11 裁きの神

 ヨルムは広間に戻った。

 すぐにレイヤの元へ戻ろうとしたが、珍しい神を見つけて声をかける。

「ヴィーザル。珍しいな」

 オーディンの息子、ヴィーザルは、トールと並ぶほどの強さを持ちながら、森で隠遁生活を送る変わった神だ。

「ヨルム。お前こそ珍しいじゃないか。地上に捨てられた蛇がこんなところで何をやっている」

「地上にも影響があることが起こったから、話を聞きに来ただけだ」

「お前も聞いたか。しかし、うるさいロキが居ないと、饗宴はここまで静かになるものなんだな。あんな阿呆は、とっとと繋いでおけば良かったんだ」

「それには賛成してやっても良い」

 ヴィーザルが笑う。

「お前は、昔からロキと仲が悪かったな。しかし、気を付けろ。ロキ一家で残ったのはお前だけ。ついでにお前も捕縛しようとしてる奴が居るんだぞ」

「どうせオーディンの奴だろう」

「オーディンはとうに諦めてるさ。饗宴の決定は多数決。お前の側に回る神の方が多いからな。私もお前の側に付いてやる。だが、お前を陥れようとしている奴は、生まれたばかりの神だ。まだ名も無き神だが、そこそこの力を持っている。気を付けろ」

「生まれたばかりの神か。助言はありがたく受け取っておくことにしよう」

「そういえば、妻をフレイヤに奪われたと言うのは本当か?」

「は?何だそれは」

「あまりにもヨルムが連れない態度をとるから、フレイヤは女性を愛人にすることにしたらしい」

「何を馬鹿なことを。私は妻を娶ってはいない。それにフレイヤが女性を欲しがるわけがないだろう」

「そうだな。まぁ、暇人どもの噂だ。聞き流しておけ」

 とても聞き流せる話しではない。噂を流しているのはフレイヤに違いなかった。レイヤが心配だ。


 ヴィーザルと別れた直後、ヨルムに小さな神が声をかけた。

「ヨルム様!」

「フォル」

 司法の神・フォルセティ。まだ若いこの神は、不幸なバルドルとナンナの息子だった。

 ヨルムは自分より背の高い神の頭を撫でる。

「大きくなったようだな」

「はい。ヨルム様こそ、何故、そのようなお姿に?」

「好きでなっているのではない」

「常若の林檎を食べてしまったからというのは本当ですか?」

 ヨルムは眉をひそめる。

「なんだその話は」

「フレイヤ様が仰っていたそうですよ。ヨルム様が普段常若の林檎を召し上がらないのは、食べると体が縮むからだと」

 また、フレイヤか。

 暇な神々であれば、でっち上げた噂が広まるのもあっという間だ。

「あの女神の言っていることなど信じるな。それが真実であれば、神もフェンリルにたくさん食わせてやっただろう」

 フォルは、なるほどと頷く。

「確かに、その通りですね」

「テュールの教えを聞いているのだろう。少しは真実と嘘を見抜く力を磨け」

「申し訳ありません。テュール様のようには、まだなれなくて」

 フェンリルによって右腕を失ったテュールは、調停の神の名をフォルに譲った。フォルは、その名に恥じぬようテュールから学んでいるところだ。

「ヨルム様。どうか私にも教えを説いてください。私もヨルム様のように契約を順守する神として信仰を集めたいのです」

「早く一人前の神になりたいわけか」

「その通りです」

 ヨルムはため息を吐く。

「バルドルとナンナのことは聞いた。フォルが焦る気持ちもわかるが、今はきちんと学べ。道理を知らない神が他人を裁くことなど出来ない。テュールは古い決まり事をたくさん知っている。お前の役目は、人間に新しい約束を作ることだ」

「新しい約束?」

「お前は司法の神だろう。人の世界の法とは、神の言葉に依らずに自分たちを戒める言葉だ。今まではテュールが神々の決まり事をそのまま人間に伝えていたが、それももう限界。平和な世が続くよう、司法の神であるお前が新しい法を授けなければならない」

「新しいものを考えるなど、私に出来るでしょうか」

「もちろんだ。お前が望むなら、いくらでも私の土地に入り、人について学ぶことを許そう」

「本当ですか?」

「あぁ。困ったらいつでも尋ねに来ると良い」

「ありがとうございます。ヨルム様」

 フォルは、にこやかにほほ笑んだ。まだ幼い神であるからこそ、その笑顔は屈託なく愛らしい。

 そこへ、ヨルムの知らない神がやって来た。

「お前がヨルムか」

「何者だ」

「ヴァーリだ」

「知らないな」

「ヨルム様。ヴァーリはオーディンの息子で、私の父を殺したヘズを裁き……」

 そこで、フォルは言葉を切る。

「お前の父であるロキに戒めを与えた者だ」

「つまり、裁きの神というわけか」

「そうだ。ロキに戒めを与えるものが何か知っているか?私はそれにお前の腹違いの息子どもを使ってやった。あいつは、八つ裂きにされたシギュンの息子のたちの体の部位で縛られているんだ」

