第2話 名もなき墓標(2)

「いま盛んに報道されてる事件ですよね。描いた漫画がメディアミックスで作品が色々展開しはじめてるときにメディア企業側とのトラブルの実態を訴え、それで第三者の賛否両論でSNSで炎上しちゃって、それを苦にしたのか自殺した。炎上事件が最悪の痛ましい結果になってしまった件ですね」

 桐生が話す。

「でもあの事件、まさか自殺じゃなく他殺だったとか?」

「いえ、検死でもそういう事件性は全く見つかりませんでした。ただ、ご遺族が『情報倫理保護法』でしたっけ。その適用でその炎上騒ぎの誹謗中傷者たちへの法的対応を申請したいらしくて」

 情報倫理保護法とはこの時代にいくつもの誹謗中傷事件での犠牲の上にネット上での誹謗中傷を制限するために作られた制度である。リアルタイム監視、デジタルID、ペナルティポイント制度、デジタル更生プログラム、被害者救済制度などがその柱とされ、桐生たちの情報審判院はこの法律の運用のためというのが設置理由の一つである。

「全然めんどくさくはないですよ。我々の本来任務ですし」

「え、あの煩瑣な発信者開示請求とかの手続きは?」

「いつの話ですかそれ。今は情報倫理保護法でみんなID管理されてますから昔みたいに匿名の卑怯者が幅を利かせることなんて全くできませんし、それは僕らは絶対に許しません。僕らはそのためにいるんです」

 桐生は言った。

「でもそれでは匿名での正当な告発もできなくなると思うのですが」

 刑事は懸念する。

「正当な告発は告発で、別の制度で告発者を保護するようになってるんですよ。というか、こういうこと、ご存じないのですか?」

「……現場で事件に追われてるのもありますし、警察も人手不足で。本来はこの種の仕事は生活安全課の仕事なんですが、人不足で強行犯係の私も応援に駆り出されて」

「それにしては」

 女性刑事は恥ずかしく申し訳無さそうに言った。

「警察の現場でそういう勉強ができないのは本当に悔しいです。本来は知らなくてはならないのに、慢性的な人不足と治安の悪化で手が全然回らない」

「警察さんもなんですね」

「このボディーセンター時代になって人々が寿命や物理的な体から解放されてる時代のはずなのに、なんでこんなに仕事ばかりやたら多くて人手不足が蔓延しちゃうんでしょうね。根本的に何かがおかしい気がします」

 刑事が訴える。

「たしかに。で、ご遺族の意向としては制度の適用を申請する感じですね」

「ええ。ヒドイ誹謗中傷は今でも続いていて、とても耐えられないそうです。娘を奪われたうえでこんな娘への侮辱、理不尽がずっと続くなんて、と。お話を聞いていても憔悴しているのがよくわかりました」

「なるほど。確かにそれはたまらないですね。では、その申請は」

 そこでここまで黙っていた綾乃が口を開いた。

「この件、受理します。ここからは我々情報審判院が処理し解決に向けていきます」

「ありがとうございます!」

「ただ、我々審判院もこのとおりの人手不足だし、またこの種の案件では警察やその他機関との連携も重要です。いろいろとお願いする件もあると思います」

「承知しました。それは対応します」

「ヒドイ誹謗中傷事件になっていますが、制度で対応すれば収束にはそれほど時間はかかりませんよ。ご遺族にはメンタルケアの部署のものを派遣します。そして卑怯者どもにはすべてそれ相応の償いをさせます」

「すべてって、そんなこと出来るんですか。相手は何万人もいるんですよ」

「ええ。今我々はそれに対抗できる力と手段を持っています」


 刑事は去っていった。

「この件、あの刑事さんは複雑に考えてたっぽいけど、いつも通り、制度的に対応すれば誹謗中傷者への対応、難易度は低いですよね。誹謗中傷そのものは我々の運用している自然言語AIで判断したラインでばっさり切って、警告処分、行政罰、更生施設送致、そして一番重い処分で検察送致と短時間で処理できる。件数は多くてもそこは今のAI技術で殆どは機械的に対応可能です」

 刑事を見送った後、桐生が言う。

「交通違反の取り締まりに近いところがあるのかな、と思うことがあります。交通だと車は凶器になるけど、この情報倫理審判では普段使っている言葉が使い方によっては凶器になる」

 綾乃は黙ったまま答えない。

「判事?」

 桐生は気づいた。

「この件、ちょっとしっかり調べたほうがいいかもしれないわね。どうも事件として、まだ見えていない別の性格の面がある気がする」

「そんなことしてると時間かかりますよ。他にも処理待ちの案件いっぱいあるのに」

「かけてもいいと思う」

 判事のその言葉に桐生はちょっと言いかけたが、黙った。

 この判事はこう言うところがある。これが空振りになることもあるのだが、それでもこの仕事がまだ完全にAIに任せられないのだという結論に至ることも何度かあった。そしてこの仕事ではその『何度か』を安易にスルーしてはならないのだ。

「漫画家の身辺、組んでいたメディア企業の担当者関連の調査をお願いするわ。すでに警察がやってると思うけどもう一度確認したい」

「……承知しました」

 結局これでめんどくさいことになるのだが、桐生もこれを嫌がって『中途半端な解決』をしてしまうことの後味の悪さを身にしみて理解している。

「あと、あの刑事さんにもいずれ動いて貰う必要がありそうね。今すぐではないけど」

 判事はそう言って振り返った。そこには窓があり、この論理世界の空が見えている。

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