06 謁見

「準備は出来たか?」

 レイヤは、鎧とマント、剣と自分の荷物を装備した。もう一度、忘れ物がないことを確認してから、レイヤはヨルムに答える。

「大丈夫。出来たよ」

「では、出発しよう」

 ヨルムがレイヤの手を取る。そして、もう一方の手を壁に付けるとレイヤが前に見たのと同じ、不思議な色合いの空間が出来た。

 この先にあるのは、祭壇ではなかったか。

 ヨルムに手を引かれ、レイヤは空間の中に入る。


 そこは、外の世界だった。

 立っている場所は狭い路地。

 ガタガタと音を立てる車輪の音が聞こえて、レイヤが左手を見ると、舗装された道を馬車が走っていくのが見えた。路地から見える表通りはとても広く、たくさんの人々が歩き、とても賑わっているようだ。冒険者たちの談笑や商人が物を売る声、子供の泣き声に、誰かが怒鳴る声や笑う声。

「ここは?」

「王都だ」

「王都?」

 レイヤは混乱した。

 確かに、ここまで賑わいのある場所ならば王都かもしれない。けれど、聖域の森と王都は、一歩でたどり着くような場所ではない。

「ヨルムの家はどこにあるの?」

「森の中だ」

「祭壇も森だよね?」

「そうだ」

「それで、ここは王都なの?」

「私の力が届く場所ならば、どこへでも扉を作ることが出来る」

「扉?」

 レイヤは振り返ってみたが、先ほどの不思議な色は存在しない。ただの壁があるだけだ。

「私が通り抜ければ扉は消える」

 不思議な仕組みだ。

 しかし、神であれば、それぐらいの奇跡は容易いのかもしれない。

「レイヤ。少し付き合ってくれ」

「うん」

 表通りに出ると、ヨルムは真っ直ぐ、大声で泣き叫ぶ子供のそばに行った。そして、子供の頭を撫でる。すると、子供はすぐに声を上げるのを止めて、ヨルムを見た。

「心配しなくても、母親はすぐそばに居る」

「どこぉ?」

 涙声で子供が聞くと、ヨルムは指を指す。

「向こうだ。レイヤ、この子供を肩車してやってくれないか」

「まかせて」

 レイヤは小さな子供を抱き上げると、肩車してやった。

「ママー!」

 子供は、すぐに母親を見つけたらしい。大きく手を振る子供に気づいた母親が、すぐに子供の元へ来た。レイヤが子供を降ろすと、無事に再開を果たした二人は抱き合った。

「困った子ね。離れちゃ駄目と言ったでしょう」

「だってぇ……」

 また泣き出した子供を母親が抱き上げる。

「ありがとうございました」

 母親の言葉はレイヤに向けられている。

「私は何も……」

「神のお導きに感謝します。あなたにも幸運が訪れますように」

 母親はそう言うと、子供と共に去っていった。その言葉は、レイヤも何度か口にしたことがある。

「レイヤ。どこかで蜂蜜を買ってから、城に向かおう」

「蜂蜜?」

「今朝の食卓に蜂蜜がなかった。切らしているのだろう」

 ラシルから買い物は頼まれなかったが。

「二人は蜂蜜が好きなの?」

「朝は必ず用意していた。ラシルもパンを捏ねる時に使うことがある」

 ヨルムは自分が食事をしなくても、二人の好みを把握しているらしい。

「レイヤ、これを」

 ヨルムはレイヤに金貨の入った袋を渡す。袋はずっしりと重い。

「私よりもレイヤが買い物をした方が自然だろう」

 確かに、子供のヨルムが支払いを請け負っては、違和感を抱かれるかもしれない。

 レイヤは、冷や汗の出る思いで金貨を受け取ると、大事に懐にしまった。彼女は、こんなにたくさんの金貨を持ったことなどない。普段は財布となる袋を腰から下げているが、そんなところに不用心にぶら下げておける量ではなかった。

