21 夜明け

 ユグドラシルが焼け落ち、その炎が消えると、地上は凍える時代を迎えた。

 ヨルムの言いつけ通り、ヴァーリとヴィーザルは死者の国の入口に来ていた。暗く何もない世界で、ヨルムから得た神に力によって、二人は輝いていた。

 その輝きを見つけて、虹の竜に乗ったフォルセティがやって来た。

「フォル。良かった。生きていたんだな」

「ヴァーリ、ヴィーザル。すべてヨルム様のおかげだ。この虹の竜が私を助け、守ってくれたのだ」

「すべて聞いている。フォル、ヨルム様から頂いた力を分けよう」

 ヴァーリとヴィーザルは、フォルに自分が得た力の半分を与えた。

「温かい力……。これが信仰に寄る力なのか」

「そうだ。私たちが知らなかったもの。フォル、お前に頼みがある」

 ヴァーリはヨルムから聞いたことをフォルに伝えた。

「ヨルム様は、すべて御存知だったのか。オーディンも巫女の予言は知っていたはずだが、自らの滅びの理由は最後までわからなかっただろうな」

「自分が絶対だと思っているあの傲慢な神がその考えに至るわけがない」

「そうだな。人との関わりが深く、常に正しかったからこそ、その結論に辿り着けたのだろう」

 ヴァーリの言葉に、フォルは笑った。

「ヴァーリ、いつの間にヨルム様のことが好きになったんだ?あれほど嫌っていただろうに」

「見た目や偏見によって人を語っていたのが恥ずかしい限りだ。私は、真実を見極める者でなければならないと言うのに。フォル。私にももっと教えを説いてくれないか。私はまだ未熟だ」

「もちろんだ。共に、新しい法を作ろう。おや、誰か来たようだ」

 二人が裁く、一人目の神がやって来た。


 ※


 死者の国へ戻ったヘルは、ようやく自分の館に着いた。

 死者の国は、前に進むことが出来ないぐらい大量の死者で溢れかえっており、ヘルは自分の館に帰るのが時間がかかってしまったのだ。死んだ神々は、すべてヘルの館に住んでいる。ヘルは神々に自分の元へ集うよう呼びかけた。

 館の全ての神々が集まったところで、ヘルは自分の前にバルドルを呼んで告げた。

「バルドル。私はあなたを復活させます」

「私を?何故ですか?」

「あなたの母との約束を果たす為です。私は地上の全ての生き物がバルドルの為に涙したならば、あなたを復活させると約束しました」

「ですが、一人、泣かなかった者が居たのでは?」

「私たちは騙されたのです。泣かなかったのは人ではなく、ロキでした。他の神の介入があったのです。この介入は無効とされました。つまり、約束は正しく果たされなければならないのです」

 その場に居た神々は、この決定に歓喜した。

「そして、もう一つ。契約において、私は中身の精査を怠りました。これによって、あなたが長く復活することの出来なかった代償を支払わなければなりません。バルドル。あなたに、もう一人神を復活させる権利を与えます。そこに居る神々の中から好きな神を選ぶと良いでしょう」

「ヘル様。そのような大役、私には無理です。どうか、ヘル様がお選びください」

「いいえ。この話はすべて、私のお兄様の指示なのです。必ずバルドルに選ばせるよう言われています」

「ヨルム様の?」

「そうです」

 バルドルは、何故ヨルムが自分にそのような課題を出したのか考えた。順当に行けば、バルドルは愛する妻のナンナの復活を願いたいところである。

 しかし、そんな単純な答えをヨルムが求めているとは思えなかった。

 バルドルは、ヨルムの言葉を思い出す。ヨルムはいつも言っていたのだ。

 ヴァルハラの連中は、すぐに契約を反故にする嘘つきばかりだ。光の神であれば、皆から敬愛される公正な神であれ。お前は優しいが芯のある神だ。そうでなければ、ここまでの輝きを持ち得ない。

 バルドルは、復活を願う神を決めた。

「弟のヘズを」

「ヘズを?」

 神々の誰もが驚いた。

「ヘズはあなたを殺した張本人ですよ。何故、ヘズを選んだのですか」

「盲目のヘズが、私にまっすぐ攻撃できたわけがない。これがロキのせいであったことを私は聞いています。弟は罪なくここに来た。私と同じです」

 神々はヘズを見た。

「バルドル。お前は間違っている。私がお前を羨んでいないと思ったか。母の寵愛を一身に受け、すべての神々から愛されるお前を。私は完全に潔白なわけでは無い。ロキから渡されたあの枝が、少しでもお前を傷つければ良いと思って投げたのだ」

「ならば、やはりお前は潔白だよ、ヘズ。殺そうと思って投げたのではないのだ。盲目故にロキに操られてしまったのだ。どうか、私と共に来てくれ。一緒に生き返るならば、お前以外にありえない」

