(十五)

 純暦一九二四年。

 七月初旬にディストピアが崩御してから、大陸は徐々に明るさを取り戻していった。人々は未来に希望を抱き、枯れた大地では小さな緑が宿りはじめた。ふたたび大地を。故郷をとりもどした人族たちは、各地で妖魔討伐隊を結成。数は次第に減少し、被害報告は目に見えて減っていった。

 魔族と人族の問題は、けっして一筋縄ではいかなかったが、いくらかの魔族は人族と和平を望み、人族もまたその手を取ろうという者がいた。

 魔族側の筆頭となったのは、魔国ディストピアで革命軍として立ちあがった魔族の青年だった。なんの巡りあわせか、わたしは彼の演説を聴く機会を得る。赤茶けた髪をゆらしながら、青年は人族との和平を強く望んでいることを語った。魔王のことを強く批判し、もう二度とあんなことがあってはならないと拳を握る。彼のとなりには、人族の妻と、生まれたばかりの子どもがいた。魔族の友人も、人族の仲間もいた。同じ志のもとに多様な種族が集うさまは、まさに未来への希望のごとく輝かしいものであり、わたしはなにも言えないまま、これからの和平を担ってゆくまばゆさを前に、演説広場の端で、ただそっと息をするばかりだった。

 青年は演説の最後に、魔王ディストピアの象徴たる杖を投げ打ち、薄氷の髪をひとふさ掲げると、

「魔王ディストピアは死した! わたしはこの生涯を、全種族の共存と和平に捧げよう。それは愛すべき家族がため。志と苦楽を共にする仲間がため。そして、志半ばで死んでいった仲間と、敬愛すべきの師。きたる未来の子どもたちのために!」

 と言った。

 わたしは〈青玉〉という単語が出たとき、つい失笑してしまった。――ああ、サファイアは託していたのだ。わたしだけでなく、ほかの多くの者たちへ。たくさんの希望が残るように。同時期にほかの地域でも、共存演説がおこなわれた。純人族、亜人族、魔族……種族はさまざまだった。

 むろん、これまでのことをすべて無にすることなど不可能であり、魔族に強く反発する人族も多かったことは、いうまでもない。魔族の一部はその反発から逃れるようにそっと人里を離れ、歴史から姿を消していった。

 大陸各所では共存推進運動が続き、わたしは情勢を眺めながら時を過ごした。報道各所には〈暁の英雄〉が魔王を討ち果たしたことが記録されていた。

 イルフォール島は、魔王ディストピアの終焉の地として語られ、以降、誰も近寄ろうとはしなかった。


 ある日、研究施設の休息所で、わたしはこの胸中にある杞憂きゆうをケインへ打ち明けた。過去にあったように、いつか憎しみを募らせた魔族が、未来の輝きを覆してしまうのではないかと。

 ケインは後ろ脚で耳を掻きながら、それを一蹴いっしゅうした。

「サファイアは存外、頑固者でね。いや、完璧主義と言うべきか。心根がどれほど優しくとも、彼は自らの情や心のやわらかさで不安分子を野放しにしたりしなかった。この事実をレクサスくんが知らなかったのは、ある意味幸せだったのかもしれないね」

「もし知っても、レクサスはサファイアを愛しただろうよ」

 わたしはコーヒーを片手に、息をついた。

 ケインはうなずいた。

「なるほど。だとしたら」

 ちりん、と〈魔導抑制具〉の鈴が鳴る。

「その事実を言えないことこそ、サファイアにとって一番の弱さだったのかもしれないね」

「なぁ、ケイン」

「なんだね」

首輪ソレ、外さないのか」

 訊ねると、ケインは笑った。

「これもそのうち、ただの装飾品として形骸化してゆくだろうね」

「ならもう、意味なんてないだろ」

「なに。亡き友サファイアとの思いでさ」

 ケインはもう一度、ちりん、と鳴らした。

「彼はこの音が聴こえると安堵するのだと、飽きるぐらいに言ったものでね。するとどうだろう。いつしか。どうしてかボクもこの音を聴くと、彼がそばいるような気がするようになったわけだ」

「お前……」

「ボクは彼の前で、ただの猫であり続けた。彼はそれを見抜けなかった。あるいは見抜いていても口にはしなかった。それほどに、彼は凡愚ぼんぐだったのさ。そしてそんな彼のことを、ボクは気に入っていた。なんたって、なで方が良かったからね」

 得意げに。そして懐かしむように、ケインは咽喉を鳴らした。わたしが大陸中を歩いていた相応の時間。彼はサファイアを見てきたのだろう。ケインのまなざしには、郷愁が横たわっていた。しかしながら、ケインが見てきたものを安易にのぞくことが、わたしにはできなかった。彼もまた、安易に語ろうとはしなかった。けっきょく、ケインがサファイアのことを饒舌じょうぜつに語ったのはその時だけで、彼は過ぎ去っていく日々の中で、ときおり思いだしたように咽喉を鳴らしては、老いた尻尾をひとつ振るのだった。


