第85話

「・・・私の志を支えてくれているのはヒナの存在だ。こんなにも生き抜きたいと思ったのも初めてなのだ。待っていてくれると思ったら容易に死ねぬ。死なぬためには戦にどうしても勝たなければならぬ。勝ちたくてたまらないのだ。」







冷たさが、走る。



月が山の端から昇ってきて、その瞬間青白さが狼を染める。





無機質な冷たさが背筋を凍らせる。







「だから志を捨てることはない。私はこの戦必ず勝つ。」







言い切ったその声は強いものだった。






なんだ。



この人、こんなにも姉ちゃんを愛している。








「・・・そのお方は殿下の楊貴妃になります・・・」






呉羽さんはそう呟いた。


宮様を見ているけれど、見ていない。




ぼんやりとただその銀鼠を映している。







「そんなに溺れて、私には我を忘れているようにしか見えませぬ。不幸を招きます。きっと殿下の行く末を破滅させる凶星。そのお方は傾国の姫君。」






国を崩壊させる姫君。





逆だ。



不幸になるのは姉ちゃんのほう。







「口を慎め、呉羽。」





その低い声に冷たさが走る。



呉羽さんの息を飲む音が聞こえてきそうだった。






「確かに私は玄宗皇帝かもしれぬ。けれどヒナが楊貴妃になることはない。媚びることもねだることも知らぬ女だからな。」






そう言って、ふっと笑った。


合図のように緊迫した空気が解かれる。





「とにかく、私はもうお前を傍に置くつもりも寵を与えるつもりもない。」






まだ茫然としている呉羽さんを横目に宮様は立ち上がる。






「すまぬな。」






申し訳なさそうに宮様は言って背を向ける。



その言葉を聞いた途端、呉羽さんの瞳から涙が落ちたのを見た。






宮様の姿が見えなくなった頃に、呉羽さんはうなだれたまま呟いた。







「・・・今までどの姫君と浮名を流そうと、あのようなことをおっしゃったことも、私に謝ったことも一度もないのに・・・」








その声が、胸を締め付ける。


姉ちゃんのこと、真剣なんだと思ったら、苦しくてたまらなくなった。

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