第6話


 義父の眠る墓地のすぐそばに、その住所はあった。寺の敷地に入る手前、横道に逸れたところに家が数件立っており、目的の家は並んだ家の一番向こう側になる。


 築三十年ほどの木造の家には、和風の趣に似つかわしくない洋風のイングリッシュガーデンが広がっていた。白バラやピンクのペチュニア、紫のジギタリス、リナリアなどの初夏の花が彩りよく咲き乱れ、雑草もなくよく手入れされている。菓子のような甘い芳香が初夏の風に運ばれてきた。香りに誘われた蜂がバラに身を滑らせ、鈍い唸りを上げて甘い蜜に歓喜していた。レンガ敷きの小道が続く庭の入り口では植物のアーチが客を迎える。緑の小さな葉っぱを隙間なく茂らせたツタが何十本もの枝を出して、勢いよく燃える炎のように天まで伸びようとしていた。花のない、瑞々しい緑のトンネルだった。


 花梨は表札を見た。「定家」と書かれた文字と手紙の苗字が同じであることを確認する。インターホンを押すと、返事とともに白髪の初老の婦人が現れた。華奢で小柄な体に、アンサンブルのサマーニットとベージュのロングスカートを合わせていた。


「あのう、先日電話で連絡しました八重園と申しますけど……」


「あらあらいらっしゃい。初男さんとこのお嫁さんやね。始めまして、定家ていか俊恵としえと申します」

 俊恵は目尻に皺を増やして笑顔を見せ、手を前に添え丁寧にお辞儀をした。




 通されたリビングは程よく整理されて、レースのカーテンには刺繍が施されていた。花瓶には庭で咲いていたバラが活けられていた。幾重にも丸く重なる淡いピンク色のバラが、ブーケのようにアレンジされている。俊恵は紅茶とクッキーを木製のトレイで運んできた。ティーポットとカップにもバラが描かれていた。カップを手に取って、花梨はじっくりと絵柄に魅入った。赤いバラとアイビーが細かく描かれた、繊細な絵柄だった。


「このカップ、素敵ですねえ」

「あら、ありがとう。カップもティーポットも、私がポーラセーツで絵を描いたんですよ」

「え、定家さんがですか? すごいですね」

「いえ、そんなに大したものじゃないけど」


 俊恵は節くれた細い指を口に当ててころころと笑った。笑顔の可愛らしいおばあさんだった。俊恵の後ろの棚にはたくさんの絵皿が立てかけてあった。小花をふんだんに描かれたものもあれば、ドット柄や抽象的な図柄のものまである。センスある作品の陳列が彼女の才能を物語っていた。


「定家さん、今日はほんとにすみません。ちょっとだけお話を伺いたかっただけなのに、こちらまで押しかけてしまって」

 八重園が粗品を渡して軽く詫びると、俊恵は首を振った。

「こちらこそ嬉しいんですよ。あの初男さんのご家族にお会いできるなんて思いもしなかったから」


 俊恵は背筋を伸ばしてソファに座った。上品な佇まいがちょっとしたしぐさにも表れていた。


「初男さんの二つ下の弟さん、康男さんとは高校の同級生でしてねえ」と、俊恵は思い出を懐かしむように、目尻にしわを増やした。「高校の頃は、初男さんも康男さんも、そりゃあモテたものですよ。兄弟揃って美しくて、凛々しくて、競技かるたもお強くて。お二人とも陰では女の子たちから『麗しのかるたの君』なんて呼ばれていてね」


 俊恵は頬をピンク色に染めて、ふふっと軽く笑った。

「私も憧れててねえ、康男さんにも初男さんにもたくさんお手紙を書きました」

「ああ、もしかしてこれでしょうか」

 持ってきた手紙の束を花梨は差し出した。途端に俊恵の頬がさらに朱色を濃くした。

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