05 お針子

「レイヤ」

 誰かが名前を呼ぶ声が聞こえた。

 しかし、レイヤの意識はまだ眠りに沈んでいる。寝心地の良い柔らかいベッドは、彼女を眠りに誘う効果はあっても、目覚めさせる効果は皆無だ。

「レイヤ」

 再度の呼びかけの後、レイヤは自分の腕の中で何かが動くのを感じた。

 そして、目を開く。

「ようやく目覚めたか」

 目の前には、昨日出会ったばかりの少年の顔。

「ヨルム」

「おはよう。レイヤ」

「おはよう……?起きる時間?」

「そうだ」

 彼の光以外に明かりと言えるものの存在しない部屋は、レイヤが眠った時と同じように夜の気配を残している。しかし、外の世界ではもう太陽が昇っているらしい。

 まだ眠い目をこすりながらレイヤが体を起こすと、ヨルムがその脇を抜けてベッドから外に出た。彼はベッドの横で大きく腕や足を伸ばし、体を動かしている。今日の彼は、とても元気そうだ。

「朝食の支度が整っているはずだ。食べてくると良い」

 ヨルムの様子を見ながら靴を履き終えたレイヤが、顔を上げる。

「ヨルムは食べないの?」

「レイヤが食べれば、私が食べたも同じこと」

「私は、ヨルムの分も食べてるってこと?ヨルムの分もお腹が減る?」

 ヨルムが笑う。

「私は食事を必要としない。しかし、私に捧げられたものをレイヤが食べることで、そこに込められた祈りと信仰の力を得ることが出来る。これもレイヤにしかできないことだ」

 神は人々の祈りと信仰によって強くなり、その力で願いを聞くと言われている。だから、神への信仰と祈り、そして感謝の気持ちは欠かしてはならないのだと。

 その信仰の一端を、レイヤが仲介することが出来るらしい。

「でも、それって変なものを食べちゃいけないってこと?」

「心配は無用だ。人の悪意の含まれるものを食べたとしても、大した影響はない」

 多少の影響はあるということか。

「悪意があるかなんて私にわかるかな」

「それが美味いものだったら気にせず食べると良い。レイヤが幸せを感じれば、悪意など吹き飛ぶ」

 それに関しては、レイヤには自信がある。彼女は食べ物に関して大きなこだわりはなく、胃を満たせるものならばどんなものでも美味しく食べられるのだ。

 しかし、これからはヨルムのことを考えながら食べ物を選ぶべきか。

「生け贄って、すごく大事な役目だったりする?」

 レイヤの言葉にヨルムが動きを止める。

 聞いてはいけないことだっただろうか。

 レイヤが謝罪しようと口を開いたところで、ヨルムが彼女の頭を撫でる。

「選択の余地を残さない状態が続いてすまない」

「選択の余地?」

「レイヤは人として自由に生きる権利を持っている」

「生け贄になったのに?」

「そうだ」

 自分のものとなった生け贄を、彼は奴隷のように扱うつもりはないらしい。元より、そのような扱いをレイヤは全くされていないのだが。

「私は人の体を得るという目的を果たした。レイヤの生け贄としての責務はそこで終わる。本来ならば、レイヤはもう自由となって良いはずなのだ。しかし、私にはレイヤが必要だ」

