08 ぬくもり

「おかえりなさいませ、ヨルム様、レイヤ様」

「ただいま」

 居間で採取に使う籠を編んでいたリヴと、その隣でヨルムの服を仕立てていたラシルが笑顔で二人を出迎える。レイヤは、ヨルムと共に彼の作った不思議な扉を使って帰ってきたのだが、目の前の二人は、この帰還の仕方にもう慣れたらしい。

「お土産があるよ」

 買った物をテーブルに並べると、ラシルがレイヤのそばに来る。

「美味しそうなお菓子ですね。お茶を煎れましょうか」

「私はお腹がいっぱいだから、二人で食べて」

「二人で食べるには多いようですが……」

 あの後もヨルムは困っている人々を助け、助言を与えて歩いたのだが。レイヤがたくさん買った菓子が活躍することはなかったのだ。

「ちょっと買い過ぎちゃって」

 ラシルが笑う。

「焼き菓子ならば日持ちもしましょう。レイヤ様も後でお召し上がりくださいな」

「うん。そうする」

「まぁ、これは蜂蜜ですか?」

「切らしてるんじゃないかってヨルムが言ってたよ」

 蜂蜜の瓶を持って、ラシルがヨルムの方を見る。

「ヨルム様、お気遣いありがとうございます」

「気にすることはない。あっても邪魔にならないものだろう」

「はい。ありがとうございます」

「今晩も出かける。ラシル、レイヤの為にもう一つ服を仕立ててはくれないか。華麗な衣装にして欲しい」

「この布でお仕立てするのですね」

 ラシルは手に取った布をうっとりと眺める。

「手触りも良く美しい布です。レイヤ様にお似合いでしょう。舞踏会に着ていくドレスを御所望でしょうか」

「ドレスっ?」

 そんなもの、生まれてこの方、レイヤは着たことがない。

「そこまで派手にする必要はない。フレイヤが気に入るような服と言えば良いか」

「女神様にお会いになるのですか?」

「そうだ」

「わかりました。間に合うように御仕立てしましょう。レイヤ様、こちらへ」

 ラシルは、早速、新しい服の仕立てに取りかかろうとしている。

「待って、ラシル。焼きたてのお菓子だから、これを食べてからにしよう?」

「ですが……」

「ラシル。それはレイヤがリヴとラシルを思って選んだものだ。焼きたての内に食べてやると良い。それに、レイヤも喉が渇いているだろう」

「そうだよ。リヴも食べよう?」

 レイヤがリヴの方を見ると、リヴは作業の手を止めた。

「私も丁度、区切りの良いところまで編み上がったところです。ラシル、休憩にしよう」

 リヴにまで諭され、ラシルは仕方なく頷く。

「では、お茶の時間に致しましょう」

 この美しい少女は、なかなか頑固な面があるらしい。


 ※


 食事の要らないヨルムは自室に戻った。残った三人で、お茶の時間を過ごす。

 ラシルが淹れたハーブティーは、優しい香りでほのかに甘く、レイヤは緊張が解けるような気がした。自分で思っていた以上に、肩に力が入っていたようだ。国王と会ったとなれば、それも仕方ないことだったが。

 焼き菓子を楽しむ二人に、レイヤは王都でのヨルムの振る舞いについて語った。目の前で困っている人を放っておけない彼は、短い間にどれだけの人に救いと幸福をもたらしたことか。敬愛する神の慈しみの深い行動に、二人は感動して聞き入った。

「レイヤ様が、お菓子を買い過ぎてしまうのも無理はありませんね。私たちは、知らない内にヨルム様に助けられていることがあるのかもしれません」

「その通りだよ、ラシル。親切は伝播するものだ。ヨルム様の行いによって助けられた者が、その親切を他の誰かに返す。そうして私たちは、ヨルム様の意思を身近に感じているのだろう」

 神のお導きに感謝します。あなたにも幸運が訪れますように。

 この言葉は、この国で日常的に使われる。この国では、人から受けた親切は別の誰かに返すのが礼儀なのだ。

 レイヤも一儲けした冒険者から食事を奢られたことがある。その礼は、冒険者になりたてで食うに困っていた新人に奢ることで返した。その新人冒険者もまた、いつか誰かに食事を奢ってくれることだろう。

