07 王都

 王都には、温浴施設がある。

 大地の神にして水をも司る神は、とてもきれい好きと言われているのだ。体を清める施設は貴族たちによって作られ、たまに一般の市民へ無料開放されている。

 今日は有料の日だったが、ヨルムは金貨を払ってレイヤの身を綺麗にするよう頼んだ。女神・フレイヤへ祈りを捧げる為に身を清めに来たと伝えると、垢擦りを生業にしている女性たちは喜んでレイヤの身を清めることを承諾した。

 風呂場からはレイヤの悲鳴が聞こえる。

 レイヤが垢擦りをしたのは、成人を迎える聖礼以来だ。もちろん、風呂に浸かることも。彼女が普段身を清める為にしていることと言えば、汗をタオルで拭うことと、髪を川で洗うことぐらいだ。さぞ、やりがいがあったことだろう。

 湯から上がったレイヤは、ぐったりとしていた。

「見違えたな。礼を言う」

 ヨルムは追加の金貨を振る舞った。垢すり女たちは、十分にヨルムの期待に応えたのだ。

「食事を先にとるか?」

「今はちょっと……」

「ならば、布を選びに行くとしよう」


 ※


 結局、買い物はすべてヨルムが行った。数字に弱いレイヤでは、額の大きな買い物について行けなかったのだ。せいぜい、金貨を預かるぐらいしか出来ない。

 上等な絹の布と糸を買うと、ヨルムとレイヤは昼時で込み合うレストランへ入った。

 注文を終え、二人分の料理が運ばれてきたところで、レイヤは首を傾げた。彼に食事は不要ではなかったか。

「ヨルムも食べるの?」

「料理屋で料理を頼まないのは礼儀に欠くだろう。食事は必要としないが、食べたところで大した毒にはならない。余裕があるのなら、私の分も食べると良い」

 レイヤは通常の一人前で満腹になることはない。しかし、二人前となると少し難しい気がした。どちらにしろ、自分の食事を綺麗に片付けてから考えるべきだろう。

 肉料理を口に運ぶ。

「美味しい」

 流石、王都の食べ物。値段が高いだけのことはある。力がみなぎるようだ。

「神々の饗宴では食べ物が出るの?」

「用意される。しかし、メインは常若の林檎を供することだ」

「常若の林檎?」

「神の力の源だ。それを食べることで神性を保つ」

「ヨルムも食べるの?」

「私には必要ない。安定した信仰の得られる神ならば、そんなものにすがる必要はない。あれは、人の願いも聞かずに怠惰に過ごす神が頼るものだ」

 ヨルムにしては、随分辛辣な言い方だ。

「信仰を集めてる神様はたくさん居るよね?」

「レイヤが信仰する神は、どれぐらい居る?」

 この国では、同時に複数の神を信仰することは珍しくない。万能な神など居ないのだ。第一の神として崇められるヨルムが持たない側面は、他の神への信仰で補う。願いに合わせて神を選ぶのだ。

「私の一番の神さまはヨルムだよ」

「その信仰は、私も身近に感じている。しかし、レイヤには信仰の自由がある」

 レイヤは、ヨルムのものになったのではなかったか。それなのに他の神への信仰を許すらしい。

「そうだなぁ。後は、オーディン、トール、テュールにも、たまにお願いするかな」

 ヨルムが苦笑する。

「戦の神ばかりだな」

「強くなりたいから。冒険者はみんなそうだよ」

「その中で気に入っている神は居るか?」

「トールかな。強くて、冒険者っぽい神だから」

「そうだな。旅の先々で武勲を立てる強い神だ。純粋に力を求めるのならば良いだろう」

 他の二神は、戦争の神としての側面が強い。計略を求めるならオーディン、裁定を求めるのならテュールが適している。

「フレイヤを信仰したことはないか」

「フレイヤを信仰するのは、もっと綺麗な人だよ」

 レイヤは自分の見た目に相当な劣等感があるらしい。人間が自分にないものに憧れることはいつものことだ。自らを認めることが出来ればその劣等感も消えるだろうが、それを言葉で説得することが難しいことをヨルムは知っている。

