(十三)

 純暦一九一五年。二月三日。

 その日まで学園の揺籃ようらんにいた雛鳥たちは、巣立ちせざるを得なかった。もちろん、それまでに学んだことが決して役に立たなかったわけではない。野宿だってできた。食料だっていくらか確保する手段はあった。それでも突如としてあたえられた制約のない自由は相応に不自由であり、また夜闇から漏れ出す冷気を肌で感じるように、底冷えするような恐怖を下敷きに生きるということでもあった。雛鳥たちはなにひとつわからないまま、不安を抱えて生きてゆくほか選択肢がなかったのだ。そしてとうぜん、そのなかには戦火によって故郷を失った者たちも多くいた。


 転移魔導門によって本大陸へ踏み入った当時、大陸の各所は戦火に包まれていた。魔族・亜人族による連合――いわゆる、ディストピア軍が、人族軍と正面から対立し衝突をくりかえしていたのだ。スウィル公帝国は事実上の崩御。魔国ディストピアがその大地を引き継いで拠点とし、そこに魔族・亜人族が集結。ディストピア宣言によって実際に反旗はんきをひるがえした魔族らは、魔導抑制具を解除するすべをどうしてか知っていた。調べてみると、実はこの決起が起こるまでに、水面下では魔族・亜人族らをひそかにつなぐ動きがあり、いくらかの国々でそういった反人族社会の集まりが検挙された事例もあったらしく、おそらくこのときに魔導抑制具を解除するすべが共有されていたのだろう。彼らは魔導術によって圧倒的な猛威をふるい、それまで内心どうあれ人族社会を迎合していた魔族らは触発されて次からつぎへと猛り、さらには差別と偏見で虐げられていた亜人族らがこれに乗った。対して人族は連合軍を結成し、魔導技術による武具を手に対抗した。魔導技術を利用した人族屈指の破壊兵器と、魔族が歴史の裏側で進化させてきた魔導術がくりひろげる大規模な戦闘行為は、約七十年前の人魔戦争さながら、今度はひといきに世界をまきこんだ世界大戦となっていったのだった。この世界大戦はサファイアが当初予定していた和平の道からはるかに遠ざかっていたことは言うまでもない。事実、彼の意思がどうあれ、サファイアは結果的に歴史上の〈魔王ディストピア〉としてさせられてしまったのだから。


 イグラシア王国についても、ここに記しておこう。イグラシア王国は一九一四年。十二月三十一日当時、ディストピアの爆撃によって、まず王城と中心部が壊滅的な被害を受けた。さらに、もう一箇所、イグラシア王国内の砂漠地帯に建設されていた観測基地が爆撃されている。この爆撃が、イグラシア王国へ滅亡をつきつけることになった。

 表向きこそ観測基地だったが、その施設の実態は、秘密裏に次世代の兵器開発およびその実験をおこなう場所だった。彼らは〈ホロボシ〉という魔素のを利用した兵器を完成間近としていた。さて、察しの良い諸氏は気づいただろうが、この〈ホロボシ〉という兵器は、イナサの特異なチカラを着想としたものだ。彼が学園に訪れる前――地下牢につながれていたころには、おそらくこの兵器開発が始まっていたのだろう。つまるところ、イグラシア王国は御しきれなかった人体兵器を解明して、よりあつかいやすい兵器を開発・運用しようとしたわけだ。しかし皮肉なもので、これが見事に爆撃され開発途上の兵器が二次的に爆発。周辺にとどまらずイグラシア王国そのものが黒く汚染され、人はおろか虫さえも生きられない大地と化した。暗黒汚染地帯と呼ばれるその場所は、未だに足を踏みいれられたものではない。


 イルフォール島から逃げのびた島民たちは、いってしまえば難民だった。転移魔導門によって散り散りとなり、ある者たちは同じような難民たちと集落をつくり、またある者たちは別の国の庇護下へ入った。

