提案

第72話

世界が、緋色に染まっている。






その中に伸びた自分の黒い影を、ぼんやりと見つめる。



真っ黒い、漆黒。




その中に落ちていったら、もしかしたら現代へと帰れるかもしれない。






悲しいくらい、優しい、あの時代へ帰れるかもしれない。







あの時も。



時を越えたあの時も、落ちた先は漆黒の闇だった。






闇の先に広がっていたのは、青い空。




そんな単純で普遍的なものだけ、今も俺の前にある。



欲しいのは、そんなものじゃないんだ。




そんな、誰もが皆平等に手に入れているものなんかじゃない。






ただ一つが欲しい。





俺が帰る、ただ一つの場所が欲しい。








「・・・師直様?」




そんな声が廊下の奥からする。




「どうされました?こんなところで。」




見たことが何度かあるけれど、名は知らない俺の部下。




ふっと、薄く笑う。





俺は全然周りが見えていないと、ぼんやりと思う。





「・・・大丈夫。少し、考え事をしていただけだ。」





考え事を。





北畠の家から、俺、ここまでどうやって帰って来たっけ?






「・・・御顔色が、すぐれないようですが・・・。」




顔色が。





そっと振り返って、部下の顔を見据える。



部下は俺が恐ろしいのか、少し肩を上げた。




「・・・部屋に戻るよ。」





それだけ言って、歩き出す。





世界は真っ赤に燃えていると言うのに、


心の中はこんなにも静まり返っている。





ほんの少しの衝撃で、決壊して闇に呑まれそうだけど。

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