 それから数年の間に、わたしは活動拠点をヴァリアヴルから本大陸の北方へ移していた。とはいっても、調査研究で大陸のあちこちを駆けずりまわるのだから、いるのはせいぜい年に数カ月ていどなのだが。ヴァリアヴルとのやりとりは変わらず続いていて、各国の研究調査班とも連携できるようになったことは、こうして対策を進めていくうえで非常にありがたいものだった。

 さて、そのあいだにわたしが取り組んでいたのはもっぱら、本大陸の〈禁域〉調査だった。イルフォール島のように、なにかが起こってからでは、もう間に合わない。〈禁域〉はレヴを奪い、サファイアやレクサスまでもが、その犠牲となった。――なにもわたしは、たとえば復讐だとか、使命に燃えているとか、そういうことではないのだが。しかしこれを放っていてはいけないのだと知ってしまった。幸い、こういった調査は性に合っているらしい。また、せわしなく動きいっぱいに思考を回している時間は、わたしをかつての罪悪感から救ってくれる。それが、ありがたかった。

 結果から言うと、〈禁域〉はどこも魔素・瘴素ともに濃度が極めて高いことがわかった。とりわけ、地下や大気の淀みがある場所は顕著けんちょだった。さらに、地殻変動などで新たに瘴素が発生する場所もあり、それらは対策が急がれた。

 そのさなかでわたしが目をつけたのは、いくつかの植物だ。魔化に強いその種は魔素を栄養として生長し、同時にとりこんだ瘴素を無害な物質へ分解して排出する特性をもっている。研究をさらに進めれば、魔化の早期治療薬や、予防薬が開発できるのではないだろうか。そしてもうひとつ。わたしはある可能性を見いだしていた。この植物をうまく利用することで、〈禁域〉やその周辺における瘴素濃度を低減させることができるのではないかということだ。植生や生態系へ与える影響の懸念も含めて入念な調査が必要となるため、今すぐに効果が出るわけではないが、ゆくゆくは大きなちからとなってくれることだろう。

 さらにわたしはこれらによってある気づきを得た。魔族や天翼族が魔化しない理由が、同じようなものではないかと思いいたったのだ。わたしが北方へ拠点を移したのは、ここに隠れ住む魔族からいくらかの協力者を募るためだった。彼らの多くは、人族とのかかわりに疲れていた。また、さきの戦争で捕虜となった者たちはとくに人族をおそれていて、とても話をできるようすではなかった。

 わたしはしばしば彼らの集落へ足を運び、時には住みこんで生活を共にした。驚いたことは、彼らの多くは温厚であり、成長の過程で魔導を自然とあつかえるようになることだった。さらにいえば、その魔導というのも、多くは日常生活に自然と使われていることで、強いちからを持つ者は狩りや集落の防衛にあたり、それ以外の者は力仕事や日々の暮らしに従事していた。

 興味深かったことは、彼らは個々の魔素がおおよそわかるのだという。つまり、わたしたちがふだん、顔や匂い。声やしぐさで人を見分けているように、彼らは固有の魔素の性質でもわかるという。魔素そのものにいくらか種類があるのかと、たいそう驚いたものだ。このことをイナサに訊いてみると、彼は心底驚いた顔をしながら「固有の魔素で判断するのって、ふつうですよね?」と逆に問われてしまった。しかも彼らは、いちど覚えた固有魔素なら、あるていどまでなら、離れても探しだせるのだという。そんなの知ったものか。いまのいままでわたしは知らなかったというのに、イナサがさも当然な顔でいうから、少々いらついて、わたしは彼の膝裏へ蹴りをくれてやった。――ともかく、獣人が五感に優れているように、魔族は魔素や魔導についての感覚がほかの種族よりもはるかに優れていることがわかった。

 次第に、集落の者たちはわたしに嫌な顔を向けなくなった。わたしはなにも特別なことをしたわけではない。ただ時間をかけた。彼らはわたしという人間を知り、慣れ、次第に警戒を薄め、わたしが敵でないと判断するまでに数年。さらに協力を得るまで数年。しいて言うなら、情報を開示する順番にだけ気をつけた。それをまちがうと、一転してしまうだろうと思ったからだ。

