12 暴言王

 ヨルムとレイヤ、そしてシギュンは、赤々と燃えたぎる火山の近くに降りると、虹の竜に別れを告げた。

「ロキが捕まっているのは、この洞窟の奥です」

「なんだか熱いね」

「いつ火を噴くとも知れない火山の側だからな」

 火山はたまに、灼熱の炎と溶岩、そして異臭を伴うムスペルの熱気を吐き出す。最も、地上はムスペルに比べると涼しい為、それらはあっという間に冷えて固まるのだが。ここが人の住めない土地であることに変わりはない。

 シギュンの案内で、ヨルムとレイヤは洞窟の中へ入った。

「こんなところに勝手に洞窟を作ったのか」

「ロキを繋ぐのは地下と決められていたようです」

 暗い道をヨルムの光が照らす。しかし、それはシギュンの行く先を照らすには心許ないだろう。レイヤは覚えたてのセイズを使い、周囲に灯火を呼び出した。

「素晴らしいな。もう使いこなせるのか」

「そうみたい」

 何故使いこなせるのかと問われてもレイヤにはわからない。おそらくその極意を知るには至っていないからだろう。

「レイヤ様、感謝いたします」

「えっ?私、ただの人間だよ。女神から様付けで呼ばれるなんて……」

「ヨルム様の大切な方とあれば、そう呼ばせて頂くほかありません」

「ヨルム、」

「名前ぐらい好きに呼ばせてやると良い」

「えー?」

 取り合ってくれる気はないらしい。

 女神に様をつけて呼ばれる自分の存在は何なのか。ヨルムのものとなり、セイズを学び、レイヤはどんどん自分が人間離れした存在になって行くような気がした。


 三人は、レイヤの灯火を頼りに洞窟の深くまで潜っていった。地上でも熱さを感じたが、潜る程にその熱は高くなっていくようにレイヤは感じた。

 たどり着いた最奥は、通って来た場所よりも大きな空間が広がっている。

「ようやく来やがったか、馬鹿息子」

 岩に仰向けに繋がれたロキは、こちらを見ずにそう言った。

「お前に馬鹿呼ばわりされる筋合いはないぞ、ロキ」

「なんだよ連れねーな。お前が人の姿を得る手伝いをしてやったじゃねーか」

「お前の手伝いなど不要だ。勝手な予言を与えて、私の土地に混乱を招くな」

「はぁ?感謝されても恨まれる筋合いはないぞ、この……」

「ロキ。その辺にしてください」

 ヨルムに対して酷い暴言を吐こうとしたロキをシギュンが止める。

「その声はシギュン?ヨルムはお前も連れてきてくれたのか。前言撤回。お前はえらい」

 ロキは、ヨルムの存在にはすぐに気づいても、シギュンの存在には気づかなかったらしい。

「会いたかったぜ、我が妻よ。ここは本当に何もなくて暇なんだよ。っていうか、馬鹿息子、早くあの蛇をどうにかしろ。あの毒を顔に浴びると、いくら丈夫な俺でもいてーんだよ。苦しいんだよ。お前の眷属ってのは、毒を持つ奴が多くてかなわん。その中でもこいつは、かなりやばい奴だぜ」

 前言撤回といった傍から馬鹿息子と彼を罵るロキに、ヨルムはため息を吐く。自分の土地に被害さえなければ、こんな神がいくら毒にもだえ苦しもうとヨルムには関係ないのだが。ヨルムは、その原因を取り除かなければならない立場にある。

「レイヤは危険だから、ここで待っていてくれ」

「わかった」

 レイヤはロキが縛られる部屋の入口まで下がって待つことにした。

「おい、知らない女の声がしたぞ。レイヤって誰だ。何か?お前もようやく妻を娶ったってわけか。こっちに来いよ。顔を見せてくれ」

 ヨルムは自分の口に人差し指を当てた後、レイヤにそこを動かないよう指で指示した。レイヤはヨルムに従って、無言で頷いた。この喧しい神には無言を貫くのが一番手っ取り早い。

「なー。来いってば。神々の中でも一番美麗な俺の顔を拝めるチャンスなんだぜ。見ないと損するぞ」

 ヨルムはシギュンと共にロキの傍に行くと、ロキの頭上に居る毒蛇を見上げた。

「これは……」

 そこには、ヨルムの眷属の中でも特別毒の強い蛇の姿があった。しかも、蛇は木の枝で縫うように岩に張りつけられている。どこをどうやったら蛇を枝で岩に固定できるというのか。傍目ではわからないほどに複雑だ。

「取り除くのは無理だな」

「何言ってんだよ。お前の眷属だろ。どうにかしろ」

「この蛇は動きを完全に封じられている。ここを去るように命じても動けない」

「だったら、あれを外せ」

「複雑過ぎて取り外せない。下手に触れて蛇が落ちたら大変だ。この毒を一身に浴びれば、いくらお前でも死んでしまうだろう。そうすれば、ロキが自由になってしまう。罰を受ける者を解放するわけにはいかない」

