三重の弟

青いひつじ

第1話



『あれ、三重の弟じゃね?』



姉は、同じ高校の3年生で、クラスの人間から三重と呼ばれている。

調査の結果、三重とは"三重県"のことであることが分かった。姉の、どの女子グループにも属さない性質が、何地方に属するのか分かりにくい三重県と似ていることからそう命名されたらしい。


特にクラスの男連中からそう呼ばれている。いじめを受けているというよりは、いじられている感じだと思う。

肉親を庇っているわけではなく、冷静に状況を判断した上で、そう考えたのである。僕は私情は挟まないタイプなので。




4限目、体育館へ向かう廊下で姉とすれ違う。当たり前に僕は空気となる。ふたりの女友達と腕を組み、ケタケタと笑いながら実に楽しそうであった。


僕と違い、姉は明るく、得な性格の持ち主だと思う。新しいクラスでは、クラス委員に推薦されたらしい。しかし、生徒会に入るほどの人気ではない。市長にはなれないが、町内会をまとめるくらいの支持はあるのだろう。

過去には、姉に届けてくれと、僕にラブレターなるものを渡してきた男もいた。


そんな町内会長レベルの人気を誇る姉であったが、家での態度はひどいものである。

ラブレターを渡してきたあの男に、1度見せてあげたい。



「ただいまー」


夕方5時。帰宅を告げた僕の声は、廊下を通り抜け、奥のキッチンへと消えていった。もちろん返事はない。玄関の真ん中には、脱ぎ捨てられたローファーがあった。姉は帰宅している。


家では、完全に上下関係が出来上がっている。

基本的に、僕がテレビのチャンネルを握ることはない。一番風呂は姉と決まっている。

飼っている柴犬(以下お豆)の散歩に行くのは僕なのだが、お豆は姉に懐いている。

姉は完全に僕を舐め腐っているので、記憶が確かであれば、僕のお願いを聞いてくれたことは1度もない。


見事なまでのタテ社会である。家で階層制度が導入されていることに気づいたのは、中学生の時であった。制度へ反対の意を表さなかったこちらにも原因はある。



僕はキッチンへ向かい、弁当箱をシンクに入れた。リビングを覗くと、姉がお豆と一緒にソファーに寝転がり、昨日録画したバラエティ番組を見ていた。好きなアイドルが出ている番組だ。テーブルにはチップスと炭酸飲料が置かれている。