 そうしている間に、わたしは気がついたら三十を超えていた。

 さて、ようやく実験段階へといたった折に、わたしは天翼族の被験体としてイナサにも頼みこんで――イナサは翼を調べることをさんざんしぶったが、わたしの粘り勝ちである――それらのしくみを調査した。わかったことは、魔素の体内保有量が高い種族は、それに応じた瘴素の分解あるいは排出する機能に優れていることだった。おもしろかったのは、彼らは高濃度の瘴素だけを体内にとりこむと、いずれも酩酊反応を示すことだった。イナサはザル(酒に強い体質でいくら飲んでも酔わない)であるため、わたしとしては彼の酩酊状態を見ることはもの珍しく、たいそう愉快だったのだが……むろん、この実験をおこなったあと、イナサにはしこたま怒られたあげく、しばらく口をきいてもらえなかったのは言うまでもない。ここぞとばかりに、天翼族の特徴ともいえる背中の魔導紋をなでくり回してやったことも、彼にとっては怒り心頭となる行為だったらしい。

 さて、この実験には、ケインも強い関心をしめし、積極的に顔をのぞかせた。

 さきに述べた通り、瘴素は魔素と酷似していて、現在の魔導技術ではこれを選り分けることができない。「魔導技術機で瘴素の分解・排出を可能にできれば、現在ある機器の不具合について、その多くが改善するだろう」と言い、ケインはこの実験のなかでどうにか魔素と瘴素を選り分ける方法を見いだそうとしていた。身体こそ衰えてはいたが、彼の魔導技術機に対する興味や熱は冷めることを知らないらしい。彼はやはり、根っからの技術開発者なのだ。

 実験結果を得てから数ヶ月もたたずにケインはその機構の基盤となるしくみをつくりあげた。まだまだ実用にはいたらない試作品だったが、これは非常に大きな成果だと、わたしはケインとともに肩を抱き合った。――より正確に言えば、わたしがケインを抱き上げたのだが、背丈の大小や外見のちがいを無視するなら、肩を抱き合った、という表現が正しいだろうと思ったわけだ。

 このしくみには、ヴァリアヴルが強い興味を示した。彼らは魔導人形マナ・ドールでしばしば発生する不具合の原因が、瘴素にあると見当をつけていたらしく、瘴素の分解排出について、共同開発を申し出た。この話はケインとヴァリアヴルの両者で具体的に進める計画が立ったらしい。わたしはときおりケインの話を聞いてやるくらいだったが、その冷静な口調とは裏腹に、人嫌いな彼が他人とかかわりながら、心から開発や協議を楽しんでいることがわかって、つい嬉しくなったものだった。

 失ったものは多いが、同様に、こうして生きているかぎり得ているものもあるはずだと、わたしは思った。


 わたしは瘴素の分解排出機能の開発に協力するかたわら、固有魔素のサンプルを収集した。イナサの言う魔素の性質について、系統別に分類できるのではないかと考えたからだ。

 この予想は正解だった。

 個体がもつ魔素はいくらかの種類が混在しており、その配合によってイナサのいう「個体の特定」が可能なのだ。

 魔素の変換・変質がおこなわれることで魔導現象が発生することは、もう数十年以上前から知られていたが、自然に存在する魔素を性質ごとに選り分けることができれば、魔導技術の精度はさらに向上するだろう。

 いっぽうで、わたしはあることをイナサに話さないままでいた。一連の調査研究のなかで知ってしまった物事――イナサはやはり無意識の中で、自らへ魔導術式を展開・実行していた。彼が「魔導術を使えない」というのも、彼自身の無意識がつくりだした〈魔導術式〉によるものだ。つまり、これを解いてやれば、彼は彼自身の意思で、自由に魔導のちからをあつかうことができる。はたして、彼はそれを望むだろうか。そこまで考えて、わたしは首を振った。彼はもう、兵器でいる必要はない。もし、彼に魔導のちからが戻ったら、それこそ彼を利用しようとする者が出てくるかもしれない。

 彼にはこのまま人として過ごしてほしい。そんな願いと同時に、わたしはある不安を抱えていた。魔導のチカラが戻ってしまえば、彼は自身の死を選択するのではないかと。彼がもっている〈ホロボシ〉のちからは、まさに魔素の変質・変換によって引き起こされる現象だ。これはおそらく、彼がかつて想い人を失ったという、無意識の悲しみと憎しみによって引き起こされた偶然の産物だ。当時は憎悪の対象イグラシアがあったが、いまはない。――たとえば、もしその感情がいまだ内在しているとしたら。ふとしたときに、なんらかのきっかけで溢れ出してしまったとしたら。矛先を失った憎しみは、おそらく彼自身が抱える罪悪感によって、彼自身へと向けられるのではないだろうか。わたしは怖い。彼が簡単にせいを手放してしまいそうで。そのための選択肢を、可能性を与えてしまうのが、ひどく恐ろしかった。

 だからこそ、彼がいまだ自らに無頓着であることは、ひどく都合がよかった。このまま気づかずにいてくれれば。わたしの傍で生きていてくれれば。


 わたしはもう、誰もうしないたくない。

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