「バルドル。お前は私を許すと言うのか」

「当然だ。大事な弟を恨んだりするものか。共に来てくれるのに、ここまで心強い相手は居ない」

「しかし、ナンナはどうする。お前の最愛の妻だ」

 バルドルはナンナの傍に行くと、愛する妻を抱きしめた。

「ナンナ。お前を選ばなかったことを許してくれ」

「いいえ。バルドル。あなたは私の光。あなたの高名な判断を私は誇らしく思います。どうか、ヘズと共に地上へ戻って下さいな」

「ありがとう、ナンナ。私の愛は、どこへ行っても変わらない」

「ありがとう、バルドル。いつかもう一度、あなたがここに来る日まで、私はここで待ちましょう」

 バルドルは妻に別れを告げると、ヘズの手を取って、ヘルの前に来た。

「ヘル様。私の答えは変わりません。弟のヘズの復活を願います」

「わかりました。バルドル、ヘズ。死者の国の女王の名において、あなたたちの復活を許可します。バルドル、あなたは船を持っていますね」

「はい。ヘル様」

 バルドルは、フリングホルニと呼ばれる船を持っていた。

「その船に乗って、地上を目指しなさい。復活を許されたあなたたちの乗る船は、迷わず地上を目指すでしょう」

「ありがとうございます」

「感謝はお兄様にすると良いわ。お兄様がバルドルの復活を願ったのですから」

「ヨルム様が?何故?」

「地上へ進む傍ら、死者の声に耳を傾けてみると良いでしょう。地上で何があったのか、あなたたちは知ることになる」

 バルドルは頷き、ヘズと共にヘルの館を出た。


 ※


 地上で生き残った神々は、光のある場所を目指していた。

 そこには、司法の神・フォルセティと裁きの神・ヴァーリ、そして強き神・ヴィーザルが居た。神々は一人ずつフォルセティとヴァーリによって裁かれた。善良な神は、神の力を分け与えられた。怠惰な神は死者の国へ行くよう宣言された。そして、それに従わない神はヴィーザルによって断罪された。

