第3話 名もなき墓標(3)
「ここまで調べた時系列を追います」
桐生はまとめた資料をホロディスプレイに表示した。この調査に4日ほどかかったし、その作業にシリウスもフル活動したのだが、桐生のアバターは疲れていてもシリウスに疲れの兆候は全くない。さすがAIである。
「自殺したマンガ家は迅雷光(じんらいひかる)。マンガ配信大手で活躍を続けていて、今回の作品「星の雄剣」は連続60週間閲覧数トップ、閲覧パッケージは5000万部を超えてさらに1億部越えへ伸び続けると各方面から期待されていました。戦国時代の架空の剣士の活躍を通じて実在戦国武将の姿を生き生きと描くこの作品は子供だけでなく幅広い男女年齢層に支持されています。迅雷さんはその上でシリーズの途中からエージェント事務所と契約し、印税交渉、メディア展開交渉などを任せて創作に集中していました。しかし迅雷さんは精神障害の既往歴があり、長い間粘着質のアンチにも悩まされていました。メディアへの露出があるたびに『キラキラ障がい者』だとか『メンヘラ』だとかいった罵詈雑言を浴びせるモノが存在しているのをわれわれもシステムで把握しています。しかしそれもエージェント事務所が対応し、いくつかの悪質なアカウントについてはその時点で法的対応を進め、うち2件については民事で和解となっています」
「そういうエージェント事務所が間にいたのになんでこうなっちゃったんでしょうね」
「迅雷さん、どうも途中でエージェント事務所を解任しているようです」
「なんでまた」
判事が疑問を言う。
「わかりません。でもすぐに別のエージェント事務所と契約しています。そのあとで今回のドラマムービープロジェクトが始まります。ムービーの脚本はいくつものヒット作で知られる東川亜希(ひがしかわ あき)が担当することとなりました」
「その契約は2つめのエージェント事務所が担当、精査したのね」
「そのようです。しかしムービーの連続放映の中で生じた迅雷さんと東川さんの意見対立は激しく、エージェント事務所も対応に苦慮したようです。最終的には迅雷さんは著作者人格権の行使を訴え、ドラマ制作会社はそれで東川さんを外して迅雷さんが残りの脚本を書くことにしました。その通りドラマムービーのクレジットでは13話連続のうち9話からは東川さんの名前は無くなっています。でもそれでドラマは無事最終回を迎え、途中でファンを戸惑わせる展開があったものの、最終的にはおおむね良作との評価となりました」
桐生は水を飲んだ。
「問題はそのあとです。配信はそのまま13話行われていたのですが、マンガのコンベンションキャンペーンにあわせてドラマのリメイクの話が持ち上がります。そこでSNSでそのリメイクプロジェクトが出版社公式アカウントから発表されると迅雷さんと東川さんはそれぞれ別々にここまでの内情を暴露し始めます。そしてそれに互いのファンとアンチが入り乱れて強烈な炎上状態となります」
「そのときエージェント事務所は何をしていたの?」
判事が聞く。
「迅雷さんと東川さん双方のエージェント事務所が交渉していたようですが、事態の進行が早すぎて追いつけなかったようです」
「権利者当人が直接暴露しちゃうのは止めようが無いわね」
「しかも双方ともメンタルがデリケートですからね」
「作家ってのはいつの時代もだいたいそうだから、だからエージェント事務所が必要ってことなのに」
「それに迅雷さんのエージェント事務所は契約間もないところで相互理解とコミュニケーションが不足していたようです。そして誰も制御出来ない炎上の中、思い詰めた迅雷さんはボディセンターのセキュリティを自分で破壊して自殺に至りました。遺書は非公開でご遺族が読んでいるという噂が流れ、その内容の憶測も交えて誹謗中傷は未だに双方に続いています」
「東川さんは生きてるけどこれじゃ仕事にならないわね」
「そのとおりで誹謗中傷は激しく、新規の名前を出せる仕事は今もほとんど無いようです」
「結局双方、不幸なことになった、ということか……」
判事は溜息になった。
「現在審判院の倫理ボットを走らせて誹謗中傷をなおも行っている全てのIDに対し警告フラグを立てる作業をしています。続いて行政罰の適用を順次行う予定です」
倫理AIボットはこういうところは非常に強力である。しかしそれ故にその運用には制限が厳しく、その上で言論弾圧の道具だという強い批判も浴びせられている。情報審判院の制度は他にも危なっかしいと批判されている。ネットの常時監視も危険とされる。だがそれをやらざるをいけなくなる事件があったためにそれを超えることになったのだが、その話はここではまだ出来ない。
「東川さんは」
「動きはありません。しかし映画レビューやマンガレビューのインフルエンサーにいくつか悪質な振る舞いを行っている人間がいるため、行政罰以上の対応を検討する段階になるかどうか注視しています」
「そもそも、そんなことやらなきゃいいのに」
「彼らは例によって私的に正義を実行しているつもりですね」
「いつもながら正義なんて危なっかしいもの、よく素人が振り回して怖くないなと思うけども」
「そうですよ。でも人間は正義に飢えることがあるんでしょうね。昔から言われているとおりに。多くの警告処分となったアカウントの多くは処分を受け入れていますが、あいもかわらずんも言い分が多いですね。自分は不運不幸で恵まれてないからとか。中には誹謗中傷をするのも自由のはずだという者もいます」
「言っていることの意味の型が合いません」
シリウスが口を挟む。
「そうよね。全くイミがわからない。でもこんな騒ぎを人間は百年以上もやってることになるわね」
「20世紀、太平洋戦争前の科学雑誌の読者欄にすでに荒らしや誹謗中傷があったという説もありますからね。人間はこうもまなばないものです」
「でも妙ね。なんで迅雷さん、エージェント事務所を変えたのかなと思うし、二人ともエージェント事務所あるのになんで自分で暴露なんてリスキーなことしたんでしょう。エージェント事務所の意味が無いじゃない」
「そうですよね……もう少し調べてみます。確かに妙です。何があったんだろう」
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