 続いて、レイヤは国王に謁見してきたことを伝えた。

 城に居た時間はとても短い。ヨルムと王たちが話したことを、レイヤは二人に正確に伝えることが出来ただろう。

「アーロは、ヨルム様から直接祝福を受けられたのですね」

「知り合いなの?」

「はい。師が同じなんです。本当だったら、今頃……」

 言いかけて、リヴは言葉を切る。

 城で騎士として働いていた頃を思い出したのだろう。リヴは兄弟子として、若い騎士と共に任務につくことを心待ちにしていたに違いない。

 ラシルが俯く。

「ごめんなさい、リヴ。私のために……」

「気にしないでくれ、ラシル。私は騎士の誇りにかけて、君を救うとを決めたんだ。あの時の決断を微塵も後悔していない」

 リヴの行為は、神であるヨルムの意思を汲んだものに違いなかった。リヴが望めば、優秀な第一の騎士の帰還を国王も歓迎することだろう。しかし。

「二人とも、もう少しヨルムのところに居た方が良いと思うよ」

 過熱した生け贄探しが、すぐにおさまるとはレイヤには思えなかった。国王がどのようなお触れを出すかわからないが、情報の伝播には時間がかかる。冒険者たちも方々に探しに出ているのだ。長い間、町に寄らずに野宿でも過ごせる冒険者であれば、情報を得るのは更に遅れるだろう。

 二人の安全が確保されるのは、まだ先と言える。

「御心配頂きありがとうございます。しかし、御恩を返さないまま、ここを離れることなど出来ません」

「私も、ヨルム様に守って頂いたお礼をしたいのです」

 ヨルムとレイヤが出掛けている間に、二人は今後のことを話し合っていたらしい。

「それまで、ヨルム様が私たちをここに置いて下されば良いのですが」

「心配しなくても、二人の為に蜂蜜を買って帰るぐらいだから、ヨルムは二人がすぐに居なくなるなんて思ってないと思うよ」

 レイヤは、蜂蜜の話のくだりを伝え忘れていたのに気づいて、二人に話して聞かせた。

「ヨルム様は、気づいていらっしゃったのですね。代用の効くものであれば、お願いするのも申し訳ないと思っていたのですが……」

 ラシルは、わざとヨルムに頼まなかったらしい。

「きっと、ラシルがあまりにも幸せそうに食べるから覚えていらっしゃったんだよ」

 ラシルは、その頬を薔薇のように染めて俯いた。ラシルは、かなり蜂蜜が好きらしい。

「私もね、二人にはもう少しここに居て欲しいんだ。私、ここのことを全然知らないし、一人じゃヨルムの手伝いを上手く出来ないと思うから。リヴとラシルから教えて貰いたいことがたくさんあるんだ」

 水を汲む場所すら知らないレイヤでは、一人残されたところで、どうやって生活すれば良いかわからない。

「もちろんです。どんなことでもお手伝いいたしますよ」

「お力になれることがありましたら、何なりとお申し付け下さい」

 レイヤが今一番お願いしたいことは、その言葉遣いを止めてもらうことなのだが。

「じゃあ、まずは、皿洗いを私の仕事にしても良い?」

 レイヤの申し出に、リヴとラシルは顔を見合わせる。

「台所はラシルの管轄だろう」

「そうですね。わかりました」

 承諾してくれたらしい。

「まずは、お皿を下げるお仕事をお任せすることにしましょう」

「えー?」

 承諾したわけではなかった。

 ラシルの提案とレイヤの反応にリヴが笑う。レイヤが客人扱いされなくなるのは、まだ先のようだ。


 ※


 衣装を作る為に、頭の上から足の爪先まで身体中をくまなく計測された後、ようやく開放されたレイヤは、ヨルムの部屋に逃げ込んだ。

 ヨルムは机に向かって本を広げている。

「レイヤか」

「うん」

 レイヤはヨルムの傍に行く。

「今日は調子良いの?」

「レイヤの傍にずっと居たからな」

 この様子なら、食事の間、離れるぐらいは問題なさそうだ。

「たくさん歩いたけど、疲れなかった?」

 ヨルムは椅子に座ったままレイヤを見上げた。その顔をレイヤが見下ろす。

 疲れてはいないようだ。

「この体は神の化身。子供と同じ体力のわけがないだろう」

「そうなの?」

「そうだ。見た目など関係ない」

「ってことは、その姿でも困らないの?」

「レイヤが居る限り、この体を神の化身として使うには問題ない。しかし、人として行動する分には問題が生じるだろう。子供の私に助けられたとあっては、不満を抱く者も多い」

