第8話

 花梨は何かに言葉の続きを妨げられたように黙ってしまった。花梨の顔をちらりと覗き込んで、俊恵は手のひらを振った。


「気に障ったんならごめんなさいね。私の言うことなんて気にしないで、八重園さん。ただの老人の戯言だから。ご家庭それぞれに事情はあるんやし。親だって言いたいことはあるでしょう」


 膝の上に広げた手のひらを、皺の数を数えるように俊恵はじっと見つめた。


「わたしもね、自分のことで忙しくて。お庭のことが大好きでね、他のおうちのガーデニングもお手伝いしたりしているんですよ。まあ年寄りのお節介ですけどね。それでもお友達の輪が広がって、こんな年なのに活動の場もどんどん広がっちゃって。あわらに新しいカフェができたでしょう? ジャルダン・ディリスという名前のカフェ。そこのおじいさんとも知り合いで、お店のお庭作りも手伝っているんです。ガーデニングの他にも、趣味で習っているポーラセーツもありますしね。毎日が何かと忙しくて。だから、一人で寂しいけれど寂しくないんです」


 俊恵は庭の方に顔を向けた。レースカーテンから透けて見えるその向こうには、緑のトンネルが窓にノッポのビルのような日陰を作っていた。


「あのアーチに絡ませているツタ、『夏雪カズラ』っていうんですよ。八重園さん、知ってます?」

「夏雪……初雪カズラなら知っていますけど。冬に赤く染まる葉っぱものの」

「名前は似ているけど、それとは違うのよ。夏雪カズラはものすごく丈夫にツタを伸ばす植物で、真夏に真っ白な、小さな花を無数に咲かせるの。その花びらが落ちてくると、雪が降るように地面も真っ白になる。夏に降る雪で、夏雪カズラ」

「まあ……」


 夏の雪というものを花梨は想像した。太陽の日差しを浴びながら、ひらひらと可憐に舞う粉雪。幻想的で不思議な情景だった。


「花言葉は『今年の冬に降るはずの雪』、何かのドラマで作られた花言葉なんですけどね。花は咲いても本当の雪は見られないっていう寂しい意味合いなんですけど、私はこれをいい方に解釈してるんです。今年どこかで降るはずだった雪を、それを見られない自分にもたらしてくれるものやって。雪がなくても、この花があれば大丈夫やって。そしてこの花が咲けば、きっとどこかにまた綺麗な雪が降ってくれるような、そんな奇跡をもたらしてくれる花なんじゃないかって」


 俊恵は窓を見て遠くを見るような目つきをした。まるで窓の外に見知らぬ土地が広がっているかのように。小鳥の影がカーテンを横切り、さえずりの歌が俊恵の声と二重奏のように重なった。


「だから、私はこのツタを大事に育ててるんです。毎年花が咲いて、雪が降って、それがずっと続く限り、フィンランドにいる息子たちとどこかで繋がってるんやないかって思ってね。そう思うと、なんだか素敵でしょう?――まあこれも、老人の戯言なんですけどね」


 見知らぬ遠くの世界からようやく視線を戻した俊恵は、もう一度ふふっと笑みをこぼした。部屋の空気が柔らかくなるような、穏やかな微笑みだった。

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