03 パンとスープ
明るい。
先程まで暗い洞窟の中に居たレイヤは、突然現れた明かりに驚いた。そして更に、目の前の光景に驚いた。そこには、夕食の時間を楽しんでいる二人の男女がいたのだ。
しかし、中の二人もまた驚いているようだった。二人は、スプーンを片手にヨルムとレイヤを見たまま固まっている。
「ただいま」
ヨルムの声に、二人がほっと胸を撫で下ろす。
「おかえりなさいませ」
「おかえりなさいませ。ヨルム様だったのですね」
ここはヨルムの家らしい。
レイヤは振り返って、自分たちが通ってきた場所を探した。しかし、そこには先程の不思議な色の壁はなく、少しずれた場所に木で出来た扉があるだけだ。
あの扉から入ってきたのではないと思うが。どういうことなのだろう。
「何か、お召し物をお持ちいたしましょうか」
「今の私に合う服はないだろうな。食事の後にでもあつらえてくれるか」
「喜んで」
「それから、レイヤにも食事を与えてくれ」
「すぐに御用意いたしましょう」
そう言って、女性は台所の方へ向かった。
「レイヤ。食事が終わったら来てくれ。私は部屋で休む」
ヨルムは背後にある扉に入って行った。
この家は、どういう造りになっているのだろう。その方向に部屋があるとすれば、祭壇のある場所は一体?
「お名前は、レイヤ様でよろしいでしょうか」
新しい椅子を運んできた男性が、レイヤに座るよう促す。
「レイヤで良いよ」
勧めに従って、レイヤは席についた。
「あなたたちは?」
「私はリヴ。食事の準備をしているのは、ラシルです」
その紹介に、レイヤは驚く。
「ヨルムは、ここにあなたたちを匿っていたんだね」
「私たちをご存知でしたか」
「もちろん。国中の人が知っているよ。国王は、懸賞金をかけてあなたたちを探している」
第一の騎士・リヴと、生け贄として捧げられるはずだった少女・ラシル。
「外では、そんなことに……」
「ずっとここに居るの?」
「はい。ヨルム様からは、決して森の外に出ないよう言われております」
二人が今、人の目に触れる場所に出ることは危険だ。
「私も、その方が良いと思う」
レイヤはリヴを見る。
レイヤの知る情報では、リヴは不思議な色合いのヘーゼルの瞳と、肩を越えるほど長い茶色の巻き毛の持ち主で、左右に分けた前髪の中央にはルビーを抱いた額当てを、白銀の鎧の上には赤いマントを身につけた、勝利の剣・レーヴァに選ばれた騎士である。
しかし、目の前の青年は、その華麗な出で立ちとはかけ離れた容姿をしている。
「髪を切ったの?」
「はい」
くせのある髪は肩につかないよう短く切られ、分けていたはずの前髪もすべて前に下ろし、短く切りそろえてある。もちろん額当てなど身に着けておらず、鎧もマントも身に着けてはいない。どちらかといえば狩人のような軽装だ。
頑強そうな体つきであるとはいえ、この程度の背格好の冒険者など珍しくもない。瞳も、良く見れば不思議な色合いであると感じるが、一見しただけでは薄い茶色で珍しくもなんともない。レイヤが道端でリヴに会ったところで、その人と認識することは不可能だ。
しかし、知り合いに会えばそうはいかないだろう。国王は、捜索に当たってリヴの生死を不問としているのだ。
「お待たせいたしました」
ラシルがレイヤの前にパンとスープを並べる。
「どうぞ、お召し上がりください」
そう言って可憐に微笑んだ少女は、レイヤなど並ぶことも出来ないほど格別に美しい女性だった。長く艶のある美しい黄金の髪、透き通った海のように碧い大きな瞳。長い睫毛、すらりと高い鼻、ふっくらと柔らかそうな赤い唇、陶磁器のように白い肌。押せば簡単に倒れてしまいそうな線の細い体つきも、守ってあげたくような可憐さを増している。ラシルは、神への捧げものとして選ばれるのも納得できるような、現実離れした美しさを持つ少女だった。
ラシルがその辺を歩いていれば、誰もが振り返るだろう。そして、すぐに生け贄の少女とわかるはずだ。ラシルの容姿は、レイヤが持つ情報と見事に一致する。否、それ以上に美しかった。
「いただきます」
レイヤは食卓に目を落とす。森で採れたキノコがふんだんに使われたスープのようだ。良い香りがする。
レイヤはスープを口に運んだ。
「美味しい」
温かく優しい味が喉を通った瞬間、レイヤの空腹が甦り、彼女は夢中で目の前のパンとスープを口に運んだ。ヨルムは彼女が半日もの間、森を彷徨っていたと話したのだ。少々礼儀に欠く食べ方になったとしても仕方ない。
「おかわりはいかがですか」
「まだあるの?」
「はい。すぐにお持ちしますよ」
女神のような顔で微笑むと、ラシルはスープのおかわりをよそいに行った。
「スープに入っているものは、どうやって手に入れてるの?」
レイヤは目の前に居たリヴに聞いた。
二人は森から出ずに生活しているのはずだ。スープの具には、森では手に入らないものも使われている。
「森で採取するものもありますが、他のものはヨルム様が揃えてくださいます」
「採取?リヴは森で迷わないの?」
「ヨルム様の御加護がありますから」