「はぁ?ここに括りつけられたまま死ねっていうのか。このまま死んでヘルのところに行ったら馬鹿にされる。どうにかしろ」

「意見が一致したな。ロキの体もこのまま、蛇もこのままの状態で、お前が喚かないようにする方法を探すしかない」

「しゃーない。そのプランで行け」

 どこが意見が一致したというのか。レイヤには、さっぱりわからない。この親子は、非常に仲が良いのだろうと、レイヤは推測した。

「蛇の毒はそのうち抜け切る。それまでの間、毒を受け止める器を用意してやろう。シギュンは、毒が蛇から滴り落ちた時に器を使ってロキを守ってやれ」

「お任せください。ロキの為ならば何でもしましょう」

「流石、シギュンだ。俺の嫁はなんて素晴らしいんだ。おい、レイヤはどうなんだよ。早く見せてくれ」

「シギュン。私はその毒を受け止められる器を探しに行ってくる」

「は?探しに行くだって?その辺の皿を持ってくりゃあ良いだろ」

「蛇の毒は強力だ。器に穴が空いたら、シギュンが怪我をしてしまうだろう。並みの器ではだめだ」

「随分な言い草だな。俺の心配はどこへ行った」

「お前の心配など一つもしていない。シギュン。次に毒が滴り落ちるまでの間に用意しよう」

 毒がロキの顔に落ちる間隔は、地震の間隔と同じ。三日置きだ。

「もし、私が間に合わなければ、構わずその馬鹿親の上に落としておけ。私のことを馬鹿息子といった報いを与えても問題はないだろう」

「馬鹿息子に馬鹿息子と言って何が悪い。親の心配もせず、ヴァルハラの会議にも出席しない。フェンリルの捕縛に立ち会うこともなければ、バルドルの死も知らずに人間の世話ばかりしている。お前なんぞが神で居られるのは、俺がオーディンの義兄弟だからだぞ」

「だからなんだ。子供の私を大海に放り投げた奴の饗宴に喜んでいくような奴こそ愚かだろう」

「そういや、そんなこともあったっけな。でも、おかげでお前は人の信仰を集めて、立派に成長したじゃないかよ。神々も、お前のことを恐れていたぜ。お前はもう誰の手にも負えないって。処刑しようにも、お前が善良過ぎて善神からは賛同が得られないからな。特にバルドルとフォルはお前に懐いてたっけな。テュールの奴もそうだ。裁定の神がこぞって反対するからオーディンも手出しができないときた。フェンリルが捕縛されたのも、お前への当てつけだ。奴ら、テュールを痛い目に合わせたかったんだよ」