 アイたちがどうしていたかというと、まず当面を生きるために拠点をかまえたが、やがてそこにも戦火がおよび移動せざるを得なくなった。


 純暦一九一五年。四月。

 イルフォール島では、春を迎える頃になろう。本大陸では、妙なことが起こりはじめた。大陸の各所で、白い異形があらわれはじめ人族を襲いはじめた。その白い異形は、なにも人型に留まらない。奇妙な狼、あるいは熊。さらには鳥までもが確認された。恐ろしいのはその鳥獣たちが、まるで魔族のように異様なチカラを持っていることだった。たとえば、元種にはない毒をもちあわせていたり、炎を吐いたりなどで、異常としか言いようがなかった。人々はその異形を妖魔ようまと呼び、その呼称はまたたくまに定着した。圧倒的な超常のチカラ持つことと、情けの欠片もなかったかつての魔族へ皮肉を混ぜてのことだろうが、もとは人間あるいはそれぞれの種なのだから、妖魔などと呼ばれることを考えるとあまりにもいたたまれない。

 白色は爆発的に広まった。そうして半年もたたないうちに、人々の脳裏には白色が危険なものとすりこまれることになった。同時に、この白色は魔族がもたらしたものであるともまことしやかにささやかれた。大陸は戦火に包まれたまま、また同時にアイが奇病と呼んだその現象にさいなまれ、異常な白が跳梁跋扈ちょうりょうばっこする世界へとなり果てたのである。二度目の冬でどれくらいの人間が死に絶えたのかは、もはやわからなかった。アイたちと共に逃げた半数も理由はそれぞれに亡くなった。そのころには、別の国の難民と暮らしを共にしていたが、人族側についた魔族の受け入れをどうするかで揉めに揉めて、結果的に関係は破綻した。

 このままではどうにもならないとアイは覚悟を決め、集落からも、それまで行動を共にした者たちからも離れることにした。ついて来たのは、イナサやレクサス。そのほか数名ばかりを加えて、ごく小さな旅団となった。まず必要だったのは、この大地でなにが起こっているかを知らなけらばならない、ということだった。戦火の絶えない世界を足で歩いていった。長い旅になった。それから一年、二年――島を出てから、じつに五年が過ぎた純暦一九二〇年。このころには、様々なことがわかってくるようになった。まず奇病について。白い亡骸はすぐに燃やすことで、いくらか二次的な伝染を防げることがわかった。さらにこのころ、ディストピアの猛攻は比較的おちついており、戦火が見える回数も減っていた。それはひとえに、人族の多くが、拠点を地下に移動させたことにもあった。ディストピアの兵器をおそれたこと。また、地上を跳梁跋扈する妖魔への対抗策でもあったが、自然とすみわけられていった。しかし、これには問題が生じた。先に述べたように、奇病で死んだ者の亡骸は燃やすことが有効だったわけだが、地下の換気はそれらをじゅうぶんにおこなえるだけの機構を備えておらず、火葬することができなかった。地下集落はいくつも瓦解し、また滅亡した。さらには食料もじゅうぶんでなく、ひどい地域では盗難や強姦が相次ぎ、人が人を殺すことさえ珍しいことではなくなっていた。そういった者たちにとって、命は欲望よりなお軽いものだった。

 人族社会はもはや、壊滅の一途をたどっていた。先細りしてゆく日々を目の前に、なすすべはなく。大地もまた疲弊し、豊かな自然は焦土となっていった。戦争による人口減少と自然破壊、さらに奇病と、人類は岐路きろに立たされていた。否、あるいは、そんな岐路などとうに過ぎてしまっていたのかもしれない。

 アイたちが訪れたある集落は、誰も彼もが仲良く首を縄にぶら下げたまま死んでいた。彼らは未来に絶望し、自ら命を絶ってしまったのだ。


 純暦一九二二年。

 ある重要なことがわかった。奇病の原因だ。

 生物を白く殺し、あるいは白き異形へと変化させてしまうこの現象は〈魔素〉と酷似した物質によって引き起こされる。はこの物質を〈瘴素しょうそ〉と名づけ、さらに、白く変容する状態移行を〈白亜化はくあか〉。そして異形になるまでの一連の過程を〈魔化まか〉とした。

 生物の個体が、体内に保有可能な瘴素の量をこえてなおそれを接種し続けた場合、その身体には、まず嘔吐や倦怠感、発熱などの防御反応が発生する。この時点で、瘴素の排出をうながすなど、体内の瘴素濃度を低下させることで、これら初期症状はまず改善する。改善処置をおこなわない場合、この症状は第二段階〈白亜化〉へと移行する。