加護があれば迷わないということか。確かに、この森はヨルムの意思で場所の制限が出来るようだった。リヴをこの近隣から離れないように出来るのかもしれない。
「どうぞ、レイヤ様」
「レイヤで良いよ」
ラシルはスープと共に、最初の倍はあるであろうパンを並べた。
「良いの?こんなに」
「もちろんです」
「そういえば、あなたたちも食事中だったんだよね?」
レイヤは、自分が食べる間ずっと二人を立たせていたことにようやく気づいた。
「一緒に食べよう」
「では、お言葉に甘えて」
二人はレイヤの前に並んで座った。スープが冷めていなければ良いのだが。
「庭で野菜も育てているんですよ。他の食材をヨルム様に任せきりにするのは申し訳ありませんから。でも、なかなか上手くいかなくて」
「ハーブは上手くいっているだろう。ヨルム様も褒めていたじゃないか」
「それでは、お腹は満たせません」
「植物が実るのには時間がかかる。焦らずとも、森で採れるものなら私が探してこよう。春のキノコもたくさん育っていたから」
「ありがとう。リヴ。レイヤ様、こちらのパンはリヴが見つけた木の実を練り込んだものなんです。いかがですか?」
「レイヤで良いよ。ありがとう」
目の前の二人は上品にスープを口に運び、時折、顔を合わせては微笑みあっている。
「二人は恋人なの?」
レイヤの言葉に同時に顔を赤らめた二人は、更に同時に首を振った。
「まさか、そのような大それたことは考えておりません。助けていただいたことはとても感謝しています。しかし、リヴの剣はヨルム様に捧げられているのです」
「まさか、そのような大それたことは考えておりません。ラシルは本来ならばヨルム様に捧げられるべき乙女。ラシルはヨルム様にお仕えすることを選んだのです」
同時に発せられた言葉を、レイヤがすべて聞き取ることは難しかった。しかし、お互いに愛を感じているのは確かなようだ。この分なら、そう遠くない内に恋人になるだろう。
「あの、レイヤ様は、何故ここへ?」
様を付けて呼ばれるほど貴い身分ではないのだが。これ以上の説得をレイヤは諦めることにした。
「私はヨルムの生け贄になったんだ」
「生け贄に?国王陛下は、新しい生け贄としてレイヤ様を立てられたのですか?」
「そうじゃないんだけど……」
レイヤは、国中が第一の騎士と生け贄の少女を探していること、彼女が冒険者ギルドの依頼を受けて二人を捜索していたこと、森でヨルムと出会ったことを順を追って話した。
しかし、祭壇での出来事は、生け贄の儀式を行った後、ヨルムが白い蛇から少年へと姿を変えたようだとしか語れなかった。
暗がりで起きたことの詳細を客観的に語ることは不可能であったし、あの不思議な体験を他の誰かと共有したいとは思わなかったのだ。
「レイヤ様は、ヨルム様に直接選ばれたのですね」
「生け贄は誰でも良いみたいだったけど」
「そんなことはありません。ヨルム様は私では生け贄の役は務まらないと仰られましたから」
「えっ?どこが?」
これ以上、美しい乙女など探せないだろう。
「ラシルは奴隷商人によって王都へ運ばれてきました。王国は頼る者のいないラシルを買い、生け贄として選んだのです。あまりにも品性のない方法で選ばれたことに、ヨルム様も納得されなかったのでしょう」
「いいえ。儀式を受ける勇気のない私では、ヨルム様の生け贄にはなれないと判断されたのです」
レイヤは、生け贄の選定があまりにも適当な方法でなされたことに唖然とした。まさか、奴隷商人から買った少女とは。おそらく国王も、生け贄が乙女であれば誰でも良いことを知っていたに違いない。
しかし、ここまで美しい容姿を持ちながら後腐れのない少女が都合良く現れたとすれば、神への捧げ物として現れたと思われても仕方なかったのかもしれない。国が別の生け贄を立てずにラシルに拘った理由は、その美しさと状況の為だろう。
「ラシルは、儀式がどんなものか知ってたの?」
「祭壇に捧げられるとしか聞いておりません。しかし、私たちの神が恐ろしい仕打ちをすることはないとも聞いておりました。それでも、私の中では信仰心よりも恐怖が勝ってしまったのです」
うつむき肩を震わせるラシルの背を、リヴが優しく撫でる。
「大丈夫だよ、ラシル。ヨルム様は、すべて御承知の上で私たちをここに置いてくださっているのだから」
ラシルは頷くと、レイヤを真っすぐに見る。
「レイヤ様。私の代わりにヨルム様の元に来ていただいたことに感謝致します。どうか、ヨルム様の助けとなって下さい」
レイヤは、自分が腕に抱くことで苦しみから解き放たれた少年の顔を思い出す。自分が彼の為に何かできるのは確かのようだった。
「わかった。まかせて」
快諾すると、レイヤは空の皿の前で手を合わせる。話の合間に、彼女は十分に空腹を満たしていたのだ。
「ごちそうさまでした。美味しかったよ。ヨルムのところに行ってくるね」
席を立つと、彼女はヨルムが待つ部屋へ向かった。
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