 レイヤはヨルムの元を離れることが可能らしい。ヨルムはレイヤが離れるだけで、起き上がっていられない程苦しむというのに。

「ヨルムをほっとくことなんて出来ないよ。あなたを癒せるのは私だけなんだよね?だったら、私はヨルムの傍に居たい」

 レイヤの言葉に、ヨルムは目を細めて微笑む。

「ありがとう、レイヤ。本来の姿を取り戻せた暁には、何か願いを叶えると約束しよう」

 たとえそうなっても、レイヤは彼の傍に居たいと思うのだが。それは彼が本来の姿を取り戻した時にもう一度伝えれば良いことだろう。


 ※


「おはようございます。ヨルム様、レイヤ様」

「おはようございます」

 レイヤも二人に倣って、丁寧な言葉で挨拶をした。

 二人はすでに身支度を整え、二人を待っていたようだ。

「ヨルム様、お召し物をどうぞ」

 お召し物とは、どういう意味だったか。ラシルがヨルムに用意したのは衣服のようだ。

 服にも丁寧な言葉があるらしい。貴族の言葉は複雑だ。

「レイヤ様、こちらへどうぞ」

 リヴに席を勧められて、レイヤは椅子に座った。

 朝食は生野菜と豆のサラダのようだ。一緒に並ぶパンは焼きたてだろう。その食卓に、リヴが炭酸水を添える。

「今朝汲んできた湧き水です。レモンとハーブの香りを加えると、目覚めにぴったりな飲み物になるんですよ」

「そうなんだ。近くに炭酸泉があるの?」

「はい。この周辺は少し歩くだけで、様々なものが手に入るんです。サラダに使われている野草も、今朝採って来たばかりのものです」

「大分、毒草の区別はつくようになったようだな」

 ヨルムの言葉に、リヴが頷く。

「はい。ヨルム様のおかげです」

 レイヤは炭酸水を口に含む。なるほど。確かに爽やかな清涼感が足されて、目が覚めるようだ。

 コップを置いたところで、レイヤは、食卓に自分の分の食事しか用意されていないことに気づく。

「リヴとラシルは食べないの?」

「申し訳ありません。私たちは先に頂いてしまいました」

「えっ?謝る必要なんてないよ。気になっただけだから」

 レイヤは、昨日のように自分一人で食べることになっては申し訳ないと思っただけなのだ。

「私、神様でもなんでもないんだから、そんなにかしこまらないで」

「ヨルム様のお客様であれば、同等の扱いをするのは当然です」

「ヨルム、私はお客様なんかじゃないよね?」

 着替えを終えたヨルムがくすくすと笑う。

 ヨルムは少年に相応しいサイズの服を着ている。一般市民が着るそれと同じようなものだ。その足は、布製の靴もきちんと履いている。

 昨日のヨルムの頼みに従って、ラシルは一晩でこれを仕上げたのだった。

「レイヤはしばらく私と共に居ることを選んだ。家族のように迎えてやってくれ」

「わかりました」

「では、レイヤ様にもお召し物をお持ちしましょう。お食事をお召し上がりになってお待ちくださいね」

「用意しなくても、服は……」

 昨日着ていたものが、ちゃんとあるのだが。ラシルは聞かずに別の部屋に入って行った。

「用意してもらうと良い。ラシルは針仕事が上手いからな」

 扱いはそう簡単に変わらないと言うことか。それとも、肌を露出していないとはいえ、シャツとドロワーズという肌着でうろついたレイヤが悪いのか。

 最も、リヴとラシルにとってレイヤが他人であることに変わりはない。家族のように迎えてもらうには、座って食事を待つだけの役立たずでは駄目だろう。何か、家の仕事を手伝わなければ。

「ヨルム様、お時間があったら、昨日見つけた植物について教わりたいのですが」

「良いだろう」

「図鑑を持ってきます」

 リヴも別の部屋に入って行った。それぞれ、自分の部屋があるらしい。

「二人とも、ヨルムのことが好きなんだね」

「信仰の一端だ」

 ひとえにヨルムの人柄と言えそうだが。自分たちの神が慈悲深く優しいのは昔からだ。

「レイヤ。後で出かけよう。国王に会って、生け贄の捜索をやめさせなければならない」

 そうだ。この国に、もう生け贄は必要ない。国王への報告が必要だ。

 レイヤは早々に食事を平らげようと、パンをかじる。

「焦る必要はない。食事はゆっくり摂るものだ」

「ジャムをお出しするのを忘れていましたね」

 部屋を出るなりそう言うと、リヴは台所へ行ってジャムの瓶を出す。

「お好きなものをどうぞ」

 ブルーベリーのジャムに、コケモモのジャム、林檎のジャム……。色々ある。

「ヨルム様。居間に行きましょう」

 ヨルムはリヴと共に居間へ行った。そこにはソファーが置いてあるのだが、二人は丸い絨毯の上に図鑑や植物を並べた。そこで勉強会をするようだ。

 台所と食卓、そして居間には明確な区別はないようで、二人の様子はレイヤが居る場所からも良く見える。居間の方には、暖炉もあるようだ。冬は火が必要なぐらい寒くなるのかもしれない。