 まるで自分が素晴らしい偉業を成した神であるかのように語ったヴァーリに、ヨルムは嫌悪感を抱く。

「哀れなシギュンは、神々の決定によって夫と離れ離れになった上に、子供も失ったというのか」

「当然の報いだ。光ある神に仇なす愚かな血族よ。死者の国に落ちたヘルがこちらの世界に来ることはない。最後はお前だ。ヨルム」

 ヴィーザルが言っていたのは、ヴァーリのことだったらしい。

「ヴァーリ、何を言う。ヨルム様は人の信仰を集める何の罪もない神だ。いくらお前といえど、ヨルム様に何かすればただじゃおかないぞ」

「ほう。お前ごときが私に何が出来るというんだ。小さな甥っ子殿はいつになったら私の背を超えるというのかね。私は一夜にしてここまで成長を遂げてやったぞ」

 ヨルムは、先ほど聞いたテュールの話を思い出す。

 オーディンはバルドルが殺されたその場でヴァーリを生み、この神にヘズの裁きを任せたらしい。

「裁くべき者が誰かろくに調べもせずにヘズを断罪した間抜けは誰かと思っていたが。体は大きくとも、生まれたばかりの幼子であれば仕方あるまい」

「なんだと?私はバルドルに直接手を下したヘズも、陰謀を企てたロキも全部裁いてやったのだぞ」

「その方法がどれだけ道理に反れた行為であったか、お前より先に生まれたフォルに聞いてみればわかるだろう。お前の残虐な行為に目を背けた神は居なかったか」

「極悪人を裁くには、考え得る最高の恐ろしい目に合わせてやるのは当然だ」

「浅はかな神よ。オーディンの口車に乗せられ、自らで真実を判断することも出来ない神が、裁きを語るなど笑止千万。ここにバルドルが居たならば、お前の恐ろしく非道な行為を咎めてやったに違いない」

 ヴァーリはかっとなって、ヨルムに向かって斬りかかった。

「ヨルム様!」

 しかし、その剣はヨルムの頭に当たると粉々に砕けた。その衝撃でヴァーリは後ろによろけ、尻もちをつく。小さくなった神を、ヨルムは見下ろす。

「大地の神たる私に傷をつけられる鉄屑などない。トールのように力もないお前ごときが、私に傷をつけられると思ったか。愚か者め」

「くそっ。何が神だ。怪物の分際で!」

「ヴァーリ!ヨルム様に謝れ!」

「言わせておけ、フォル」

「しかし、」

「ヴァーリ。お前は、自ら誤った判断においてヘズを殺した罪と、倫理から逸脱した裁きを与えた罪を持っている。幼い神に過ちはつきものだ。もし、お前が裁きについて学び、自らを悔い改めたのならば、私の名において許しを与えることを約束しよう」

「誰が、お前の許しなど請うものか!」

「フォル。お前の知識をヴァーリにも与えてやれ。裁きの神として生まれたならば、その信仰を集めるに相応しい神とならねばならない。感情に任せて他人を裁くなど、以ての外だ」

「わかりました。ヨルム様」

「くそっ。俺は必ずお前も捕縛してやる!覚えておけよ!」


 ※


 その後も何人かの神に捕まりつつ、ヨルムはようやくレイヤの元に戻ってきた。

「ヨルム。おかえりなさい」

「遅かったじゃない。食べちゃうところだったわよ」

 フレイヤは、その腕にレイヤを抱いている。レイヤは、この女神にかなり気に入られたようだ。

「私のものに簡単に手を出せると思わないことだ」

「あら。何の話をしているのかしら?イズンがレイヤにも常若の林檎を置いて行ったのよ。食べさせても良かったというの?」

「だめに決まってるだろう」

 フレイヤが笑って、常若の林檎をヨルムに向かって投げる。

「どちらにしろ、それはレイヤのものよ。好きに使うと良いわ」

 ヨルムは林檎を仕舞った。神々の若さと神性を保つ林檎であれば、役に立つこともあるだろう。

「フレイヤ、シギュンを呼んでくれ」

「シギュンなら後ろにいるじゃない」

 ヨルムは振り返る。

 そこには、大人しそうな女神が俯いて立っていた。フレイヤに比べて質素過ぎるその成りは、女神というよりは召使いのようだ。

「申し訳ありません、ヨルム様。お声かけさせていただく機会をずっと待っていたのですが……」

 奥手な女神は、人に声をかけるのが苦手らしい。テュールがヨルムに頼んだのもわかる。

「ロキの居場所を知っているのだろう。共に来てくれるか」

「はい。喜んで」

 シギュンは、ヨルムとフォル、ヴァーリの会話を聞いていた。義理の息子であるヨルムのことをあまり知らないシギュンだったが、夫と息子に荒行を働いたヴァーリをいさめたこの神に信頼を寄せていた。