 ヨルムとレイヤは、王城のある方を向いて歩いた。ここからは、丘の上にある王城が良く見える。そして、大きな蛇が巻きつく白磁の塔も。もちろん、実際の蛇が巻き付いているわけではなく、蛇の姿を象った彫刻だ。あれは、国の信仰を集める神の為の塔だった。

「レイヤは王都に来たことはあるか?」

「あるよ。何度か。王都のものはなんでも高いから、あまり買い物をしたことがないけど」

「欲しいものがあったら買って構わない。そこにあるだけの金貨しか持ってきていないが」

「金貨なんて、どうやって手に入れているの?」

「金貨を願いの代償に捧げる人間は多い。池の泉に放り投げる者が良く居るだろう」

 確かに。王都には蛇の銅像が祀られている泉があり、そこに金貨を投げ入れると願いが叶うという話は有名だ。


 ※


 無事に蜂蜜を手に入れた二人は、城の城門を目指し、緩やかに曲がりくねる丘の道を歩いた。レイヤがこの道を通るのは初めてのことだ。王の住まう城など、一介の冒険者には用のない場所だった。

「ヨルム、調子はどう?こんなに歩いて大丈夫?」

「平気だ。今は手を繋いでいる」

 手を繋いでいることは触れている内に入るだろう。しかし、これぐらいの子供は疲れやすいものだ。

「疲れたら言ってね。背負ってあげる」

 ヨルムが苦笑する。

「レイヤは優しいな。困ったら頼むことにしよう」


 のんびり歩いて、二人は、ようやく丘の上へたどり着いた。目の前には、閉ざされた大きな城門がある。

「何者だ。所属と階級を言え」

 城門の上、見張り台から上がった声に、レイヤとヨルムは顔を上げる。

 見張り台の門番は、遠くから歩いてくる二人の姿に気づいていた。そして、二人がこの国の城で働く者ではないことも。

「西の森からヨルムが来たと王に伝えよ」

 良く通る声でヨルムが答える。

 門番は、約束のない見知らぬ来客は門前払いするよう教えられていた。しかし、突然の来客の中には、異国の伝令が混ざることがあるとも聞いている。また、国王の個人的な客人である可能性も捨てきれない。彼の放った言葉の簡潔さからも、伝言の相手に王を指定していることからも、この客は門前払いするような相手ではないと門番は判断した。

「しばし待て」

 門番はヨルムの言葉を王に届けるよう部下に命じた。

 そして、その判断が正しかったことは、すぐに証明された。部下は、騎士と共に走って戻って来たのだ。国王が騎士を寄こしたとあれば、大事な客人であったのは明らかだ。

「陛下がっ、急ぎ、門を開くように、と、」

 息を切らして走って来た部下の言葉を受け、門番はすぐに城門を上げた。

 門の内側に居た騎士は、城門が上がりきるのを待たずに、上がり始めた門を潜って外へ出ると、恭しくヨルムの前に跪く。

「騎士、アーロ。ヨルム様をお迎えに参上致しました」

「聖礼を済ませたばかりの騎士か」

「はい」

 ヨルムが騎士の頭に手を乗せる。

 聖礼とは、神の前で誓いを立てることである。主に成人の儀式を指すが、この場合は騎士の誓いを指す。騎士は、神の名の元に国を守る使命を負うのだ。ヨルムの言う通り、アーロは神の前で騎士の誓いを立てたばかりの若い騎士だった。