 無理に言いくるめることもないだろう。自ずとわかる日が来る。

「神は、信仰する人間を選んだりしない。願いを叶える相手を選ぶことはあっても、自分に祈りを捧げる相手を疎ましく思ったりはしないものだ。信仰はすべて自分の力になるのだからな」

 ヨルムほどの信仰を集める神をレイヤは知らない。

 豊穣の神としてはフレイも有名だが、その力は狩りや酪農において発揮される印象だ。ここより東の国では信仰が厚いとも聞くが、雨も呼べない神であっては、農耕神としての立場が低いのも仕方ないだろう。何より、フレイはあまり人の願いを聞かない。神々の国では勇敢に力を発揮しているようだが、人の些細な願いなど聞く耳を持たないのだ。この国では、勝利の神として騎士の信仰を集めるぐらいだろう。

 平和で農耕を主とするこの国では、人々の願いを良く聴き、大地に恵みをもたらし、美味しい食べ物を与えてくれるヨルムこそ、第一の神に相応しいのだ。

 レイヤは、彼の恵みによってもたらされた食事を美味しそうに頬張った。

「リヴとラシルにも食べさせてあげたいね」

「それは良い考えだ。二人への土産を選んでやってくれないか」

「私が?」

「そうだ。私では、食べ物の良し悪しなどわからないからな」

「味がわからないってこと?」

「わからない。感じるのは信仰心のみだ」

 美味しいもので幸せを感じられないなんて、とレイヤは思う。

 しかし、食べ物が神によってもたらされたとすれば、自分で与えたものを自分で享受し喜ぶと言う、おかしな話になってしまう。彼がレイヤを通じて信仰心のみを得るというのは納得の行くことだろう。

「まだ食べられそうか?」

「少し貰っても良い?」

「もちろんだ。レイヤの幸せを感じる。この店は人に幸せを与える良いものを提供しているようだな」

 ヨルムがにこやかに微笑む。

 神は、本当に信仰心を食事の代わりにしているらしい。テーブルを共にする相手が一切ものを食べていないにも関わらず、レイヤは一緒に食事をとっているような気分になった。


 結局、二人前の食事を見事に平らげたレイヤは、ヨルムと共に店を出た。食べ過ぎたと思ったが、不思議と体は重くない。しかし、その量は確実にレイヤの身になるはずだ。

「こんな調子で食べてたら太っちゃう」

 今更後悔しても遅いのだが。レイヤはため息を吐く。

「残念だが、その体型が変わることはない」

「え?」

「私のものとなった時から、その体は成長も変化もしない」

「年を取らないってこと?」

「今の状態では内側が老いることもあるが、外面が変わることはない。そもそも、悲鳴を上げるほど身を磨かれたというのに、傷一つついていないだろう。それは私の加護によるものだ」

 確かに、あの垢擦り女たちは人の肌を傷つけるのではないかという勢いでレイヤを磨いていたように思う。レイヤはヨルムの言葉に納得した。

 垢すり女たちの名誉の為に言うならば、実際、そんなことはないのだが。

「じゃあ、いくら食べても平気ってこと?」

「人と同じように病にはかかる。無理はしないことだ」

「わかった」

 腹も身の内ということは変わらないらしい。


 ※


 レイヤは、リヴとラシルの為に甘い焼き菓子を選ぶことにした。自分が食べたかったと言われればそれまでだが、バターと砂糖がたっぷりと使われた焼き菓子は、土産にするのに丁度良い、ちょっと贅沢な品だろう。

「他に何か入り用なものはないか?なければ帰ることにするが……」

 二人が歩いていると、前方から悲鳴が上がった。

「泥棒!」

 叫んだのは道端で倒れている女性だ。泥棒とは、通行人を突き飛ばしながらヨルムの方に走ってくる男のことだろう。男は明らかにヨルムを突き飛ばして道を確保しようとしていた。