 白亜化の多くは、身体の末端からまず染みのように白く変色し、そのうちに徐々に拡大する。末期症状へ至ると、その白は血液の色だけをのこして全身を侵し、また、変色した部位は蝋のようななめらかさを帯びる。この変異は今ある薬で元に戻すことができず、ここでたいていの生物は死ぬことになるが、例外的に、第三段階への移行が認められる個体もいる。

 第三段階へ移行すると、その生物の痛覚はいちじるしい鈍麻をみせ、それゆえか驚異的な生命力を得る。とりわけ、本能的に魔素(あるいは、瘴素かもしれない)を求めるようになる。それまで群れで活動していた個体は群れを離れるどころか、もともと仲間であったはずの者さえかまわず攻撃することもあり、人間でいえば、ものごとの理非善悪がまるでつかなくなるのである。

 過剰な瘴素に生物の身体が適応しようとした結果なのか――しかし、〈進化〉と呼ぶには、わたしはこの嫌悪感を、とうてい呑みこめそうになかった。


 魔化する生物の数は劇的に増えていたが、ふしぎなことに、この〈魔化〉という現象が起こらない種がいた。たとえば、天翼族。また、魔族と呼ばれる血を引く者たちだ。それらの種族は、そもそも第一段階である、瘴素に対する防御反応すら発生しえない。なにかしらの免疫があるのか、瘴素との親和性が高いのか……ともあれ、彼らと瘴素、そして魔化についての仕組みを明らかにできれば、この魔化現象から、人類を救えるのではないだろうか。同時にわたしは、これをぎょすることができるようになれば、この現象を利用した医学の発展が見込めるのではないか、とも考えていた。つまるところ、この〈魔化〉という現象を解明し、いわば薬にしてしまえるのではないかということだ。――もっとも、いまこのことを、まわりに話したら、気がふれたとでも言われてしまいそうだが。


 純暦一九二四年。四月。

 アイはあることを知った。イルフォール島の転移魔導門が、いまだに稼働しているという。それも、イルフォール島とつながるいくつかの転移魔導門から、次々と白い獣や異形の者たちが吐きだされているのだと。アイはすぐに調査を開始した。実際に稼働していたのは三つだったが、ここでひとつの疑問が生まれた。転移魔導門を稼働するための魔素は、いったいどこから供給されているのだろうか。思い至ったのは、イルフォール島の〈禁域〉。その地下周辺にあると噂される魔素資源だ。たとえば、爆撃後に、転移魔導門の起動を試みたほかの者たちが、脱出のために魔素回路をつないでいてもおかしくはない。もっとも、現段階では憶測でしか語れないため、アイはさらに踏み入った調査をすることに決めた。

 本大陸へ訪れてから約十年。こうしてはじめて、アイはイルフォール島へ戻ることになった。しかし、すぐに調査は中断された。それはひとえに、瘴素濃度が極めて高いことにあった。測定値は基準値をはるかに超え、島へ踏みいると三日と経たずに〈魔化〉の第一段階である防御反応が現れる。吐き気や倦怠感、発熱と諸症状に悩まされ、次々と床に伏してしまうのだった。とても、まともに調査がおこなえたものではなく、この第一回目の調査でわかったことと言えば、イルフォールが魔化した動植物の楽園となり果て、いくらかの緑と織りあいながら枝葉を伸ばしていたことだった。衝撃的だったのは、植物までもが魔化するという事実だ。さらに、魔化した動物は理非なく襲ってくるうえ、魔導のチカラとそう変わらない異能をあつかうのだから、とうてい相手にできたものではない。そのせいで、不意をふかれた調査団は異形の群れに襲われ、結果的にレクサスが片腕を失うことになった。

 調査に必要なことは、魔化生物に対抗する手段と、自分たちが魔化しないための対策を立てることだった。とにもかくにも、急がなければならなかった。イルフォール島の現状を見るに、このままでは本大陸の生物群系までも魔化してしまうのではないか。そんな不安が、胸中に立ちこめたからだ。だからといって、そう都合よく魔化対策に有効な手立ては見つからず、調査は据え置きのまま、焦りだけが募っていく日々が続いた。

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