「祝福を与えよう。日々鍛錬に励み、騎士の誇りを忘れることなく努めよ。契約を遵守し、自らの誓いに従順であれ。青きヤグルマギクの花を騎士の花とすると良い」

「ありがたき幸せ。騎士・アーロ。深い信仰の元、ヨルム様にお仕えすることを誓います」

 神の祝福により、今日から騎士・アーロはヤグルマギクを己の花とすることを許された。王は、新しい騎士が神から直接祝福を得る機会を与えたのだ。

「王の元へ案内してくれ」

「喜んで」

 アーロは立ち上がると、やや緊張した面持ちで先を歩いた。

 王の命令で迎えに出たとはいえ、アーロは、神が歩いてやって来たなどという話を完全に信じたわけではなかった。しかも、相手は子供だ。

 しかし、今、アーロは神の祝福を身をもって感じた。少年は、神の化身に違いなかったのだ。アーロは、神を先導する大役を任されたことを、ようやく実感したのだった。

「そう、気負う必要はない」

「はい」

 アーロは、神の寛大な言葉に大きな声で答えた。

 ひっくり返ってしまった声にヨルムとレイヤは苦笑し、ゆっくりと歩みを進める騎士に続いて城の中に入った。


 石で出来た城の中を進み、赤い絨毯の敷かれた廊下を歩くと、大きな扉が現れる。両開きの扉を兵士たちが開くと、そこは謁見の間だった。

 広い部屋の正面には玉座があり、頭に大きな冠を乗せた国王が座っている。その周りには、長い上等なコートを羽織った大臣と、神への祭事を司る神官、長いローブを着た魔法使いたち、眼鏡をかけた学者たちに、鎧を着た騎士たちと、多くの人が並んでいる。

「ヨルム様をお連れ致しました」

 アーロが扉の脇に避け、ヨルムとレイヤが謁見の間に足を踏み入れると、王は立ち上がって彼を出迎えた。

「お待ちしておりました」

 ヨルムは部屋の中央ほどまで進んだ後、歩みを止めた。レイヤもそれに倣う。

「私が不在の間に勝手な予言を出したのは誰だ」

「不在?」

「春の祭典の前、西の海で暴れる怪物の討伐を願っただろう。御して帰ってみれば、欲してもいない生け贄を祀る騒ぎとなっている。お前たちに予言を与えたのはどの神だ」

「ヨルム様ではないのですか」

「私が予言を与える際に遣わせるのは白い蛇。それ以外のものは別の神であろう」

 謁見の間に集っていた人々が、ひそひそと話をする。そして、魔法使いが答えを伝えた。

「黒い蛇が訪れました。黒い蛇は、森にある祭壇に生け贄を捧げるよう命じたのです」

 黒い蛇。

 それだけの情報で、ヨルムは勝手な予言を与えたのが誰か察した。

「私が国を挙げて生け贄を祀るよう命じることはない。これを前例として残すことのないよう処理せよ」

「しかし、地震は……」

「災害は私が起こしているのではない。春の祭典で私への感謝と祝福を十分に感じたばかりだというのに、私が怒る要素など一つもないだろう。自らの信仰と潔白を信じよ。異常事態が起きたとすれば、それは外部からもたらされた不幸だ」

「なんと……」

「やはり、我々の神が生け贄を求めることなどないのだ」

「おぉ。神よ……」

「私の信仰に間違いはなかった」

 謁見の間に居た人々が、神への信仰と称賛の言葉を口にする。皆、ヨルムの言葉に納得したようだ。

「西の怪物に注力していた分、対処が遅れたことを詫びよう。すぐに皆が安心して暮らせるよう取りかかる」

「感謝いたします。ヨルム様」

「以上だ」

 ヨルムは踵を返すと、レイヤと共にその場を去る。

 慌てて騎士のアーロがついてきた。

「お見送りいたします」


 ※


 城門で騎士に別れを告げ、馬車で送るという申し出を断ると、ヨルムとレイヤは丘を下った。

「王さまと知り合いなの?」

「王室とは縁が深い。あれが赤子の頃から知っている」

「だったら、リヴとラシルを探すなって、もっと早くに教えてあげられたんじゃないの?」

「別の予言を受けた状態で、それとは違う解釈の予言を与えれば混乱が生じる。人は人の言葉を一番信じるものだ。私が白い蛇の姿で今の話をしたとしても、皆はそれが私の真の言葉であると判断出来なかっただろう」

