19 誓い
「ヨルム様!レイヤ様!」
「おかえりなさいませ」
「ただいま。リヴ、ラシル」
「ただいま」
四人は再会を喜んだ。
しかし、ゆっくりしている時間はなかった。
「二人に婚姻の儀を執り行おう」
「えっ?今ですか?」
「そうだ。その前に、まず、二人に新しい名を与えよう。リヴ、剣を持ってここへ」
「はい」
リヴは、剣をヨルムの前に置いて跪いた。
「リヴ。お前を祝福し、大地の神の名においてリーヴの名を与える」
「はい」
これより、リヴはリーヴと名乗ることになる。
「リーヴ。お前にこの剣の真の名を教えよう。これは、勝利の剣・レーヴァテイン」
ヨルムが語ると、剣が光りはじめた。
「元は、勝利の神・フレイのものであった剣だ。この剣には勇気と勝利の加護がある。剣に選ばれた正当な持ち主であるリーヴの為に、その力を発揮するだろう。この先、お前の家族を守る為に振るうのだ」
「わかりました」
「ラシル、リーヴの隣へ」
「はい」
ラシルは、リーヴの隣に跪いた。
「ラシル。私はお前に、スラシルの名前を与えようと思う。しかし、それだけでは加護が足りない。勝利の剣・レーヴァテインの加護がお前にも与えられるようにリーヴの名を加えることにしよう。ラシル。お前を祝福し、大地の神の名において、リーヴスラシルの名を与える」
「はい」
これより、ラシルはリーヴスラシルと名乗ることになる。
「リーヴ。リーヴスラシル。これより婚姻の儀を行う」
ヨルムは、リーヴの頭に手を置く。
「リーヴよ。夫婦となるに当たって、お前の愛の誓いに偽りはないか。この先、リーヴスラシルを守り、共に生きることを誓うか」
「はい。もちろんです」
ヨルムは、もう一方の手をリーヴスラシルの頭に置く。
「リーヴスラシル。夫婦となるに当たって、お前の愛の誓いに偽りはないか。この先、リーヴを支え、共に生きることを誓うか」
「はい。もちろんです」
「では、大地の神、そして契約の神・ヨルムンガンドの名において、リーヴ、リーヴスラシルの二人を夫婦として認め、祝福を与える」
ヨルムは二人に祝福を与えた。
これで、二人は夫婦となったのだ。
「おめでとう、リヴ、ラシル。あー、えっと、リーヴ、リーヴスラシル」
レイヤの言葉に三人が笑う。
「レイヤ、人の真の名とあだ名は別物だ。今まで通りリヴとラシルと呼んでやると良い」
「そっか」
「それに、二人に真の名を与えたのは、外に出ていた時の名を隠すためだ」
「どういうこと?」
「何故、その必要があるのですか?」
レイヤとラシルは疑問に思ったが、リヴは疑問を挟まなかった。
「今は、それしか言うことが出来ない」
リヴは、ヨルムから託された本で、これから起こることを知っていた。そして、その本の最後に書かれていた助言も読んでいた。
外に出ていた時の名は、誰に知られているかわからないものだ。呪術の世界においては、その名を知っているだけで簡単に人を呪うことの出来るものがある。新しい名前を得ることは、この先、ありとあらゆるものから二人を守る為に必要なことだった。
特に、鷲の姿でこの辺りをうろついていたオーディンは二人を知っている。あの邪な神が、二人に呪いをかけている可能性もあった。
「リヴ、ラシル。これから先は、この家に居ても危険が迫る。私の部屋に自分の荷物の全てを運ぶんだ」
「はい」
「わかりました」
「手伝うよ。ヨルムは休んでてね」
「あぁ」
ヨルムは、ソファーの上にその体を置いた。
すべては予見の通りに進んでいた。抗おうとしても、何一つ変えられない。
ヨルムは、ラグナロクでトールと相討ちになると予見されている。彼は、徐々にその力を失い、自分が死へと向かっていることを実感していた。その一方で、彼の土地の人々が彼を偲ぶ祈りも聞いていた。信仰は彼の力となる。ヨルムは目を閉じて、彼を慕う人々の祈りに耳を傾けた。