こんな姉のどこがいいんだか、と僕は目を細める。


「ほら、お豆。散歩行くよ」


かけてあったリードを手に取ると、この時だけお豆は素直にやってくる。




夕方6時。空はオレンジ色と紺色がちょうど半分。散歩から戻ると、むわんとした味噌の香りが僕を出迎えた。

国子(くにこ)さんが帰ってきていた。国子さんとは、僕の母親の名前である。


「ただいまー」


『亮太(りょうた)おかえりなさい、お豆もおかえり〜〜。お〜そうかそうか嬉しいか〜うんうん』


お豆の足の裏をティッシュで軽く拭きとり、リードを外すと、すごい勢いで姉の元へと走って行った。


『お〜、お豆〜楽しかったか〜』

『アンッ!』

『そうかそうか〜』


リードを定位置へ戻し、手を洗いに洗面所へ向かおうとしたその時、リビングから出てきた姉と出くわした。2秒ほど目が合った。


『なに?』


「なんにも」


僕の答えに姉は、ハァーと深いため息をついた。



『お母さん今日のご飯なにぃ』


『豚汁と鮭焼いたやつ。もうできるから机の上のそれ、片付けちゃって』


『だって亮太』


机の上には、誰が使ったのか分からない爪切り、拓哉さん(父の名前である)の飲みかけのマグカップ、その他リモコン類が乱雑に置かれていた。僕はそれを所定の位置に戻す。




6時半。外は青い夜に変わろうとしている。


『お父さんは?』


『仕事で遅くなるって。8時くらいには帰ってくるんじゃない?』


僕がズズッと汁をすすると、姉が小さな声で『きもっ』と呟いた。


「きもくない」


『あなたたち仲良いわよね〜』



国子さんはにこにこ嬉しそうである。

どこがだよ、と心の中で一旦ツッコミを入れる。



国子さんは、僕が幼い頃から"お母さん"ではなく名前で呼ばせていた。理由は分からない。小学校4年生くらいまでは、くにちゃんと呼んでいた。

高学年になった頃、母親を名前で呼んでいることを近所の子に馬鹿にされた。恥ずかしかったが、今更お母さんと呼ぶのも抵抗があり、家でだけそう呼ぶようになった。

最近はエアリアルヨガにハマっているらしく、会社帰りに教室へ行っては、新技の写真を僕に送りつけてくる。



父のことも、拓哉さんと呼んでいる。

拓哉さんは市役所に勤める、ごく普通の公務員である。これといって特徴はない。強いてあげるとすれば、無類の蟹好きである。

なので僕たちの家族は、お祝い事があるたびに蟹を食べる。拓哉さんの誕生日には毎年、ズワイガニを山ほど買い、家族みんなでお腹いっぱいになるまで食べる。受験合格の時も食卓には、ホカホカの湯気を纏った、お風呂上がりみたいな蟹が並んでいた。


こうしてみると、国子さんも拓哉さんも少し変わってるな。そんなことを思いながら、僕はまた、ズズっと汁をすすった。



『あ、そうだ。今日スーパー寄ったらメロンが安くてね、買ってきたのよ。亮太あとで食べるでしょ』


「メロン?」


『えぇ。亮太好きでしょ?』


「まぁ、普通?あったら食べるくらい」


『あら?そうだっけ?昔は毎年、誕生日にメロン買ってたのに』



たしかそんなこともあったかと、国子さんに言われて思い出した。



『みんなで食べようとしたら、亮太がダメって自分の部屋に持ってくもんだから、何してるのか覗いたら‥‥』


「え?なにしてたっけ?」 


『あなた、メロンを机の上に置いて、じーっと観察してたのよ。もうお母さんおかしくって』


『きんもっ』


『そのあと、学校でメロン太郎っていじめられたー!って怒ってたわね。あの時からかしら、メロン買わなくなったの』


『あー、あった。そのせいで私小年生の時、メロン太郎の姉って呼ばれてた。まじ最悪』


「‥‥覚えてない」



その時だった。鍵を開ける音が聞こえて、お豆が飛び起き、玄関へ向かった。


『お〜お豆〜、ただいま〜』


拓哉さんの声が聞こえた。国子さんも玄関に向かった。


『おかえりなさい!早かったわね〜、先食べちゃたわ』

 

帰ってきたら拓哉さんの眼鏡はうっすら曇っていた。額は所々きらりとひかり、息も少し上がっているように見えた。



『いいよいいよ。それより、これ』


そう言うと、なにやら嬉しそうにビニール袋を食卓へ置いた。



『なぁに?』


『実は、昇進が決まったんだ』


袋の中で包まった新聞紙を開くと、オレンジ色の蟹だった。


『あら!やだ!あなたおめでとうー!これ茹でガニよね、今お皿出しますね、みんなで食べましょ!』


『はは、今日はお祝いだぞー!』


その夜の食卓には、豚汁と焼き鮭、そして机の真ん中には、立派な茹でガニが並んだ。






朝8時15分。校門をくぐる。

部活には入っていないので、毎朝この時間に学校に到着する。桜の花びらが目の前を通過した。


『奥山〜!おはよう〜』


「おはよう〜。今日遅くない?」


『寝坊ー、あせったー』


友人の下田である。



『お前3組の山田の話聞いた?』


「なに?」


『ねぇちゃん、万引きで捕まったらしいぜ。美人で自慢の姉だーとか言ってたのにな』


「へぇー」



渡り廊下を走る、楽しそうな3人の女子生徒が見えた。



『お、あれお前のねーちゃんじゃね?』


「うん、多分そう」


『声かけてみてよ』


「だれがかけるか」






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