 そういうものだろうか。

 しかし、対抗する相手も蛇であっては、どちらが正しいか判別するのは難しいのかもしれない。では、ヨルムの意図に反し、生け贄を捧げるよう国王に騙ったのは何者なのか。

「黒い蛇の神様って?」

「私の父だ」

 自分たちの神の出自を、レイヤは神話で知っている。彼の父が、正直、評判の良い神ではないことも。

「西の怪物って?」

「クラーケン。西の海に現れた巨大な十本足の生き物だ。定期的に生まれては海で悪さをする。あれを討伐する為に人の姿で勇者を集め、西の地に赴いていた。無事に討伐はしたものの、その時に人の姿を失ったのだ」

 彼は、つい最近まで人の姿を持っていたらしい。

「その時の生け贄は?」

「とうに死んでいる。百年は昔のことだ」

「百年前に儀式をしたってこと?」

「そうだ。化身として馴染んだ体だったが、仕方ない」

 神であれば、その化身も不老というわけか。

「だったら、新しい生け贄が欲しかったんじゃないの?」

「必要としていたのは確かだ。だから、いくら勝手に用意された生け贄であろうと、信仰によって捧げられたものならば、私は受け入れなければならなかった。しかし、リヴはラシルを逃がし、レイヤが生け贄となってくれた。これは私にとって、ありがたいことだ」

 言っている意味が、レイヤには良くわからなかった。

「どこがありがたいことなの?」

「私がラシルを受け入れてしまえば、災害が起こった時は神に生け贄を捧げれば良いという悪習が出来かねない。そんなことが慣習化してしまうことは避けたかったのだ」

「そっか。ヨルムは、この先ラシルみたいな人が出来ないように気を付けてるんだね」

 ヨルムの憂慮は、レイヤの指摘の通りだった。

 生け贄には、ラシルのように見た目が美しく、身の上の不幸な者がえらばれるのが常だ。それは権力者による搾取以外の何者でもない。

「レイヤ。今晩、神々の饗宴へ行く。昼の間に少し休んでおくことにしよう」

「えっ?」

 神々の饗宴とは、天で行われるという神々の食事会だ。神々によって重要な決定がなされる場でもある。

 そんな場所に、人間風情が参加することなど出来るはずがない。

「私、人間だよ?」

「問題ない。灯火の扱いが知りたかっただろう。フレイヤに教わると良い」

 愛と美の女神・フレイヤ。女性の間でも、男性の間でも、その名を知らない者は居ないぐらい有名な女神だ。

「それって魔法?」

「そうだ」

「私、人間だよ?」

 先程と同じ言葉を繰り返すレイヤに、ヨルムは笑う。

「人間の中にも、フレイヤからセイズを教わった魔女ぐらい居るだろう」

「セイズ?」

「フレイヤが使う魔法の種類だ。元々、こちらに存在する魔法ではないが、分かりやすいらしい」

 フレイヤは元々、この土地の神ではない。この土地の神々と別の土地の神々との取り引きによって、父・ニョルズと双子の兄・フレイと共にやって来た女神だ。そして、その美しさにより、一気に信仰を集めた女神でもある。

「ヨルムは使えないの?」

「私には不要だ。あれは女性の為の力。男性よりも力が劣る女性を補助する為の力だ」

「私なんかに教えてくれるかな」

「フレイヤは贈り物をすれば喜んで願いを聞く。前に欲しがっていたものがあるから、それを用意してやるとしよう」

「でも、私が気に入られなかったら?」

「その心配は不要だ。いや……」

 ヨルムはレイヤを見る。

「神に会うならば、身を清めて行く必要があるか。それに、華麗な衣装も必要だ」

「清めるって……」

 レイヤは、嫌な予感がした。

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