 確かにその通りだ。彼の説教を、はじめから喜んで聞いていた者など居なかった。

「しかし、どれだけ調べても何故このような姿になったのかわからない。ロキの奴が私の土地に入り込んだ以上、あいつが干渉した可能性はあるが……」

「良いの?お父さんをそんな風に言って」

「あれがまともな神と思っている奴など居まい」

「でも、契約を反故にしたい時は、ロキに頼むと助けてくれるって言われているよ」

 ヨルムが見るからに不愉快そうな顔をする。

「あれでも、頼まれごとは喜んで引き受ける性質だからな」

 また辛辣な言葉でも吐くと思いきや、父である神の良いところを認めたヨルムを、レイヤは笑って抱き締める。

「可愛い」

「それは、女性や子供を愛でる為の言葉だろう」

「ヨルムは今、子供だよ」

 それが姿だけの話であることを、ヨルムは説明したはずだが。

 ヨルムは、すぐ傍にあるレイヤの顔に手を伸ばすと、その顔を自分の方に向ける。

「大人になれば、レイヤより背が高い」

「私より背の高い人なんて、そんなに居ないよ」

「ならば、私がレイヤの背を越えた暁には、レイヤにはこれまでの言動を正してもらおう」

「言動?」

「そうだ」

 ヨルムはレイヤの瞳を見つめる。

「いずれ、私はレイヤを見下ろす。その時、私がレイヤを美しいと言ったら、レイヤはそれを認めるんだ。レイヤは、とても美しい女性なのだから」

 レイヤは、自分の体が熱くなり、心臓が高鳴るのを感じた。

 今、彼は何と言ったのか。

 唇が触れるほど近い距離で放たれた言葉がレイヤの頭の中に響き、ヨルムの言葉がレイヤを満たす。レイヤは、彼が語る言葉に一切御世辞の類が含まれていないことを、ようやく実感したのだ。

 レイヤはヨルムを抱き締めたまま、その肩に顔を押し付ける。とてもじゃないが、まともに顔を見ていられる状況ではない。ヨルムは、そのレイヤの頭の上に手を置いた。

「理解したか?」

「うん。……理解した」

 今度こそ、レイヤはヨルムに返事が出来た。

 しかし、同時にレイヤは困ってしまった。レイヤは神である彼を愛している。それは、信仰とは別物の愛だ。尊敬の愛でもなければ、子供を慈しむような愛でもない。

 レイヤは今、恋に落ちたのだ。

 動けずにいるレイヤを、ヨルムは優しく撫でる。レイヤが捕まえているせいで、ヨルムは読書をすることもままならないのだが、彼が彼女を拒否することはなかった。

 鼓動が落ち着くまで、体の熱が動けるほどに鎮まるまで待った後、レイヤはようやくヨルムから離れた。

「ラシルの手伝いをしてくるね」

「レイヤ」

 去ろうとするレイヤを、ヨルムが呼び止める。

「何?」

「ありがとう」

「え?」

「少し疲れていたようだ。レイヤのおかげで回復した」

 自分が触れることで彼が癒されることを、レイヤは忘れていた。ヨルムは、レイヤの今の行為を、彼を癒す為のものと捉えたらしい。つまり、ヨルムはレイヤの気持ちには一切気づいていないというわけだ。そのことにレイヤは、ほっとした。