「用は済んだ。レイヤ、帰ろう」

「わかった」

 立ち上がろうとしたレイヤを、フレイヤは離さずにきつく抱きしめる。

「もう帰っちゃうの?まだ饗宴は終わらないのよ。ヨルムが居なくちゃつまらないわ」

「うるさい。くだらない噂を広めておいて何を言う」

「あら。どの噂を聞いたの?」

「お前が女を愛人にし、私が林檎で縮んだという話だ」

「それだけ?」

 この女神は、他にもでたらめな噂をばらまいたらしい。

「レイヤを離せ。こんな場所に長居してもろくなことがない」

「ここには人の世界には居ない美しい女神がたくさんいるじゃない。そうだわ、ヨルム。今日会った中で一番美しい女神は誰か答えて頂戴」

「フレイヤだ」

 ヨルムは即答する。愛と美を司るこの女神以上に美しい女神など存在しないのは明らかだ。

「そう。なら、あなたが一番美しいと思う女性は誰かしら?」

「レイヤだ」

 その言葉に、レイヤは顔を赤らめた。これだけ美しい女神が隣に居るというのに、ヨルムは何を言っているのか。フレイヤは確か、己の美が及ばない男について語っていた。その条件とは……。

 いや。まさか。レイヤは考え直す。女性といえば人間の娘を指しているに違いない。ヨルムは女神を除いた中で美しい娘としてレイヤの名を挙げたのだ。それですら、レイヤにとっては信じられないことなのだが。

「つまらない答えね。そんなに大事なら離さずに歩きなさい」

 フレイヤはレイヤを開放した。レイヤは立ち上がると、振り返って、フレイヤに向かって深く頭を下げる。

「フレイヤ、セイズを教えてくれてありがとう。私、ヨルムの役に立つように頑張るね」

「可愛い子。セイズは自分の為に使っても良いのよ。またいらっしゃいね。レイヤ」

「ありがとう」

 レイヤは女神のことを前よりも好きになった。

 フレイヤは、他の女性たちが信仰する姿のまま、美しく、すべての女性に優しい。もし愛と美について悩むことがあったら、迷わずフレイヤに祈りを捧げることにしようとレイヤは決めた。

 ヨルムが愛の神の側面を持つとはいえ、レイヤは自分の愛の悩みをヨルムに祈るわけにはいかないのだから。


 ※


 ヨルムとレイヤ、そしてシギュンは、宮殿を出ると、虹の竜を呼んで空を下った。

「ヨルム様。ロキはヨルム様が過ごす森のずっと南に囚われています」

「南か。嫌な土地だな。あそこはムスペルにも近い」

「はい」

 南は、ヨルムの土地の中でも危険な地帯だ。南には炎の国・ムスペルヘイムと繋がる火山がある。

「しかし、行ってどうするつもりだ?私はロキの戒めを解く気はないぞ」

「わかっています。ロキはその罪によって罰を受けているのですから。けれど、神々はロキに毒を与える決定はしておりません。私は、夫を毒の苦しみから救いたいのです」

 スカジは、勝手にロキの頭に毒蛇を置いたらしい。

「それに、ヴァルハラに私の居場所はありません。私にはもう、夫しかいないのです」

 シギュンは悲しげに俯いた。

 シギュン自身に何の罪がなくとも、悪辣の限りを尽くしたロキの妻に慈悲をかける神は存在しない。唯一、テュールが気にかけていた程度だろう。子供を失くし、解放される見込みのない夫を神々の土地で一人待つなど出来るわけがなかった。

「レイヤ。眠くはないか?」

「大丈夫だよ」

「ならば、このままロキに会いに行くとしよう。フィヨルム、南を目指してくれ」

「わかりました」

 虹の竜の上で、ヨルムはバルドルの死とロキの捕縛についてレイヤに語った。

「ひどい……。まるで子供同士の苛めみたい。どうして他人に優しくできないの?皆、人を守って、人の願いを聞いてくれる存在なのに」

「神はとうにその感覚を失っているんだ」

「こんなの、誰も幸せにならないよ」

 悲しげに俯いたレイヤの肩をヨルムが抱く。

 すべてはレイヤの言う通りなのだ。しかし、そう語る神はヴァルハラには一人もいない。

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