三 別れと絶望
それからどれくらい後だろう、学校に彼女が来なくなった。
突然、僕の気づかないうちに。誰かに夢見さんがどうしたのか教えて貰えばいいものなのだが、僕にはみんなに聞く勇気が出なかった。誰に聞けばいいのか、どうやって聞けばいいのか、そんなの僕にはわからない。
彼女がいない学校に毎日通っているとまた元に戻った気がした。一人ぼっちで何もなく、取り残されているように感じた。そしてまた保健室に足を運んだ。
ふと安藤先生に夢見さんはどうしたんだと思いますか?と問いかけてしまった。決して聞きたかったわけじゃないのに。ただ、誰にも聞けないそんな気持ちがふと言葉として出たのだった。安藤先生は驚いた顔をして僕に問いかけた。
「彼女に何があったか…知らないの……?」
深刻そうな顔で僕を見つめる先生は僕に何があったのか話してくれた。
彼女は数日前、マンションの屋上から“自殺”したのだった。
彼女が飛び降りたマンションは自分の家ではなく、学校近くのタワーマンションで、偶然その日は屋上の点検があり、鍵が空いていたそうだ。マンションは35階建でセキュリティも万全、どうやって入ったのかは伝えられなかったが、事件が起きてしまったのは事実だ。安藤先生は共有された情報を特別に全部教えてくれた。
衝撃を受けた僕は何も考えられなくなり、考えれば考えるほど今までの自分が嫌になっていった。その後の記憶はほとんどない。
ただ明確なのは気持ちが爆発して保健室で倒れてしまったことだった。
それから今度は学校にも向かわなくなった。足を運ぶのが怖いとか、いじめられたくないだとかそんな簡単な話ではなかった。いじめられていても一人ぼっちでも、学校を休んで家に引き篭もることは人生で一度もなかった。そのせいで毎日母が朝から僕の部屋に来てこういった。
「ごめんなさい、何か私が気づけないことがあったかしら、なんでも言って欲しいわ…」
母に謝らせてしまったのは初めてだった。どんなことがあってもあまり僕のことに対して謝ることがなかった母。
自分が学校に行けないことで母を追い詰めてしまうかもしれないと思うと心を殺してでも学校に向かうことに意味があるのかもしれないと感じた。でも、自分の足は僕の心を拒否した。どれだけ動こうと思っても、学校に向かう準備をしようとしても、身体だけがおいていかれている気がした。何かが抜けたような、感じだった。身体に力が入らない、心と身体が闘っている…
コンコンッ
ノック音に僕はビクッと身体を震わせた。また母だ、また謝らせてしまう…。
「母さん、もう恵吾を一人にしてやってくれ。」
ノックをした母に兄が声をかけた。扉の前で二人が話し合っている声もたくさん聞こえた、途中から言い合いになってることも感じた。こうやってまた僕は部屋から出られなくなるんだ…
僕のせいで仲のいい二人を引き裂くような形になってしまった、兄は僕のことを思って今まで何もしてこなかった母に対して文句を言っているようだった。でも、僕の今までのことは何も言わず、傷つけないようにと気をつかって話しているようだった。
母はもちろん兄の言っていることが全く理解できないようだった。
夜中、お手洗いに廊下へ出た時だった。そこには兄が立っていた、こちらに近づき何をいうわけでもなく、ただいつものように背中を優しく撫でてくれた。お手洗いをすませてからも兄は部屋まで僕を送ってくれたので、そのまま部屋に入ってもらうことにした。
あの時と同じだ、暖かさも兄の顔も。だけどそんなことじゃ僕の心は戻らなかった。前と違った、僕のいじめなどという簡単なことではなかった。
彼女を救いたかった。
自分にできることはなかったのか、そう考えながらベッドに戻り、兄にも寝るように言った。
泣いて、泣いて、たくさん泣いて、枯れてしまうのではないかと思うくらい泣いた。その疲れのせいかそのまま眠ってしまった。
どれだけ時間が経っても僕の心から“夢見明輝”という言葉がつっかえたまま出ていかなかった。疑問ばかりが生まれてしまう、切り替えればいいという問題でもないし、真実を知りたい。どうして自殺してしまったのか、少し前まで一緒に会話して、一緒に帰って、一緒に部活をやっていたのに、また会いに行くと言ったのに…。