「疲れたら言ってね」

「レイヤが傍に居る限り大丈夫だ。引き止めてすまない。行ってくると良い」

「うん」

 レイヤは部屋を出た。

 ヨルムは、その扉を見つめる。

 神の力が彼を満たしている限り、彼が疲れることなどない。言葉の選び方を間違えたが、レイヤは気づかなかったようだ。

 そして、彼は彼女に休むよう言うのを忘れていた。夜に動くとなれば、少し休んでおかなければ人は疲れるはずだ。あれだけ元気な様子を見ると、休めと言っても休むことは出来ないかもしれないが。

 ヨルムは机の上に広げられた資料に目を落とす。

 儀式で神が望んだ姿を獲られなかった例など、どこを探しても見当たらない。あったとしても、その方法に問題があったケースのみだ。

 儀式は、神と生け贄の二人だけで行われる。神は生け贄に直接触れ、その力を生け贄に与え、化身として使う素体……、ヨルムの場合は白い蛇を使って生け贄の情報を得る。後は、その体が生け贄のつがいとして変化するのを待つだけだ。

 これまでも同様にしてきた。だから、方法には何の問題もないはずだ。

 しかし、変身の呪いをかけられれば、本人の意図とは違う姿をとることがあるらしい。

 変身は、父であるロキが得意とする技だ。自らを他のものに変えることはもちろん、他人を別の姿に変えることも出来る。昔、拐われた常若の林檎の女神・イズンを取り返す時に、イズンを胡桃に変えて取り戻したのは有名な話だ。

 もう一人、変身を得意とする神といえばオーディンもそうだ。あの神は、姿を変えてどこへでも入り込む。そのせいで、ヨルムは多大な迷惑をこうむっていた。ヨルムの土地にも勝手に何度も入り込んでは戦争の種を振り撒くのだ。魔術に通じ、その神性を隠す術を持つ神であれば、ヨルムもなかなか気づくことが出来ない。神々の饗宴で文句を言うが、痴れ者の神であれば、のらりくらりとはぐらかす。本当に頭に来る神だ。

 そもそも、オーディンは、幼いヨルムを捕まえて、彼を天から海に向かって放り投げた張本人だ。それ以来、彼の本体はずっと人の世界に居る。人の神として、人々と共に成長したのだ。

 ロキとオーディン。どちらもヨルムに呪いをかけることは可能だ。しかし、その理由が解らない。化身を子供の姿に変える呪いなど、何の意味があるというのか。戯れに行ったとあれば、やはり抗議して呪いを解いてもらうのが筋だろう。

 あるいは、ヨルムの知らないところで何かが起こっているのか。

 自分の土地で起こっている異変をヨルムが知ったのは、リヴとラシルが森を訪れた時だった。

 それまでずっと、何故、人々が彼に怒りを鎮めるよう願っていたのかヨルムにはわからなかったのだ。大地の揺れなど、白い蛇の姿をした彼には脅威ではない。西の海の怪物との戦いで人の姿を失った為に、ヨルムは人々が恐れる異変に気づくのが遅れてしまった。

 彼には、人の姿が必要だった。

 今まで人々の願いを叶えられなかった遅れを取り戻す為にも。人々に正しい情報を伝える為にも。ヴァルハラで行われる神々の饗宴に参加する為にも。

 何故なら、饗宴に参加できるのは人の姿のみと定められているからだ。

 オーディンによって捨てられたヨルムは、人々の信仰を集め、巨大な蛇の姿へと成長した。神々は、巨大な体をした彼が神々の館を訪れるのを恐れたのだ。しかし、オーディンの義兄弟として神に名を連ねることとなったロキの子供を、神の仲間に加えないというのは神の倫理に反しているらしい。神々は饗宴で勝手に新しい決まり事を作ると、饗宴に参加したければ人の姿をとるようヨルムに求めたのだ。

 人の願いを聞くことに忙しいヨルムが、その饗宴に参加することなどほとんどない。神々がやることといえば、林檎を食べて、くだらない決め事を作るぐらいだ。だいたい、彼の嫌いなオーディンが主催する饗宴に参加する義理などあるわけがない。たまに他の神に誘われて行くこともあるが、喜んで行きたい場所ではないのだ。

 しかし、今回はヨルムも行かなければならないだろう。彼の土地に影響のあることが、彼の知らないところで起こっている可能性が高い。

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