彼は、自分の本体の傷が少しずつ癒えていくのを感じた。しかし、死に瀕した白い蛇の本体が復活するとは思えない。あの破壊の槌・ミョルニルの直撃を食らって生きていた者などいないのだ。
レイヤは、二人の荷物を運ぶのを手伝っていた。と言っても、ラシルが選んだのは、たくさんの布と糸、そして裁縫道具である。
「時間があるなら、私がやるのは針仕事です。レイヤ様とヨルム様にも服を御仕立したのですよ」
ラシルはレイヤに仕立てたばかりの服を見せた。
「これなら、ヨルム様がいつ大きくなられても大丈夫です」
「そうだね。これなら、大きくなっても大丈夫だね」
彼女は、ヨルムが死ぬことを伝えられなかった。彼がこの服を着ることなどないのだ。
「これはレイヤ様にお預けしておきましょう」
「ありがとう」
レイヤは、自分の新しい服とヨルムの服を受け取った。
ヨルムが力を与えた魔法の水がめ、保存食や二人の荷物を運び終えると、レイヤはヨルムの傍に行った。
「運び終わったよ」
「早かったな」
「うん」
もともと、二人の荷物はそれほど多くなかった。
「レイヤ、頼みがある」
「何?」
ヨルムは、黄金に輝く常若の林檎を出す。
「これを、二人に渡しても良いか?」
「良いよ」
レイヤには必要のないものだ。
「ありがとう。レイヤ」
ヨルムはレイヤと共に、ヨルムの部屋の前で待つリヴとラシルの元に行った。
「ラシル。お前にこれを預けよう」
「まぁ。なんて綺麗な林檎でしょう」
「これは常若の林檎と言って、神々の食べ物だ。蓄えた食べ物がすべて尽きてしまったら、二人でこれを一口齧ると良い。魅惑の味のするものだが、一気に食べきってはいけない。たった一口でも、これは充分に人の空腹を満たし、長い時を過ごすことが出来るだろう。そして、また空腹を感じる時が来たら、もう一口齧るのだ。食の大切さを知り、台所を管理していたしっかり者のお前ならば、この林檎を上手く使えるはずだ」
「ありがとうございます、ヨルム様。お任せください」
ラシルは、ヨルムの自分への評価に喜んだ。
「リヴ、ラシル。この部屋に入れば、この先、長い期間、扉が再び開くことはないだろう。しかし、この扉は光を感じた時に自然と開くようになっている。扉が開いたら、すぐにバルドルに祈りを捧げるんだ」
「え?バルドルですか?」
「そうだ。決して、私に祈りを捧げてはならない。そして、古い神の名は一つも語ってはいけない」
「ヨルム様を呼んではいけないと言うのですか」
「その通りだ。新しい世界では、神は人の信仰なしに生きられない。この世界が二度と光を失わない為にも、バルドルへの信仰が必要だ。頼んだぞ」
二人は顔を見合わせた。
これまで慕ってきた神から、その信仰を捨てるように言われたのだ。
「私にはできません」
ラシルが言った。
「生まれてからずっと、ヨルム様の土地で、ヨルム様の慈悲によって生きてきました。ヨルム様へ祈りを捧げられないなど、考えられません」
「ラシル。これは、ヨルム様からの頼みなんだぞ」
「酷いわ、リヴ。あなたは簡単に信仰を捨てられると言うの」
「そうじゃない。私だって、ヨルム様への信仰を簡単に捨てられるものか」
「なら、どうして……」
アングルボダの予見書を読んだリヴは知っていた。神々の運命を。
「ねぇ、リヴ、ラシル。信仰を捨てる必要はないと思うよ」
「レイヤ様?」
「レイヤ。それではいけない」
「だって、美味しい食べ物が出来ますようにって祈るのも、雨が降りますようにって祈るのも、病気が治りますようにって祈るのも、結婚の誓いを絶対にするのも、全部、ヨルムに祈るのと同じことだよ。ヨルムの名前を使わなくっても、私たちはいつもヨルムに祈ってる」
