第35話

「・・・大和。主上がお会いになると。」





不意にそんな声を背に受ける。



来た、と思ってただ唇を横に広げる。






「・・・芋虫にはならずともよいそうだ。」




「そう。よかったよ。」






にっこり笑うと、長年は俺を後醍醐天皇の元へ引き連れて行った。








夕暮れが、世界を燃やしている。



御簾さえ、唐紅に染まって燻っている。




そんな中、俺は後醍醐天皇の前にひれ伏していた。






「廉子に会いたいと、言ったそうだな。」







相変わらず冷たい声。



この赤く燃え上がった世界を、瞬時に青く凍てつかせる。






「はい。廉子様に、どうしても拝謁したく存じます。」







後醍醐天皇は、しばらく黙った。



その沈黙の間が、長くも感じたし、短くも感じた。




ぱちりと、持っていた扇が鳴る。






それが、合図。







すっと、御簾が上がる。




おしろいの匂い?



ふわりと香った、化粧品の匂いで世界が眩む。





視線が外れなくなった俺を見降ろすように、その女はじっと見つめて、一度も俺から視線を外すことなく傍に座った。






扇でその顔の大半は隠れているけれど、この人だと瞬時に気づく。






「・・・帝から、お話しは聞いておる。まず、名乗れ。」






凛とした声で、その女は言った。




俺から名乗らせるのか?と思って、この野郎と心の内で呟きながら、その二つの瞳から視線を外さずに睨みつける。




絶対に、負けはしないと。






「・・・桜井、大和、と申します。」







わざと眼尻を下げて、にっこり微笑む。



けれどすぐにじっと睨みつけた。






「・・・大和、とな。国の名じゃ。大層な名をもらったの。」







ふふ、と笑った。



その黒い瞳を歪ませて。





後醍醐天皇は、確かこの時は44歳。



阿野廉子は32歳。





32には見えないと思う。






見た目は幼いけれど、その落ち着きぶりは後醍醐天皇よりも達観した何かがあるような気がする。



いつの時代も女性が強いと言うけれど、まさにそれを体現している。





甘く見てはいけないと、頭のどこかで警鐘が鳴った。

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