第13話

               十三

 

 まるで屍人の集団にでも出くわしたように、運転手の花木はブレーキを踏んだ。筧が手を振って合図したところで、すぐに了解した様子だったが、不破たちの異様な雰囲気に気圧され気味だった。だが、被災者を乗せた救急車とはいえ、消防団員では応急処置もままならず、ともかく救急車は彼らを乗せた後、今来た道を引き返すことにした。

 筧が運転席の助手席に座り、消防無線で町役場に連絡を取ると、朝一番で橋本土建の重機が救出に向かうということだった。また花木が言うには、町長だったら、さっきまで公民館で仮眠していたと言う。

「無線が使えるんですね」

 藤岡が小型の無線機を見つめた。

「ええ。役場とこの救急車、そしてあと霧風橋派出所のとこにあります。陸の孤島やってますからね。こんなときは便利です」

 小城久村、富士見村、端沼村。

 小名瀬町の北部に並ぶ三村は、古くは奈良時代から林業の盛んな地域だった。とはいっても神社仏閣などで使われる高級銘木の神代目杉ぐらいが単価の見込める銘木商品で、その生産量も大した数量にはならない。そこへいわゆる日本改造計画で、建材の需要が高まったことをいいことに乱伐をつづけ、気づくと名木は希薄になり、とうとう姿を消してしまった。三村に残るものは、役立たずの山ばかりだ。それではと、その場しのぎで目をつけた海外の安価な木材だったが、いともたやすく本末転倒、北三村に十軒あった材木問屋は相次いで廃業し、今では三軒しかいない。

 その杉も、この大雨と地震とで倉土師山南西斜面は崩壊し、災害後でも商品になりそうな樹々が幾本生き残っていることか。林業ばかりか、村そのものの存続さえが危ぶまれているのであった。

 点滅信号の辻角をすぎると、街路灯や商店の看板などが目立って多くなる。半世紀もまえまでは、小名瀬町の繁華街といえばこのあたりを指していたが、現在では、新設された町役場周辺のほうが活気はあるといえるだろう。それは建設会社を興した橋下周平と町長でもある義弟の草薙忠男の決意の賜物ともいえるだろう。彼らは、陸の孤島の小名瀬町を、未来ある開拓地へと刷新させなければ、このまま小名瀬町は、野垂れ死をむかえることになってしまうとほぞを固めたのであった。自らの死出の旅は、自らが拓いた道を行くまでと。

 

 車を降りるまでは、この区域も電力は無事だと思っていたが、すぐに早合点だと北村たちは知った。夜闇に発電機の唸り声が聞こえているのだ。そして複数の人声とざわめく人影が路地から現れては、通りを横切っていった。その行き先を筧は指差すと、無言のまま急いだ。むろん北村たちも懸命に続く。すると、通りに面して大きめの窓ガラスを構えた建物が、駐車場を従えて立ち現れた。

 一瞬、建物は煤けて黒く、火事でも出したのかと思ったが、近寄れば、焼き杉を重ねて張っていく、いわゆる南京下見張りの瀟洒な和風建築が千堂医院であった。北三村の最盛期に建てられたもので、今では相当年季が入っているが見事なものだった。

 隣接して建っている公民館と棟続きになっている外廊下のせいか、全体的に広々した感じだ。むろん、避難してきた北三村の人々たちが、いたるところで毛布にくるまっているのがわかる。彼らは、北村たちが跫音くつおとも荒々しく現れると、怯えたように目を開けて、互いの目顔を見つめあい、身じろいだ。そこへ廊下を滑るように、白衣を着た婦人が現れた。筧より年上なのが雰囲気で伝わってくる。ここの婦長だったような記憶があった。

 筧が速やかに傍寄ると、ぺこりと頭を下げた。

「すいません、町議会の副議長をしています筧です」

「存じあげております」

 笑みも怯えもなく白衣の婦人は答えた。

「起すつもりじゃなかったんです。先生は今どちらに?」

「ようやく私宅にあてている離れ家にお帰りになられたところです。さっきまで心筋梗塞の患者さんを治療していたもので」

「それはお疲れのことかと……ですが、呼んでくださいませんか。診てもらいたい患者さんがいるんです。その──」

 筧は不破たちに、こちらへ来るよう手招きした。不思議なことに、不破は、気後れしたように南明と二人で玄関の縁に突っ立っていた。筧に呼ばれて不破は背負っていたおばあさんを白衣の婦人に見せた。はっあ! 婦人は声を発し、すぐに降ろすよう命じた。速やかに脈拍と呼吸、そして体温を診る。廊下の奥へ首だけ向けて、

「カンちゃん! カンちゃん!」

 囁くように、叫ぶように、ひきつるように呼んだ。

 とたんに廊下の奥で物音が響く。何か落としたような音だ。ガチャンと金属音がしたかと思うと、ずだだだだだっっっとこちらへ走ってくる跫音がした。懐中電灯とともに現れた二十歳代の青年が、目を瞬いて不破とおばあさんを交互に見た。