 林檎のジャムを選んで焼き立てのパンを堪能したレイヤは、食事を終えると、食器を持って台所に向かった。

「まぁ。私がやりますよ」

 戻ってきたラシルが、布の束をソファーに置いて駆け寄る。

「私にも家の仕事を手伝わせて。家事でも採取でも何でも手伝えるよ」

「ヨルム様、」

 ラシルが居間に居るヨルムに訴える。

「レイヤが何も知らないのも不憫だろう。家族なのだから、教えてやると良い」

「わかりました」

 少々不満そうにしながらも、ラシルは承諾した。美しい容姿であれば、怒った顔でも愛らしい。

「リヴも、得た知識をレイヤに分けてやってくれ」

「お任せください」

 これで、採取に同行するのも厭われないだろう。ヨルムが元気な時は、外での仕事も手伝えそうだ。


 食器洗いを終えると、ラシルは用意した衣服をレイヤに着せた。

 大柄な彼女に合うものなどあるだろうか。レイヤは心配したが、彼女が身につけたズボンは、やたらと裾が長い。ラシルは、その裾をレイヤに合わせて切ると、レイヤが着たままの状態で裾の処理をする。

 どうやら、ラシルはその場でレイヤの服を仕立てるつもりらしい。今度は様々な布の中からレイヤに合う布を選び始めた。

「こちらもお似合いですね。でも、こちらも……。普段着にしては派手すぎでしょうか。あぁ。こちらの布も良い。今日は、これにしましょう」

 細かい柄の違いなどレイヤには良くわからなかったが、ラシルにはこだわりがあるらしい。レイヤの意見を全く聞かずに布を選び終えると、ラシルは首が入る部分を丸く切ってレイヤに着せ、あっという間に服を縫い上げた。首周りに針を入れられた時はレイヤもひやりとしたが、ラシルの縫うスピードは速く、首元にリボンタイがついた時は感動したものだ。

「魔法でも使ったの?」

 服が、こんなに簡単に出来てしまうとは。しかも、レイヤがこれまでに着たどの服よりも体にぴったりと合う。単純なプルオーバーとはいえ、着心地はとても良い。

 ラシルが小鳥がさえずるように軽やかに笑い、彼女の首元にあるリボンタイを結ぶ。

「体が弱いので、針仕事しかしてこなかったのです。次は、シャツやベストも作りましょう。他にも繕う必要なものがありましたら、なんなりとお申し付けください」

 確かに、ラシルは力仕事など向かない華奢な体つきをしている。

 レイヤは、裁縫道具や布を片付けているラシルに並んで、布を畳むのを手伝う。

「休まなくて大丈夫?朝からずっと働いてるよね?」

「ヨルム様の元へ来てからは、ずっと体の調子が良いのです。ここはヨルム様がいらっしゃる神聖な土地ですから、きっと癒しの効果もあるのでしょう」

「そうなんだ」

「手伝って頂き、ありがとうございます」

 ラシルが頭を下げる。

「お礼を言いたいのはこっちだよ。素敵な服を作ってくれてありがとう」

「喜んでいただけて光栄です」

 堅苦しい言い回しは、いつになったら解けるだろうか。歳がさほど変わらないだろうラシルと、レイヤは仲良くなりたいと思っているのだが。

「ラシルは、どうしてそんなに貴族の言葉が上手いの?」

「貴族の言葉?」

「その、丁寧な言葉使い」

「私の話し方ですか?」

「うん」

 レイヤにとって、リヴとラシルが使うような言葉は庶民の言葉ではない。貴族が好んで使う言葉なら、貴族の言葉と表現するのが妥当だろう。

「これは、領主様の家の言葉です。物心ついた時から、私は領主様の家で働いておりました。親の顔も良く覚えてはおりません」

 子供を育てる余裕のない家に生まれれば、幼い頃から領主の家に奉公に出るのは珍しいことではない。その方が食うに困らないし、将来の仕事にもありつけるのだ。

「はじめは洗濯仕事をしていましたが、使い物にならないと言われ、家の中で針仕事をするよう命じられました。家の中では、皆、このような話し方をしております。私は単に、皆の言葉を覚えただけです」