 選ばれ、残された神々は、ヨルムが残した信仰の力だけで何とか生き延びようとしていた。虹の竜・フィヨルムは、凍える風と寒さから、その神々を守っていた。

 しかし、フィヨルムにも限界が来た。

「フォルセティ。私もそろそろ限界だ。ヨルム様からの命を最後まで果たせずにすまない。どうか、生き残ってくれ」

「フィヨルム。お前は充分に頑張ってくれた。どうか安らかに。ヨルム様にお会いしたら、私たちの感謝を伝えてくれ」

「もちろんだ」

 フィヨルムは、死者の世界へ旅立った。

「ヨルム様……」

 フォルセティはヨルムを待っていたが、彼は来なかった。だとすれば、死者の世界へ旅立ったと考えるのが妥当だった。

 神々は、ヨルムを信じて光の神を待った。


 ※


 そして、とうとう長い冬に夜明けが訪れる。

 光の神・バルドルが地上に来たのだ。

「バルドル!」

「お父様!」

 フォルセティは、父に飛びついた。

「あぁ、皆。元気そうで良かった」

「お待ちしておりました」

「随分、来るのが遅れたようだな。鈍間な神め」

「他の神の妨害には遭わなかったか?」

「心配ない。皆の裁きの話しは道中でも聞いた。この世界で起こったこともすべて」

「何故、ヘズが一緒に?」

「ヘル様が、もう一人神を復活させても良いと言ったのだ。契約の神であるヨルム様の名の元に」

 バルドルは神々を見渡して、首を傾げた。

「ヨルム様はどこに?」

「ヨルム様はここには居られません。とうに死者の国へ向かわれたものだとばかり……」

「ヨルム様は死者の国へはいらっしゃっていない」

「では、一体どこへ?」


 ※


 光の神・バルドルが地上に戻り、世界に光が溢れた。

 ホッドミーミルの森の中にあった扉が開く。

 リーヴとリーヴスラシルは、新しい世界を見た。

「まぁ、なんて綺麗なんでしょう」

 そこは、一面の花畑だった。光を感じた植物が、長い冬を越えて芽吹いたのだ。

「さぁ。神に祈りを捧げよう」

「そうね」

 二人は大地に座し、光の神・バルドルを想って大地に頭をつけて祈った。


 その祈りは、すぐに神々の元へ届いた。

「誰かが呼んでいる。どこだ?」

「バルドル。お前を呼ぶ声がするのは、あちらの方角だ」

 ヘズは正しい方角を言い当てた。

「ヘズ。やはりお前を連れてきて正解だ。盲目のお前は耳が良い。誰よりも早く願いを聞き分け、あらゆることを私に教えてくれるだろう」

「我が兄よ。バルドルが望むのならば、私はお前の耳となり、あらゆる声を届けよう」

「ありがとう、ヘズ。さぁ、行こう」

 光の神に従って、神々は移動した。


 そして、神々は、神に祈りを捧げる人間を見つけた。

「私を呼んだのはお前たちか?」

「はい。光の神・バルドルよ。どうか私たちの神となって下さい」

「新しい世界を生きる力を、私たちに与えて下さい」

「顔を上げてくれ。名前を教えてくれないか」

 二人は、顔を上げた。

「リーヴと申します」

「その妻・リーヴスラシルと申します」

「何故、人間がここに?神ですら死の恐怖に怯えたあの凍える冬を、どうやって生き延びたと言うのだ」

 それに対して、二人は古い神の名を告げるわけにはいかなかった。

「大地に祈りを捧げ、与えられた契約に従いました」

 神々は皆、二人の命を繋げた神が誰であったかわかった。

「何故、その名を言わないのだ、お前たちが最も信仰する神の名を」

「新しい世界では、古きものを呼び出してはならないと言われております。私たちの信仰の全ては、新しい希望の神々に捧げられるべきだと」

「そうか」

 ヨルムは、新しい世界に必要なものを、すべて遺していたのだ。

「バルドル様。伝言があります。貴方の父が泉に残した宝を受け取れと」

「父が残した宝?」

「しかし、泉などどこにもないぞ」

 この世界のものは、一度全て焼け落ち、冷やされていた。

 そこへ、白い蛇が現れた。

「これは、」

 その名を呼ぼうとしたリーヴスラシルを、リーヴが止める。

 二人は、部屋に入った白い蛇に付いて行き、白い蛇が指示したものを外に持ち出した。

「それは?」

「こんこんと清い水が湧き続ける魔法の水がめです」

 白い蛇は、更に別の場所へ向かうようだ。

 リーヴとリーヴスラシルは、水がめを持って後を追った。神々もそれに続く。


 やがて、くぼみのある場所へたどり着いた。白い蛇は、そこにあった小さな木に登って枝に巻きつくと、リーヴとリーヴスラシルが持つ水がめをその尾で叩いた。

 二人の手を離れた水がめは、くぼみの底に転がって割れた。そこから、こんこんと水が溢れ出すと、そこは、あっという間に清い水で満たされた泉となった。

 光の神・バルドルは泉の前に立つ。

「この泉に眠る宝を受け取りに来た」

 バルドルがそう言うと、泉の中から光り輝く太陽が生まれた。

「新しい太陽だ」

 太陽はそのまま天へ上ると、自分の周りに付いた水滴を振り払った。そして、軌道に乗ると、そのまま西の空に沈み、世界は夜になった。

 夜になった世界では、太陽が振り払った水滴が星となって輝き始めた。そして今度は、泉から月が生まれた。月はゆっくりと昇っていった。その水滴は、天の川となって天に張り付いた。

「なんと美しい夜空だ」

 月は軌道に乗ると、そのまま西の空へ沈んだ。そして、東の空から昇って来た太陽が、この世界に夜明けを告げる。美しい朝焼けを、神々と二人の人間は、共に目にしたのだった。

 リーヴとリーヴスラシルは手を取り合って微笑み、木の枝を見た。

「あ……」

「白い蛇が……」

 枝には、白い石となった蛇が絡みついている。二人は、そっとその石の蛇に触れ、古い神のことを思った。

「リーヴ。リーヴスラシル。それを杖として大切に持つと良い。きっと、困った時に力を貸してくれるだろう」

 バルドルの言葉に、二人は頷いた。

「はい」

「ありがとうございます」

 二人は、大地の杖を手に入れた。

「私からは、これを託そう」

 司法の神・フォルセティは、二人に分厚い本を渡した。

「これは新しい世界で人間が使う法だ。これを使って、正しく生きてくれ」

 長い冬の間に、フォルセティとヴァーリは平和で秩序ある世界に必要な法を作ったのだ。

「ありがとうございます。大切に使わせて頂きます」

「さぁ。これからが新しい世界の始まりだ。皆で、新しい世界を創ろう」

 世界は輝きを取り戻し、新しい物語が始まる。



Finis.




Epilog――


「何を書いているんだ?」

「日記だよ。なんだか色んなことがあったから」

 そこには、二人が出会ってからの物語が刻まれている。

 彼はそれを読みながら、いくつかの場所に彼の言葉を書き加えていった。



 ようやく閉じた日記を見て、彼女が笑う。

「私の日記じゃなくて、二人の日記になったね」

 完成した物語は、彼女が書き終えた時の倍ほどになっている。

 最後のページには物語の終わりを伝える文字。

「これで、二人の物語はおしまいだね」

「おしまい?それは違うな」

「どうして?」

 彼が彼女の頬に触れる。

「共に生きると誓っただろう」

 彼は彼女の唇に口づける。

「理解したか?」

「もちろん。理解したよ」

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