「米田さんとこのばあちゃんっ!」

 青年は思わず大声を出したが、婦人がシーッと唇に人差し指を立てた。

「静かにしてね。みなさん疲れて寝ているんですから。すぐに治療室におばあゃんを運びます。先生を呼んでね。チアノーゼがでているからと言って」

 コクンッとひとつうなづくと、カンちゃんと呼ばれた青年は、するすると廊下を奥へ戻っていく。

「そちらのお二方、すいませんが患者さんを奥へと運んでください」

 北村と藤岡は同時にうなずくと、長靴を脱ぎはじめたが、編上げ靴が泥水でガチガチになって、なかなか解けない。ようやく靴を脱いでも、靴下が泥雑巾そのもので、これまた脱ぐしかない。手間取る二人は、なかなか患者の搬送にとりかかれず、白衣の婦人はイライラし始めた。かといって患者や病院内が泥だけになっていいはずがない。消毒スプレーも必要かと備品棚を探そうかしたとき、 

「わたしが運びます」

 南明が汚れていない両手を見せてから、老婆の脇に、その手を差し込んだ。泥まみれになっていた老婆だったが、着ていた服がコーデュロイだったとわかるほど、南明たちは献身的だった。

「できますか? 意識のない人は重いんですよ。私が足の方を持ちますから──」

 婦人が険しい顔で言うと、

「いいえ、ひとりで充分じゃに」

 言うなり南明は老婆を幼児のように抱え上げた。柔術の技でも習得しているのか、小柄の南明が老婆を運ぶ様は、わずかにふらつくこともなく、見事なものだった。それは白衣の婦人も、ほうっと一言、驚きの溜息をもらすほどだ。南明が廊下を進んでいくと、婦人は点灯スイッチをつぎつぎと入れた。蛍光灯が一斉に灯る。振り返る南明に、婦人は処置室は右だと指さした。

「ありがとうございます。患者さんは低体温症だと思います。濡れた服を脱がしてください」

「はい」

 南明が小さくうなずくと、処置室へ老婆を運び入れた。

 ようやく両手の消毒を終えた筧も、急いで処置室へ向かおうとするが、それを白衣の婦人が制した。怪訝な顔して立ち止まる筧に、受付ロビーの横にある休憩室を手で示し、婦人は小声で告げた。

「実を言うと、一時間ほどまえに草薙さんが熱を出したんです」

「町長が? そんな、で容態は……」

「詳しい事は精密検査してみないとなんとも言えないけど、解熱剤を服用して今眠っているから、明日朝には恢復するだろうと院長は軽く診ているの。体力のある方ですし、大丈夫かとは思うんですが、ただ……もしよければ筧さん、少しの間だけでも町長の代行が出来ないかしら」

「……千堂医院長も町議会議員じゃないですか。自分より適任だと──」

 緊迫感ただよわせて筧がこたえると、

「──でも医師がまず守るべきものは町民たちの健康ではありませんか? 小名瀬町そのものを守るのは町長と議会の仕事です。ですが、主人の身体はひとつしかありません。今は副議長の筧さんが頑張って下さらないと」

「あ、奥さんでしたか、すいません。婦長さんだとばかり思っていました」

「自己紹介が未だでしたね。千堂の妻の椿です。婦長でも間違っておりませんよ」

「でも、でも、奥さんとしての気持ちは察しますが、だとしても、議会の同意が必要なんです。勝手に町長の代行業務はできないと思うんです」

 そこへ南明が処置室から戻ってきた。二人の横を通り過ぎる際、小さく会釈する。  

「ありがとうございました。大変たすかりました。あなたもお怪我はありませんか?」

 椿婦長は柔和な笑みでねぎらうと、筧も腰を屈めた。南明は小さく首をふった。

 ほぼ同時に、さきほどの青年が、廊下の突き当たりのドアから出てきた。後ろについて現れた壮年の男性が千堂院長なのだろう、白衣を掴んだまま処置室へと向かってくる。椿婦長も素早く処置室へ向かい、ドアを開けた。近寄ってくる千堂院長に、

「お願いします」

 頭を下げる。だが千堂は無言のままドアの中へ。ついで青年も入っていく。

 筧が処置室へと歩いてくると、婦人がチラリと目を合わせた。

「挨拶なかったわね。筧さんなのはわかっていたはずなのにね」

「ええ、まあ、そんなことより  

 そのときだった。

 ガッガッガッガッ  。

 床を踏み抜きそうな跫音が轟いた。すわ余震かと二人はギョッとして身構えた。だが、彼らが見たものは、どうしたことか、駆け去っていく南明の後ろ姿だった。

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