第89話

「兵衛殿の息子です。戸野重信」




さっと、私を横に押しのけながら片岡さんは言った。



とののしげのぶ。



ひょろりのおじさん、息子さんがいたのか。




「そ。重信。最近京の都に行ってて、今日にでも帰ってくるらしいってしげが言ってたからさ」




私に向かって言っているセリフなのに、その目は片岡さんを睨みつけている。


不良集団の喧嘩を見ているみたいでひやひやしてくる。



ああ、もう!!




「京の都?一体何をしに・・・」



片岡さんの瞳がふいに揺れた。




その揺らぎを朔太郎さんが見逃すわけがなく、鈍い音と共に片岡さんの体が崩れた。



思わず固く目を閉じる。




「片岡っっっ!!!!」




彦四郎さんの叫び声が辺りに響く。




「・・・俺たちはあんたたちにそれを言わなきゃならねえような関係じゃねえ」




にやりと、片岡さんに向かって朔太郎さんは笑った。



それを見て、すぐに気づく。





この人たち、ただ喧嘩がしたいだけだって。





「お前っっ!!!」




片岡さんも飛び起きて、あっと言う間に取っ組み合いの大乱闘が始まった。




「やっやめてっ!!!」




何とか止めようと必死になるが、私の声なんて何にも届かない。




いつもはにこにこしていて、優しそうな彦四郎さんなんて、もう別人のように大暴れしている。



自分の息子と同じくらいの年齢の男の人を数人掴んで、鬼のような顔で放り投げている。





本気でどうしよう!!





「雛鶴姫!突っ立ってないでお逃げください!危ないです!」




片岡さんは乱闘中にも関わらず、私の身を心配してくれる。



逃げろって言われたって、このまま放っておくこともできないでしょうが!!




「お願いだからやめてっ!!」




そう叫んだ瞬間、遠くから足早に廊下を駆けてくる音がした。




はっとして振り向いた瞬間、彼は叫んだ。






「何をしておるのだ!!!」






よく通るその声に、時間が止まる。



砂利を踏みしめ、あっと言う間に傍まで来る。





オーラが。




彼を纏うオーラが、まるでいつもと違う。





「何をしておると聞いている」





低い声。



冷たいまなざし。





灰白の、狼。





怒っている。




それも尋常じゃなく。

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