「レイヤ様のおっしゃる通りです。私たちは大地を見て、空を見て、ヨルム様を想うのです」
「それに、ヨルムへの信仰は私たちの生き方そのものだよ。神のお導きに感謝します、あなたにも幸運が訪れますようにって。誰かから分けてもらった幸せは、誰かに返すのが礼儀だって。これは、全部ヨルムの教えだよ。ヨルムは、信仰に従った生き方をしちゃだめって言ってるわけじゃないよ。ヨルムの名前を言っちゃだめって言ってるだけなんだよ」
「あぁ、その通りです。私の生き方はヨルム様の教えのまま。優しさに対して優しさを返し、弱き者に手を差し伸べる。私はずっと、そう生きて参りました」
それは、レイヤが見たヨルムの姿だ。この国の人々の信仰を一身に集める神は、人々の願いを司り、人と人の繋がりの理想を説いている。
「ヨルム様。作物が健やかに育つよう祈るのは構いませんか?」
「ヨルム様。人に幸福を与える生き方を続けても構いませんか?」
「もちろん。人は自由に考え、生きる権利を持っている」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
二人は、ようやく納得した。
「最後に、二人に伝言を頼んでも良いか?」
「伝言ですか?」
「バルドルが来たら、こう言うのだ。お前の父が泉に残した宝を受け取れと」
「宝?」
「今はない宝だ」
ヨルムには、ミーミルの謎かけの答えの見当がついていた。それは、新しい世界に必要なものだった。
「わかりました。必ずお伝えします」
「頼んだぞ。さぁ、二人とも、中へ」
ラシルは、レイヤに抱き着いた。
「レイヤ様。どうか御元気で」
「レイヤで良いよ」
ラシルは頷いた。
「レイヤ。元気で居てね」
「ありがとう、ラシル。ラシルから教わったこと、忘れないよ」
ラシルはレイヤを離すと、リヴの元へ行った。
そして、リーヴとリーヴスラシルは、ヨルムの部屋の中へ入って行った。
ヨルムは、その扉に封印を施した。ありとあらゆるものからここが守られるよう。
ミーミルは、オーディンがここに手を出さないと約束したと言った。すべては、この為でもあったのだ。地上がどれだけ戦火で覆われようと、ここは最後まで残る場所に違いない。
この、ホッドミーミルの森は。
無事に封印を終えると、ヨルムはレイヤの方に振り返った。
「レイヤ、すまない」
「え?」
「私はレイヤが生き残る選択を、今、断った。常若の林檎があれば、レイヤはラグナロクを生き延びることが出来たと言うのに。そのすべてを二人に託してしまった」
「良いよ。気にしないで。私よりも、リヴとラシルが生き残った方が良いよ。二人なら、色んなことを知っているし」
「そんな理由で人を選別したのではない。私は……」
何かを言いかけて、ヨルムはその場に膝を突く。
「ヨルム、」
慌てて、レイヤは倒れたヨルムを抱える。
眩暈のような感覚がヨルムを襲った。それは、これまで感じたことのないような感覚だ。これが、死へと向かう感覚なのか。
「レイヤ。すまない」
何度も謝るヨルムに、レイヤは首を振る。
「良いよ。これが私の役目だから」
「それは違う。死へ向かう私に、私を癒す存在が必要ないことは明らかだ」
死へと向かう彼をレイヤが癒せないことぐらい、レイヤは気付いていた。
彼は元々、自分の力の大きさ故に苦しんでいたのだ。そうであれば、力を失った今、レイヤが出来る事などないはずだった。
「それでも、ヨルムが倒れたら、抱きしめるのは私の役目だよ」
ヨルムはレイヤの頬に触れる。
「ありがとう、レイヤ。……私の我儘を許してくれ」