「言いたいことは言い尽くしたか」

「つまらない奴め。少しは言い返してみろ。お前のせいで俺たちの家族は酷い目に合ってるんだ」

「お前に言われたくない。シギュン。やはりこいつには、もう一度毒を浴びせた方が良い」

「は?何言ってるんだよ。シギュン。何とか言ってくれ。あれがどれだけの苦しみかお前ならわかってくれるだろう」

「その通りだぞ。ロキ」

「おう?どうした。お前が俺に賛成するとは珍しいじゃないか。こりゃあ、ムスペルの地に明日、雪が降るぜ」

「見なければお前の苦しみを共感することなどできまい。一度、シギュンに、お前の苦しみとやらをきちんと見せてやれ。ヴァルハラの暴言王が悶え苦しむ様を」

「シギュン。まさか、そんな無慈悲なことはしないだろう」

「心配せずとも、神であればそうやすやすと死にはしない」

 ヨルムはシギュンを見た。後の判断は、この妻が自由にすれば良い。

「ロキ。あなたがスカジと浮気したというのは本当ですか」

「はっ?何言ってるんだ。俺が愛を捧げたのはお前だけだって。ニョルズのとこで従順にやっていけない暴れ女神なんて、お前と比べようもないだろう」

「あなたの言葉が真実であれば、ヨルム様も次に毒が滴り落ちるまでに器を用意してくださることでしょう」

「シギュン。頼むから俺の傍に居てくれ。お前がどれだけ素晴らしい女か教えてやる。おい、ヨルム。俺の身の潔白の為にも早く帰って来るんだぞ」

 ヨルムは肩をすくめる。

「暴言尽くしのお前の弁護などできるものか。自分の身の潔白ぐらい、自分で証明することだ」

 ヨルムはレイヤの傍に行くと、レイヤの手を繋いで、壁に扉を作る。

「ここにも作れるの?」

「私の土地だからな。場所を覚えたから、次からは簡単に来ることが出来る」

「ヨルム、我が愛しの息子よ。頼んだぞ!」

「知るか」

 ヨルムはレイヤと共に扉をくぐった。


 ※


 二人はヨルムの家に戻った。

 リヴとラシルは眠りについているのだろう。台所も居間も明かりはなく、カーテンのない窓からは月明かりが射し込んでいる。

 とても静かな夜だ。

「おかえりなさい、ヨルム」

 レイヤの言葉に、ヨルムは笑う。

「一緒に帰ってきただろう」

「言ってみたかったんだ。ほら、今日はおかえりって言ってくれる人が居ないから。次は器を探しに行くの?」

「それは明日の仕事だ。今日はもう休む」

「そうだね」

 そう言った後、レイヤはロキとヨルムの会話を思い出して笑い出した。

「どうした?」

「だって、ヨルムがあんな風にたくさん話すところを見たのは初めてだったから。お父さんと気が合うんだね」

「冗談じゃない。あれと一緒にされて喜ぶ者などいないぞ」

「でも、ロキって本当に思った通りの神様だった。人を騙したり、意地の悪いことを言ったりするけど、あんまり嘘は吐かないんだね」

「レイヤは、あの言葉の中に嘘がなかったと思うのか」

「うん。だって、ヨルムはロキを嘘吐きって言わなかったよ。ロキだって、ヨルムのことを褒めてるみたいだった」

 あのひねくれた神に聞かせてやりたい言葉だ。

 レイヤの言う通り、ロキが自分に対して嘘を吐かないことをヨルムは知っている。ロキは、ヴァルハラの連中のような嘘吐きにだけはなるなと常にヨルムに言っていた。その結果、ヨルムは契約の神の側面を持つこととなったのだ。自分はあれだけ神を騙して回っているというのに。

「寝よっか」

 レイヤは部屋に向かって一歩、二歩進んだ。

「ただいま。レイヤ」

 ヨルムの声に、レイヤは振り返る。ヨルムは一歩も動かずにそこに居たらしい。まさに今、帰りたてのように。

「おかえりなさい」

 レイヤは笑う。本当に、この神は優しい。

「月明かりの元では、尚も美しいな。フレイヤに美の極意でも聞いてきたか」

「えっ?」

 その通りだが、フレイヤの語った美の極意など、レイヤには大きな意味があるように思えなかった。

「今日は、特別だったから。身を清めて、綺麗なドレスを着て、綺麗な靴を履いて。こんなに素敵な首飾りに、ティアラまで。フレイヤにセイズを教わったり、ヨルムのお父さんに会ったり。なんだか、どれも夢みたい」

「ならば、このまま夢の世界に連れていこう」

 ヨルムはレイヤの手を引いて、部屋に入った。


 ベッドに座ると、レイヤを睡魔が襲った。

 本来眠りにつく時間をとうに過ぎていたのから当然だろう。しかし、この美しいドレスを着たままでは眠れない。レイヤは眠気に抵抗しながら白い靴を脱ぐと、ドレスを解いた。そして、その開放感のまま柔らかいベッドに沈む。

「レイヤ。ティアラと首飾りをしたままでは……」

 レイヤはもう、眠りの世界に足を踏み入れていた。

 ヨルムはため息を吐く。

 無理をさせ過ぎただろうか。やはり、昼間に休ませておけば良かったとヨルムは後悔した。

 ヨルムは、レイヤのティアラと首飾りを外してベッド脇の台に置くと、ベッドからずり落ちるようにして眠るレイヤの体を整え、その上に布団をかける。

 そして、自分は机に向かった。

 蛇の毒に耐える器を探さなければならない。

 机の上には、世界の創世の物語、ヨルムの母・アングルボダの言葉を記した予見書、賢者の神・ミーミルの知恵を記した本、テュールの裁判の記録書、詩の神・ブラギの詩集……。神でしか知りえないような情報を扱う本がずらりと並ぶ。

 ヨルムはその中から、小人族・ドヴェルグの作品集を開いた。トールの持つミョルニルも、オーディンの持つグングニルも。フレイヤが首に下げるブリーシンガメンも、すべてドヴェルグの鍛冶による賜物だ。

 やはり、特殊な器を作るとしたらドヴェルグに頼まなければならないか。ドヴェルグの知り合いを訪ねてみることにしよう。その代償が、ヨルムに支払えるものであれば良いが。

 ヨルムは本を閉じるとベッドへ行った。レイヤは安らかな寝息を立てて眠っている。少し微笑んでいる様子を見ると、良い夢を見ているのかもしれない。

 ロキの様子を見る限り、ロキが自分に呪いをかけたとは思えなかった。流石に捕縛されていれば、そんな余裕もないだろう。

 だとすれば、ヨルムに呪いをかけたのはオーディンか。

 ロキにバルドルを殺された腹いせかもしれないが、それはロキの捕縛で十分に叶っているはずだ。それに、化身は所詮、化身だ。本体に何の影響もないのだからヨルムに大きな被害をもたらしてはいない。

 眠っているレイヤの手がヨルムに触れる。寝返りを打ったらしい。ヨルムはレイヤの頭を優しく撫でた。

 早く、大人の姿を手に入れなければならない。

 レイヤの腕がヨルムを抱き寄せる。為されるままにその腕に抱かれて顔を上げると、眠ったままの彼女と唇が触れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る