彼女の夢を見て起きてしまった僕は、身体が動くままに部屋のものをぐちゃぐちゃに床へ落とした。ドカドカと家に鳴り響く音は、まるで地震でも来たかのようだった。本棚を倒し、机の上の教科書も、筆箱も、全部、目に映るもの全てが見たくなくなった。彼女しか見たくない、なんのために僕は生きているのかわからなくなった。
僕が床にしゃがみ込んで過呼吸になっていると、兄が部屋に入ってきて僕を落ち着かせよと背中を撫でる。
「そんなことしたって僕の心が治るわけじゃない!!」
兄に大きな声で怒鳴ってしまった。そんな言葉を伝えるつもりではなかった。
今自分はどんな顔をしているだろうか、どんな声で叫んだのだろうか、ゲームの世界みたいに第三者視点で見られたらいいのに、そのまま兄を追い出してしまった。
それ以降兄は僕の部屋に来なくなった。母も兄と話した影響か、ご飯を届ける以外には部屋の方へ来ることはなくなった。僕もあれ以来家からはもう一週間以上出ていなかった。自分はもう、二度と学校に行けないんだろうと思った。今更学校に行ったところで、それこそまたいじめに発展するに決まってる、そうすれば中学生の時と同じで苦痛な学校の日びが始まってしまう。
中学の頃は二年生の途中からだったが、今いじめが始まったら、あの苦痛をもっともっと長い時間耐えなければいけなくなるのだった。それに高校は中学と違って被害が大きい、一つのいじめでも耐えられるようなものじゃない。
あの地獄をもう一度味わうくらいなら、自分も彼女と同じ場所に行きたい。そうすればもう一度彼女と再会できる、僕は何も伝えられていない。
こんなことになるのなら好きの一言くらい伝えておくべきだった。どんなことを祈ったって願ったって、彼女が帰ってくることはないのだから。どうすれば彼女に伝えられる?そんなことを考える日々が始まった。
母の作った食事も、喉を通らなくなっていく日々。運動も勉強も何一つせず、ただ彼女のことを考える。そして、気づくと僕は窓の淵に座っていた。
外の空気を吸ったのはいつぶりだろう、部屋から出るのも、必要最低限の時以外は出ないようになっていた、そしてふと空の景色を見る。
あぁ、空の上に彼女はいるのだろうか?天国だとか地獄だとか、そんなことを考えたのは今までなかった、信じていなかったからだ。
だってそうだろ?死んだら終わり、そこで終わりなんだよ…そう思って人生生きてきた。いじめられても死んじゃいけない、いつかまた環境が変わればいじめもなくなる、自分の人生変わるって。
視線を下げるとそこは暗くなった道だ、このままだ、このまま下へ落ちていけば彼女に会える。そう考える時間が続いていった。でも僕には飛び降りる決心がつかなかっ
た。昔から痛いことや怪我をすることが嫌いで、予防接種の注射や包丁などが怖かった。そんな僕が窓から飛び降りるなんて脅されてもできないんだろうなと思っていた。そんな勇気がないことぐらい昔からわかりきっているのに、なぜか勢いに任せて僕は宙を舞っていた。自分でも気が付かなかった、気づいた時には身体中に痛みがはしっていた。
痛い、痛い、痛い、苦しい、息ができない。
ゴンッと鈍い音を立てた僕の後ろでドアが開き、女性の叫び声が響いた。
「恵吾!恵吾!!」
僕の名前を呼びながら叫び続ける母の声に耳を貸すのも馬鹿馬鹿しかった、心配されている気にならなかったのだ。母は昔から僕が怪我をしても男の子だから大丈夫、強いから大丈夫、泣いたって大丈夫と僕のことを心配しているそぶりはなかった。自分のせいで僕が怪我をした時も恵吾がもっとよく周りを見ないと、また同じ失敗をするのよ?これが成長なんだからと言い続けていた。
じゃあこれも成長のうちだろう?どれだけ痛いことでも母の考えでいけば成長なんだ。僕が死んだって、僕がどうなったってどうでもいいんだろう?そんな考えが急に浮かんだ。そこからの記憶はもうなかった。
母のいう成長とはなんなのだろうか、成長の近道、それは死だろうか?
兄にそんな言葉を使っていることがあっただろうか?
眠りについた僕は頭の中でそう考えていた。
このままいけば彼女の元へ行ける、身体は激痛でボロボロでも彼女に会えるのならなんでもしようと思えた。
僕はによりも、母よりも誰よりも
彼女を愛したいんだ
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