ!毎日あんなの聞かせられたら、寝不足にもなるって」
熱量をみるに、かなりの恨みが込められているようだ。声のボリュームが気になるけれど、お酒の席。だれも気にしていない。
それに、お隣ならまだしも、なぜ上の階の桃色ボイスが聞こえるの?
「せめてロフトでしてよね?って、毎回思うわけよ」
「……え?ロフトって?」
「ほら、うちロフトでしょ?たぶん上の人はリビングでヤッてるのよね」
「……じゃあ、暫くはみはるがお布団をリビングに移せば良いんじゃん?そのうち収まるでしょ」
焼き鳥を頬張ったみはるは瞬きさせ「……天才?」と、鱗を落とした目で見つめてくるので「凡人です」と返すに留める。
「あのアパートいわく付きなのかなあ。去年はお隣さんが夜中にリフォーム?始めちゃって騒音が酷かったし、一昨年の隣人は週一で宅飲みしてるし、隣人に恵まれないなあ」
「ふうん。隣人トラブルか〜……大変だね」
あまり馴染みのないワードを、ぽつりと零す。実際、大学に入学してひとり暮らしを始めたものの、目立ったトラブルには見舞われていないので、完全に他人事だ。
それに、わたしの家族ときたら、隣人トラブルよりも『男を部屋に上げるなよ?』と色恋の心配されていた。しかしそれもどうやら杞憂に終わるだろう。
わたしの男運のなさを舐めないで頂きたい。
「蒼井のマンションは大丈夫なの?もしお隣から喘ぎ声なんか聞こえてきたら、彼氏がいたことない蒼井にはちょっぴり刺激が強いんじゃなーい?」
目がいつものみはるに戻れば、彼女はにやりと微笑む。これは獲物を見つけた時の顔である。しかし、心配はご無用。
「聞こえたことないし、なにより両隣の人と生活スタイルがちがうみたいで、滅多に出くわさないんだよね」
「あれ?蒼井の部屋って、隣、片方空いてなかった?」
「んーん。四月だったかな?誰か引っ越して来たみたいなんだよね」
「あら〜ん。お隣さんがメンズだったら、妹ラブなお兄様が心配して、同居でも始めちゃうんじゃなあい?」
まんまるの瞳は、ほっそりとした三日月を描く。本格的に獲物と化しているっていうのか。しかし、残念ながら、それくらいで動じるわたしではない。
「それも、大丈夫。引越しのご挨拶にって、お隣さんからご丁寧に手紙が入ってたんだけど、女の人の名前だったもんね」
「へえ、今どき礼儀正しい人も居たもんだね」
「でしょう?トラブルになりそうな予感もないし、左隣も同年代の女の子だし、ごみ捨てもルール守る人ばかりだし、たまにエレベーターは壊れるけど、うちのマンションはとっても平和」
ふふんと躱して、残していたレモンサワーを飲み干した。
もし、ほんとうに隣人が異性ならば、お兄ちゃんが乗り込んで来そうだ。軽い戦慄をおぼえるのは何故だろう。
「つまらな」と、不機嫌そうなみはるは「で、合コンどうする?」先程の話を蒸し返す。
その話題のかえ方、ブルドーザーの如し。完全に流れていたと思われた話は未だに捕われていたのか。
「だから、興味無いって」
「万年恋愛運ゼロの蒼井も、そろそろ恋愛しないとやばいって!彼氏は作らなくていいから、この強運にあやかろ!ね!」
正直、要らぬお世話だ。わたしに彼氏がいなくても、みはるになんら迷惑は掛けないはず。
言っちゃなんだけど、この20年間、わたしは誰にも迷惑をかけずに生きてきたと思う。
それに、ネットの星座占いが恋愛運最強と騙った途端に続々と恋人ができようものならば、他の星座に多大なプレッシャーがかかるだろう。
現に、わたしがこの数日で彼氏を作れば、みはるは星座占いに心酔してしまうおそれがある。完全に、わたしのせいじゃないか。
なんだかなあ、と思うことばかり。
でも、生きているのだから、なんだかなあな人生でも息をしなければならない。
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