「ヨルム、」

「問題ない」

 走って来た男を軽く避けると、ヨルムは男の前に足を上げる。男は見事につまずくと、盛大に転び、持っていたものをぶちまけた。

 道に転がった果実を、通りすがりの馬車が無慈悲に潰していく。

「なんてことしてくれたんだい!」

 追い付いた女性が、怒りに任せて男を何度も踏みつける。

「待て。子供に与える菓子を探しているなら、これをやろう」

 ヨルムはレイヤの持つ包みの中から焼き菓子を三つ出すと、女性に見せる。

「なんだいこれは」

「潰れた果物よりは喜ばれると思うが。その男を許してくれると言うのなら、タダでやろう」

「良いのかい。お嬢ちゃん」

 女性は、レイヤをヨルムの保護者と判断したらしい。これは、ヨルムのお金で買ったものなのだが。

「大丈夫。持って行って」

「なら、貰って行こうかね。あんたたちにも幸運が訪れますように」

 女性は男を踏みつけていた足を降ろし、ヨルムから菓子を受け取ると立ち去った。

「それを貸してくれ」

 レイヤは、まだ焼き菓子が入っている包みをヨルムに渡す。包みを手に、ヨルムは足元でぐったりとしている男の前でしゃがんだ。

「どんな理由があろうと、盗みは良くない」

「小僧に説教されるたぁ、俺も落ちぶれたもんだぜ」

「説教ではない。これで腹を満たすと良い」

 ヨルムが包みを開いて見せると、男は中身を引ったくるように取って、そのまま口に突っ込んだ。相当腹が減っていたのだ。

「食べたからには、私の頼みを聞いてもらおう」

「あん?タダじゃねーのか」

「お前にタダでやるとは言っていない。食べ終わったらすぐに、この道をずっと東へ進め。突き当たりにはネコの看板を掲げた店があるだろう。そこから今度は北へ進むのだ。真っ直ぐに。そこにお前の足を必要としている者がいる。仕事を願い出ると良い。もし相手がいぶかしがるようであれば、予言を与えられたと答えよ」

「予言?」

 ヨルムは立ち上がる。

「王都へ仕事を探しに来たのであろう。故郷の親に吉報を届けたいのであれば、私の言葉に従え。お前の父と母は、お前の健康を常に願っている」

 ヨルムはレイヤの手を引くと、呆ける男を置いて、その場を離れた。

「すまない。もう一度、菓子を買いにいこう」

「ヨルムって、何でもわかるの?」

 ヨルムの言葉は、彼が助けた人々がどこの誰か理解した上での発言だ。

「人の願いはすべて届く。先ほどの女性は、子供のおやつに林檎を買った。その子供たちは、地震で倒壊した建物から足の不自由な老婦人を助け出した功績がある。老婦人も子供に感謝し、何か子供に幸せが訪れるよう願っていた。甘い菓子ならば、子供に与える小さな幸せに値するだろう」

 ヨルムは老婦人の願いを聞き、親切な子供たちの為に林檎を甘い菓子に変えてやったらしい。

「盗みを働いた男は王都に夢を持って来た。田舎から希望を抱いて仕事を探しに来る若者は多い。しかし、仕事を得られないことがほとんどだ。王都の者たちが、仕事を探しに来る人間の本質を見抜けずに門前払いする為だ。あの男は足が早く、持久力もある。そして、来たばかりにしては王都の裏道に詳しい。都の中を走る伝令に向いているだろう。そのような人物を急ぎ必要としている人間が居たから、場所を示してやった。この先、上手く行くかはあの男の努力次第だろう」

 ヨルムは、男の願いはもちろん、その両親の願いも聞いていたのだろう。あの男が上手く仕事にありつき、故郷へ吉報をもたらすことが出来れば良いのだが。

「あの店でも構わないか?」

 ヨルムが指す店からは、香ばしい匂いが漂ってくる。香りから察するに、甘い菓子を置いている店に違いなかった。

「焼き立てのお菓子がありそうだね。今度は、もう少したくさん買おう」

 目の前で起こる些細な困り事一つ見過ごせない神が、誰かに幸せを分け与えても良いように。

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