「え?領主の家で働いていたのに、奴隷商人に買われたの?」

「それには、少し複雑な事情があります。旦那様が不在の折、屋敷に宝石商人が訪れました。奥さまは、商人の持つ珍しい宝石を欲しがられたのです。商人は、宝石を屋敷の使用人と取り替えるよう持ちかけました。自分の仕事の手伝いをする人を探していたらしいのです。奥さまは承諾し、私が商人を手伝うことになりました」

「宝石一つと取り替えられたの?」

「はい。奥さまも、奴隷商人とは知らなかったのです。私も、鎖で繋がれるまで自分が奴隷となったとは思ってもいませんでした。奴隷商人は王都に行き、私はそこで買われました。そして、お城に連れていかれたのです。その後はレイヤ様もご存知でしょう」

 あちらこちらに連れ回された結果、今は神に守られている。

「不思議な運命だね」

「私もそう思います」

「辛くなかった?」

「辛いと思ったことはありません。領主様も奥さまも、仕事を教えてくれた姉さまたちも皆、親切な人ばかりでした。奴隷商人は、大人しくしている限り、商品である私たちを傷つけることはありませんでしたから、痛い思いもしていません。買われた後も、生け贄として大事に扱われていましたから」

 ラシルが語るように、本当に良いことばかりだったのだろうか。

 レイヤの地方の領主は、村の人々をいつも見下していたし、領主の家でお針子として働くレイヤの友人などは、愚痴ばかりこぼしていた。

 物事は考え方一つで変わる。

 きっと、ラシルの考え方が、すべてを良い方向に向かわせていたのだろう。もしくは、美しい少女の微笑みが、その場の空気を和やかなものに変えていたのか。

「ラシルは素敵な人だね」

「え?」

「私もラシルみたいに良い方に考えようって努力しているんだけど、なかなか上手くいかなくて」

 ラシルは柔らかく微笑んだ。

「レイヤ様は十分に素晴らしい方です。まだ良く知りもしない私を、そんな言葉で褒めてくださるなんて」

「えっ?そんなことないよ、ラシルが素敵だから……」

「努力をする者と、人の努力を素直に褒められる者は素晴らしい。ヨルム様が仰っていたことですよ。ヨルム様はレイヤ様の内面も見ていらっしゃったのですね」

 立て続けに褒められて、レイヤは顔を赤くする。ラシルの方こそ、褒めるのが上手いのではないか。

「服は出来たようだな」

 ヨルムがレイヤとラシルの前に立つ。勉強会は終わったようだ。

「うん。すごく素敵なんだよ」

 レイヤは立ち上がって、ヨルムに服を見せた。

「良い仕立てだ。ありがとう。ラシル」

「お褒めいただき光栄です」

「レイヤと共に都へ行ってくる。何か入り用なものはないか?」

「十分に揃っております。もしヨルム様が気に入られた布がございましたら、すぐにお召し物をお仕立ていたしますよ」

「考えておこう。レイヤ、装備を整えて来ると良い」

「うん」

 外に出るならば、鎧と剣が必要だ。

 聖域の森から王都までは、何日も歩かなければならない。森を出た先にある町でも、旅に必要なものを揃えた方が良いだろう。ヨルムの部屋の扉を開いたところで、レイヤは振り返る。

「あの、ランプの明かりを付ける方法を教えて欲しいんだけど……」

 ヨルムが笑う。

「手伝おう」

 やはり、レイヤにはランプが必要だ。部屋に置いて使うものと、部屋に入る時に使うものが。

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