第11話
*
かるたの高校選手権が終わった。慎二は個人戦で見事優勝した。
有言実行とは、まさにこのことだろう。バットを掲げ、ホームラン予告をして本当に球を打ってしまうという、どこかで見た古い野球漫画を思い出した。思ったことは必ずやり遂げようとする、慎二の底知れぬ意思の強さには、尊敬というよりも畏怖さえ感じることがある。
花梨は義父の墓をたわしで丁寧に洗い、雑草を取り、花を飾って手を合わせた。太陽の炎に炙られていた墓の表面が、気持ちよさそうに水をはじいていた。
「お祖父ちゃん、慎二、かるたで優勝したで。これであの子、無事に京都へ行けるんかの。お祖父ちゃんからのお金も、ありがたく使わせてもらうでの」
義父の墓はなにも答えない。花梨の投げかけた言葉は水の蒸発と共に消えていった。
盆の早朝ということもあり、他にも数人ほど墓の掃除に来ていた。墓参りが済んだら花梨は仕事だ。盆はスーパーの書き入れ時でもある。今日は長い一日になるだろう。
義母の部屋から見つかった保険は、慎二の貯蓄目的で掛けられた養老保険だった。十八歳満期で一括払い、特約はなし。義父が貯めていた貯金と保険の解約金はすべてそこにつぎ込まれていた。契約時が予定利率のよい時期でもあったため、配当金も合わせるとかなりの額が満期で貰える。この臨時収入は非常にありがたかった。栄一と一緒にコサックダンスを踊ることも、もうないだろう。
保険証書が見つかった経緯を浩司に話したとき、彼はものすごい剣幕で怒り始めた。
「お祖父ちゃん、証書を隠すなんて信じられん! いったいどうするつもりやったんや! ほんと、意地悪なやっちゃの!」
かるたに無知な俺への当てつけか、とぶつくさ文句を言っていたが、義父から渡された大事な紙をなくしてしまったことについては、都合よく棚に上げていた。慎二がいなくなってしまうと浩司へのツッコミ役が自分一人になってしまうことに、花梨は今からどんよりと気が重くなった。
義父はお金を隠していたわけではない、と花梨は考えている。満期の期限が近付いたら保険会社から通知は来るし、たとえ証書を紛失していたとしても、所定の手続きを踏めば保険金はもらえる。もしこれが銀行の普通預金だったら、お金の存在自体に気が付かなかっただろう。
ではなぜ回りくどく「俊恵」という言葉で伝えようとしたのだろう。花梨は様々に憶測した。かるたに無関心な自分たちに、もっと興味をもってもらいたかったのだろうか。浩司への当てつけというのも、まあ、なきにしもあらず。もしくは義父ならではのユーモアか、ちょっとした悪戯心だったのかもしれない。
俊恵はどうだろう。彼女との出会いは必然だろうか。義父の弟と定家は十年前に同窓会で会っていた。フィンランドにいて会えないという子どもの話を、弟を通じて義父が聞いていた可能性は十分にある。俊恵の話を浩司と花梨にも聞かせてやりたいと義父が願った……というのは、さすがに考えすぎかもしれない。とすればこれはただの偶然だったのか。しかし花梨はこの出会いに、まるで義父が導いたような不思議な縁を感じていた。
『近くか遠くかなんて、親が決めることやないんやと思ってます』
何気ない定家の一言。当たり障りのないこの言葉は、消えることのない残響となって花梨の心に痛烈に突き刺さっていた。
――かつて慎二の将来について、家族で話し合ったことがある。
慎二がまだ幼い時だ。誕生日のことだっただろうか。いつだったか、祝いの年までは忘れてしまった。
ローソクを吹き消して無邪気に喜ぶ慎二があまりにも可愛らしく、記念に何十枚と写真を撮った。健やかな子どもの成長を目の当たりにすると、親は子どもの将来を自然と語りたくなるものである。親たちは賢く聡明な慎二に期待を膨らませていた。末は大臣、とまではいかないまでも、先生か、お巡りさんか、それともお医者さんか……一人息子だから慎二にはなるだけ地元にいてもらいたい、そんな勝手な願いを、浩司たちは次々と子どもへ押し付けようとしていた。そんな会話に義父は黙って耳を傾けていた。
「お祖父ちゃんも、もちろんそう思うやろ? 慎二は足羽会にいてもらった方が嬉しいに決まっとるが」
義父はしかし、優しく語りかけるようにその言葉へ切り返した。
「慎二にはどこにいてもらってもええ。かるたを楽しくしてくれていれば、それが一番や。福井でもどこでも、そんなにこだわらん。近くか遠くか、そんなん決めるのは親の仕事やないさけえ」
のお、慎二、と孫の頭を優しく撫でて、義父は嬉しそうに微笑んでいた。
足羽会のためにも慎二には福井で頑張ってほしい、そう答えると思っていただけに、義父の言葉はあまりにも予想外だった。浩司と花梨は驚いて顔を見合わせた。
自分たちへの戒めのために、義父はもう一度定家の姿を借りて同じ言葉を繰り返したのではないか。花梨にはそう思えてならないのである。
大学のことをどうするのか、それを考えるときに、慎二の夢のことは二の次になってしまった。我が家の経済状態から夢を逆算するのではなく、夢があるから親がどうするべきかをまず考えるべきだった。可愛い息子にはなるだけ近くにいてもらいたい、そういう親のわがままと寂しさもあった。
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