「我儘?」
「私は、最期の時までレイヤと一緒に居たかった。それだけの理由で、レイヤをここに残したんだ」
ヨルムの言葉に、レイヤは驚いた。
「私は、レイヤを愛している」
「え?」
「本当なら、成人の体を取り戻してから言おうと思っていたのだが。とうとう、それは叶わなかったな」
優しく微笑むヨルムの体を、レイヤは抱きしめた。
「もう一度言って」
「レイヤ、愛してる」
「もう一度」
「愛してる。レイヤ」
レイヤの目から涙が流れ落ちた。
彼女はずっと、彼から愛されていた。
「私も、ヨルムを愛してる」
レイヤから滴り落ちる涙がヨルムに落ちる。ヨルムはレイヤを引き寄せ、その唇に口づけた。何度も、何度も二人は口付けをかわした。お互いの愛を確かめ合うように。
ヨルムは、自分の体が力を取り戻すのを感じた。
それは、信仰による力とはまた違ったものだ。レイヤの愛によって、化身である今の体が満たされていくのだ。
ヨルムは、力強くレイヤを抱きしめた。彼は、その腕の中に彼女の体を包むことが出来た。
「ヨルム……?」
目を開いたレイヤはヨルムの体の変化に気付く。
「どうして……?」
ヨルムも、自分の体の変化に気付いた。彼は今、ようやく、本来あるべき姿となったのだ。
何故こうなったのか、ヨルムは考えを巡らせた。
そして、答えに辿り着くと、彼は笑った。彼は誰かの呪いによってこうなったのではなかったのだ。
「どうしたの?」
ヨルムはレイヤに口づけた。
「私は、自分で儀式を中断させてしまったらしい」
「え?」
「レイヤがあまりにも美しいから。私は、儀式の途中でレイヤにキスをしたんだ」
その感触は、レイヤにも覚えがあった。
「そのせいで、儀式が中断したらしい。レイヤの許可も取らずにそんなことをした罰が当たったようだな」
「じゃあ、前に成長した時は?」
「あの時は、寝ぼけたレイヤに抱きしめられて唇が触れた。レイヤからの愛を受けて、少し成長が進んだということだろう」
それは、レイヤが全く記憶にない夜のことだ。
「そして今。レイヤが私に愛を伝えたことで、私の罪は許された」
ヨルムは、レイヤの腕を引いて一緒に立ち上がる。
立ち上がったレイヤはヨルムを見上げていた。そして、ヨルムはレイヤを見下ろしている。
「レイヤ。レイヤは美しい」
それにどう答えるかは、もう決まっていることだった。
「はい」
レイヤは素直に返事をした。
「愛しいレイヤ。私の妻となってくれ」
「はい」
ヨルムは、真っ直ぐに彼を見て答えるレイヤの頬を撫でる。
「最期の時まで、レイヤと共に生きることを誓おう。レイヤも誓ってくれるか?」
「もちろん、誓うよ。最期の時まで、私はヨルムと一緒に居たい」
レイヤは微笑んで答えた。
彼女はこれで、本当に彼のつがいとなったのだ。
「ありがとう。レイヤ。私の愛を受け入れてくれて」
「ヨルムだってそうだよ。こんな私を……」
「これほどまでに美しい娘は居ない。レイヤ。私はレイヤの全てを受け入れたい。私の全てを受け入れてくれるか?」
レイヤは頷いた。
ヨルムはレイヤと口づけを交わした。
今の二人には必要のないものをすべて取り払うと、祭壇での儀式のように、レイヤの体をヨルムが覆った。しかし、あの時とは違う。レイヤは、その腕でヨルムを求めた。
愛の熱を感じながら、ゆっくりとヨルムはレイヤに浸る。それを受け入れたレイヤは、ヨルムに満たされるのを感じた。お互いのぬくもりと幸せを充分に味わった後、ヨルムは、その愛をレイヤに注いだ。レイヤは、彼の愛のすべてをその身に受け止めた。
二人は、結ばれたのだ。
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